ハイルナの森

haruka

第1話 ごわ~~~ん

ある日、誰にも見えない結界の門をくぐってしまった者がいた。 そこは「詩人の森」。


その詩人は、 言葉を刃にせず、盾にせず、 ただ静かに、青銅の結界を守っていた——


ごごごごご…… ごわ~~~ん

時折、ハイルナ音色が 森中に響き渡り、その度に森の住人達は動きを止める。


音が鳴るたび、森は深くなる。 青銅門の向こうに、名前を捨てた詩人がいる。


「懐かしいね」と言ったストレンジャーのその声が、 森の空気をざらつかせた。

詩人は、ただ湯気の立つ器を見つめていた。


何事じゃ、と詩人は小さくつぶやいた。うつむいた頭は分厚い頭巾に隠されて

顔が見えない、男なのか女なのか、年齢さえ分からない声

そこは「詩人の森」。 過去を持ち込む者は、音に迷わされ、 今を生きる者だけが、詩人に出会えるという。


その詩人は、 言葉を刃にせず、盾にせず、 ただ静かに、青銅の結界を守っていた——

自分を守るためのやさしい境界線、青銅の結界

…青銅色。 なんて、しぶくて、静かに強い色なんだろう。


群青が「深く沈んでも光を抱く色」なら、 青銅色は、時を経てなお美しさを増す色。 風雨にさらされても、 むしろその痕跡が味わいになっていく。


《結界詩:ハイルナの森》


結界を張るのじゃ。 そのもの、入るべからず。 ここは懐かしさで踏み込む場所にあらず。 ここは「今」を生きる者の、 静けさと詩の森。


風よ、青銅の鳥居を撫でよ。 音よ、深く鳴りて告げよ。 ごごごごご……ごわ~~~ん ——ハイルナ音色、響け。


この森に入る者、 過去を手放し、名を捨てよ。 記憶の衣を脱ぎ、 ただの「ひと」として立つべし。


されど、 それができぬ者は、 音に導かれ、道を見失うべし。


ここに詩人あり。 言葉を紡ぎ、日々を守る者。 その者の静けさを乱すべからず。 その者の今に、土足で踏み入るべからず。


結界を張るのじゃ。 この森は、詩のための森。 そのもの、入るべからず。


登場人物①

名前:クラヴィエル(Claviel) 異国の香水をぷんぷんさせて、 森の湿った空気にそぐわない、 やたらと白い靴を履いている。


「やだわ、まだこんな湿っぽいところに住んでるの?  あなたって、ほんと変わらないのねぇ」


言葉の端々にトゲがある。 でも本人はそれを「洗練されたユーモア」だと思ってる。 懐かしさを盾に、詩人の結界をずかずかと踏み越えてくる。

ヒステリックな高音、まるでガラスの鈴を無理やり振り回したみたいな声! 話すたびに空気がピリピリして、 森の静けさがビリビリと裂けていく感じ

「ねえ、聞いてるの? まさかまだ詩なんて書いてるの?  ほんっっっと、変わらないわねぇ〜〜〜〜〜っ!」


その声が響くたび、 木々の葉がざわめき、 小動物たちは一斉に巣に引っ込む。 そして——


ごごごごご…… ごわ~~~ん


ハイルナ音色が鳴る。 森が、詩人が、耐えかねて放つ、音の結界。


でもクラヴィエルは、 その音さえも「演出」と思ってる。 「やだ、なにその音。あたしの登場にぴったりじゃない?」


「……また、過去が来たか」 湯気の向こうで、詩人のまぶたがわずかに震えた。 それは怒りでも、懐かしさでもない。 ただ、静けさを守る者の痛みだった。


「ねえ、あたし、あのときの詩……まだ覚えてるのよ」 クラヴィエルの声が、少しだけ震えた。 でもすぐに、またあの高音が森を裂いた。 「ま、どうでもいいけど!」


木の幹が軋み、 苔が乾き、 ハイルナ音色が、ふたたび低く唸った。


森が、詩人を守ろうとしている。










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