第8話:純白の結婚式と、黒い葬列
第9話:純白の結婚式と、黒い葬列
結婚式当日の朝。
包帯姿のリュウジが入院する病室に、一人の女子大生が現れた。清楚な見た目とは裏腹に、その瞳には冷たい炎が宿っていた。
「はじめまして、リュウジさん。……私の父、新垣タツオがお世話になったそうね」
彼女は、数日前に宗治たちが葬った荒垣組組長の一人娘だった。
***
横浜の港が見える丘にある、白亜のゲストハウス。
柔らかな日差しの中、宗治と真理子の結婚式が執り行われていた。
「兄貴! いや、新郎! カッコ良すぎるぜ!」
タキシードの袖を捲り上げたケンが、誰よりも大きな声で祝辞を叫ぶ。その隣には、少し着慣れないドレスに身を包みながらも、クールにシャンパングラスを傾ける香織の姿があった。
「ありがとう、ケン。お前も早く身を固めろよ」
宗治が苦笑しながら答えた。
そこには少しお腹を大きくしたウェディング姿の真理子もいた。
「真理子さん、本当におめでとう。お腹の赤ちゃんと一緒に2重のおめでたなんて、羨ましいわ」
香織は本当に羨ましそうに言った。
「しかしさ、用意周到の宗治兄貴と元戦場医師の真理子さんが出来ちゃった結婚とか、おかしくねーか」
ケンが茶化すと、宗治はケンの腹に軽いパンチを入れて見せる。
「これも戦略だったりして」
香織も後に続き、その場は笑いに包まれた。
「今度はケンさんと香織さんよね」
真理子がそういうと、
「出来ちゃった結婚も悪くないか?」
ケンがニヤリとする。
「ばっかじゃないの?」
香織は照れ笑いを浮かべていた。
真理子の薬指には、美しいリングがこれ以上ない輝きを放っていた。それは、宗治の人生に初めて訪れた、確かな「光」だった。
その輪の中に、一人の男が加わった。
「いやあ、素晴らしい式だ。戦場から生還した甲斐がありましたねえ」
カメラを片手に現れたのは、かつてダマスカスやバハマで共闘した
「新田さん、よく来てくれました」
「宗治さんの晴れ舞台ですからね。今日はとびきりの絵を撮りますよ」
平和な時間が流れていた。誰もが笑顔だった。
だが、その光景は、一人の薄汚れた男の乱入によって唐突に引き裂かれた。
「ケ、ケンさん……! ケンさんはいねえか!」
式場の入り口で警備員に止められていたのは、鬼龍組の下っ端のチンピラだった。
ケンは眉を顰め、駆け寄った。
「なんだよ、めでたい席で。空気読めよ」
「それどころじゃねえんです! リュウジの兄貴が……リュウジの兄貴が、乱心しやがった!」
男の口から語られた内容は、あまりに衝撃的だった。
リュウジが、厳心を拉致したというのだ。そして、その動機は過去の真実。かつてリュウジの妻子が焼き殺された抗争。当時、まだ幹部だった厳心は、敵対組織から自分の身を守るため、身代わりとしてリュウジの自宅住所を敵にリークしていたのだ。
リュウジは、自分が忠誠を誓い、実の親のように慕っていた厳心こそが、家族を殺した元凶だったことを知ってしまったのだ。
「あの野郎……全部、自分のためだったのか」
ケンが震えた。
「リュウジの兄貴は、親父を薬で眠らせ車に押し込んで、新潟へ向かってやす。あの……家族が殺された、燃え跡の土地へ」
そこで、殺すつもりだ。心中する気かもしれない。
宗治が、真理子の肩を抱いていた手を離し、近づいてきた。
「行くぞ、ケン」
「兄貴、でも今日は……」
「真理子」
宗治が振り返ると、真理子は静かに頷いた。
「行って。あの人のこと、止めてあげて」
新婦の許しを得た瞬間、二人の目は「新郎と友人」から「傭兵」へと戻った。
「新田さん、ヘリを出せますか?」
「え? い、今からですか? 横浜ヘリポートからなら」
「特ダネです。ヤクザの内部抗争、カーチェイス付きだ」
「……面白い。乗りましょう!」
「ケンお前は! インターセプターを回せ! 香織はケンのバイクで所沢まで飛ばし、トラックで待機! いけるか? 詳しい指示は後でインカムで話す。時間がない」
「OK。ケン、車に傷付けたらタダじゃおかないわよ」
「わかってるよ。ベイビー」
純白の結婚式場から、黒い硝煙の匂いが立ち上る戦場へと、舞台は一瞬にして切り替わった。
***
関越自動車道、下り線。
練馬を過ぎ、関東平野へと伸びるアスファルトの動脈は、鉛色の空の下で湿った光沢を放っていた。
時速120キロ。法定速度を遥かに超えた領域で、5台の黒塗りSUVが隊列を組み、まるで一本の巨大な黒蛇のように車線を支配していた。他の一般車両が、パニックに陥りながらクラクションを鳴らして路肩へと避けていく。
その上空、さらに高い位置から、爆音と共に報道ヘリ『ニュースバード』が雲を切り裂いて降下してきた。
「気流が悪い! 揺れますよ!」
操縦桿を握る新田が叫ぶ。
「構わん、もっと寄せろ!」
宗治はヘリのドアを開け放ち、安全ベルト一本で身を乗り出していた。猛烈な風圧がタキシードの裾を鞭のように打ち付け、視界を奪おうとする。だが、宗治の目は眼下の黒い車列を鷲掴みにしていた。
「ケン、聞こえるか! ポイントは所沢インターを過ぎた直線区間だ。チャンスは一度きりだぞ!」
インカムの向こうから、V8エンジンの爆音と、ケンの興奮した怒鳴り声が重なって響く。
『了解だ、兄貴! このクソ重いハンドル、ねじ切ってやるよ!』
「香織。間に合ったか?」
『もちろん。いつでもいいよ。Max!』
「あの2人を車ごと回収する!!」
***
地上では、物理法則を無視した暴走が始まっていた。
最後尾の護衛車両のサイドミラーに、突如として黄色い閃光が映り込んだ。香織の愛車、インターセプターだ。ボンネットから突き出したスーパーチャージャーが空気を貪り食い、狂気的な加速を見せる。
「どきな、雑魚ども!」
ケンはアクセルを床まで踏み抜いた。
インターセプターのブッシュバンパーが、護衛車の右後輪付近――ピットポイントへ正確に突き刺さる。金属と金属が噛み合う不快な高音が響き、火花が散った次の瞬間、護衛車は物理的バランスを失った。
ギャギャギャギャッ!!
タイヤスモークを噴き上げ、2トンの鉄塊がコマのように回転しながら路側帯のガードレールへと弾き飛ばされる。
「一台排除! ゴメンな香織」
『仕入れたばっかりのスーパーチャージャー壊したら許さないよ!』
「最高だぜ、こいつ!」
ケンは減速することなく、ステアリングを小刻みに修正し、次なる獲物へ牙を剥く。
ヒュウウウウ!
凄まじいトルクで加速するインターセプターが踊る様に駆け抜ける。
それは格闘術のコンボのように流麗で、かつ暴力的なドライビングだった。二台目、三台目。ケンは強引に割り込み、幅寄せし、時には車体をぶつけて相手のサイドドアをひしゃげさせながら、隊列を食い破っていく。
「リュウジさん、どこだ……いたッ!」
隊列の中央。一台だけ挙動のおかしいSUVがあった。車線をまたぎ、蛇行を繰り返している。運転席のリュウジは、バックミラーなど見ていなかった。ただ一点、死に場所である新潟の方角だけを見つめ、涙で歪んだ視界のままアクセルを踏み続けているのだ。
「リュウジさん! 聞こえてねえのかよ!」
ケンが並走を試みるが、リュウジの車は不安定に揺れ、何度も接触しそうになる。
『ケン、無理に止めるな! 弾き出されるぞ!』
宗治の指示が飛ぶ。
『香織が位置についた。見ろ、前方だ!』
***
ケンの視線の先、追い越し車線に、異様な存在感を放つ「壁」が現れた。
産廃業者のロゴが入った、巨大な16トントラック。通常なら鈍重なはずのその巨体が、今は黒煙を吐き出しながら、SUVの車列と同じ速度、時速120キロで疾走しているのだ。
運転席の香織は、ガタガタと激しく振動するステアリングを華奢な腕で抑え込んでいた。大型トラックのサスペンションは、この速度域での走行を想定していない。路面の継ぎ目を越えるたび、車体が分解しそうなほどの衝撃が走る。
「Be good... be good...(いい子ね、暴れないで)」
彼女はフュリオサを気取る余裕すらなく、冷や汗を流しながらタコメーターを睨んだ。エンジンはレッドゾーン、悲鳴を上げている。
「ケン、ゲートを開けるわ。タイミングをミスれば、あんたごとミンチよ!」
香織がスイッチを押すと、トラックの後部油圧ゲートが、重苦しい機械音と共にゆっくりと開き始めた。高速道路のアスファルトが、黒い奔流となって後方へ流れ去っていく光景が口を開ける。それはまるで、地獄へと続く大口のようだった。
『宗治、相対速度合わせるわよ! 誘導して!』
上空の宗治が、全神経を研ぎ澄ます。
眼下では、巨大なトラックが口を開け、その後ろにリュウジのSUV、そして右サイドをケンのインターセプターが壁となって塞いでいる。
「よし……香織、時速118キロへ減速! ケン、リュウジの左側を潰せ! 退路を断て!」
『らじゃー!』
ケンがインターセプターを左へ振る。リュウジのSUVは、右は中央分離帯、左はケンに挟まれ、前方のトラックとの距離がみるみる縮まっていく。リュウジは前方に出現した巨大なトラックの荷台に気づき、本能的にハンドルを切り、ブレーキを踏もうとした。
「新田! ECU(エンジン制御ユニット)オート!」
「了解! 機体を安定させます!」
宗治は開け放したヘリのドアから、報道カメラに見せかけた特殊なランチャーを構えていた。
ターゲットは、時速120キロで走るリュウジのSUVのボンネット中央だ。
慎重にターゲットスコープを覗き込む宗治。息を殺す。
宗治は静かにレーザーポインターをリュウジの車のボンネットに当てた。宗治の傭兵時代からの経験が、わずかな風向きと機体の揺れを補正する。
レーザー誘導追尾弾ターゲットセット!
「当たれッ!」
宗治が引き金を引く。
フシュッ!
という空気の噴射音と共に、超小型EMPレーザーポイント追尾弾が発射され、リュウジの車のボンネットに吸い込まれるように着弾した。
次の瞬間、リュウジの車内の電装がパチンという音と共に落ち、エンジン音が途切れた。
「な、なんだ……!? ハンドルが、ブレーキが、効かねえ!」
電磁パルスによって電子制御を完全に断たれた車は、ただの鉄の塊と化した。リュウジは、目の前に迫るトラックの闇を、なすすべもなく見つめることしかできない。
「今だッ!!」
宗治の叫びが響く。
ブウ、ヒューーン!!
スーパーチャージャーがフルに回り始める。トラックのハンドルを握る香織の手に汗が滲む。
(ケン!)
香織は心でつぶやく。
「これで仕上げだーー!」
インターセプターの鼻先を右にねじ込み、制御不能になったリュウジの車のテールを突き上げる。
ドォォォォォン!!
物理的な衝撃が空気を震わせた。リュウジのSUVは、弾かれた弾丸のようにトラックの荷台内部へと滑り込んだ。
スピンしかけたインターセプターの体勢をケンは必死に抑え込む。
薄暗い荷台の中では、急ブレーキを踏んだSUVのタイヤがロックし、白煙を上げながら奥の隔壁に激突して止まる。
「入った! 閉めるわよ!」
香織が叫び、油圧ゲートのレバーを引く。鋼鉄の扉が上昇し、リュウジと厳心を飲み込んだまま、その中身を外界から遮断した。
減速しトラックから離れていくインターセプターもまた、静かなエンジン音へ変わっていく。
「フルブレーキ!!」
香織は両足でブレーキペダルを踏み抜いた。16トンの巨体から凄まじい摩擦音が上がり、タイヤから白煙が噴き出す。トラックは長いブラックマークを路面に刻みながら、路側帯へと斜行し、ガードレールを削りながら強引に停車した。
シュー……ッ。
エアブレーキの排気音が、長い余韻のように響き渡る。静止したトラックの荷台からは、白い煙が漏れ出していた。
「任務終了!! みんなよくやった」
インカムで宗治はみんなに任務終了を告げた。
上空で、宗治は額の汗を拭い、新田の肩を叩いた。
「降りるぞ」
***
宗治がパーキングから歩いてくる頃には、トラックの荷台からケンと香織が引きずり出したリュウジと厳心が、路側帯の壁にぐったりと背中を預けていた。
リュウジと厳心は、共に意識を失っていたが、やがて小さく呻き声を上げた。
「……う、うぅ……」
先に目を覚ましたのはリュウジだった。額から血を流しながら、彼は隣でぐったりしている厳心の胸ぐらを掴んだ。
「起きろ……起きろよ、親父ィ!!」
厳心が薄目を開ける。状況を理解した瞬間、厳心の顔が歪んだ。
「リュウジ……」
「なぜだ……どうして俺の家族を売った! 俺はあんたのために、泥水をすすって生きてきたんだぞ! あんたを本当の親父だと思って……!」
リュウジは泣き叫んだ。拳銃を厳心のこめかみに突きつける。だが、その手は震えていた。
「撃てねえのかよ! 撃ってみろよ!」
ケンが叫ぶ。
「そいつは親父なんかじゃねえ、ただの悪魔だ!」
しかし、厳心は動じなかった。それどころか、その老獪な目から、大粒の涙をこぼし始めたのだ。
「すまなかった……リュウジ、許してくれ……」
「……え?」
リュウジの手が止まる。
「あの時は、そうするしかなかったんじゃ。わしも若かった。組織を守るため、苦渋の決断だったんじゃ……。だがな、わしは一日たりとも、お前の家族のことを忘れたことはない。だからこそ、お前を本当の息子のように育ててきたんじゃ……」
厳心は、震えるリュウジの手を、自らの両手で包み込んだ。
「殺せ。わしがお前の手にかかるなら、それも本望じゃ。愛する息子よ……」
「おや……じ……」
リュウジの殺意が揺らいだ。彼の中にあった、長年の恩義と情愛が、復讐心にブレーキをかけたのだ。彼は泣き崩れ、銃を下ろし、厳心の胸に顔を埋めた。
「うあああああ! 親父ぃぃ!!」
宗治は、その光景に違和感を覚えた。
(違う。厳心……!)
宗治が叫んだ!
「リュウジ、離れろ!!」
その時だった。厳心の目が、爬虫類のように冷たく細められた。抱きしめるふりをして、厳心の右手が懐に滑り込む。銀色の閃光。
ドスッ。
鈍い音が響いた。
「が……?」
リュウジの背中が跳ねた。厳心は、リュウジの腹部に、隠し持っていた護身用の小刀を深々と突き立てていたのだ。さらに、躊躇なく刃を捻り上げた。
「あ……が……おや、じ……?」
リュウジが信じられないものを見る目で、厳心を見上げる。厳心は、先程までの涙など嘘のように、無表情で耳元に囁いた。
「甘いのう、リュウジ。情に流される奴から死ぬ。それが極道じゃ」
「てめええええ!!」
ケンが飛びかかろうとするが、宗治がそれを羽交い締めに止める。
「放せ兄貴! あいつ、リュウジを!」
厳心は、血に濡れた小刀を抜き、崩れ落ちるリュウジの体をゴミのように突き放した。そして、ハンカチで手を拭きながら、冷然と言い放った。
「ごめんよ、ごめんよ。わしも死にとうはないんでな」
リュウジは、宗治とケンの方へ手を伸ばし、何かを言いかけたが、口から大量の血を吐き出し、そのまま動かなくなった。
その瞳は、絶望と悲しみに見開かれたままだった。
***
救出された厳心は、何食わぬ顔で駆けつけた組員たちの車に乗り込んだ。去り際、宗治とケンの前で足を止め、ニヤリと笑った。
「ご苦労だったな。お前たちのおかげで助かった。やはりお前たちは最高の『道具』だ」
車が走り去る中、ケンはその場に膝をつき、拳をアスファルトに叩きつけた。
「なんでだ……なんで助けちまったんだ! 俺たちがここに来なければ、リュウジはあいつを殺せてたかもしれねえのに!」
宗治は、リュウジの遺体が警察に運ばれていくのを、無言で見つめていた。
今日の結婚式で見せた光あふれる世界と、今目の前にある底なしの闇。
「ケン。俺たちはとんでもない怪物を飼い慣らしているつもりで、その実、怪物の腹の中にいたんだ」
宗治の声は低く、重かった。
この日、厳心という男の本性を骨の髄まで見せつけられた二人の心に、消えることのない「組織からの離反」という種が植え付けられた。
「……辞めよう、兄貴」
ケンが涙を拭い、立ち上がった。
「いつか、絶対にこの世界から抜け出してやる。香織や、兄貴の家族……大事なもんを、あんな奴の生贄にはさせねえ」
「ああ。約束だ」
遠くで、祝いの鐘の代わりに、パトカーのサイレンが鳴り響いていた。
これが、彼らが「自由への扉」を開こうと決意する、決定的な一夜となった。
(第9話 完)
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