3
家に入り、キッチンへ向かった。トントンと、リズミカルな包丁の音がしている。
調理をしているのは、白髪まじりの女性だ。この一か月ほど、家事代行サービスで来てもらっている。
「ただいま、近藤さん」
声をかけると、近藤は包丁を置いて振り返ってくる。
「お帰りなさいませ。今日は遅かったですねぇ」
「ちょっとドタバタしちゃって。いい匂い。メニュー、なんですか?」
「ご希望通り、とんかつですよ。てんぷらは、冷めたらしなしなですから。宮川さんのいらっしゃるときにしようかと。来週にでも、どうですか」
「嬉しい。揚げ物なんて、ぜったい自分じゃ作らないもん」
小鉢に入っているきゅうりの浅漬けを、一つだけつまみ食いする。爽やかな塩味が口に広がる。疲労で完全にだらけた体を、引き締めてくれるようだった。
「ん~! 近藤さん、天才ですよね。出来合いなんて、もう食べられないわ」
「有難うございます。細かいとこを頑張らないと、アンドロイドに勝てませんから」
「負けるわけないわよ! 料理の種類は豊富だし、なんでも美味しい。これをいつでも食べられるなんて、ご家族が羨ましいですよ。娘になりたい」
「嬉しいですねえ。主人も息子も孫も、そんなに褒めてくれませんよ。ああ、そうそう。お部屋の片づけなんですけど」
浅漬けに伸ばした手が止まる。
「例のお部屋、冷房を付けてます? 扉まで冷えてましたよ」
少しだけ考えて、笑顔を作った。
「いやだ。消し忘れかも。確認しておきます」
宮川はキッチンを出て、オフィスカジュアルのままソファに座った。
テレビを付ける気にはならなくて、なんとなく、ぼんやりとする。なにもせずにいる間に、近藤は夕食のセッティングを済ませていた。
「では、私はこれで。また来週、よろしくお願いします」
「こちらこそ。あ、来られない日はスキップしてください。他のかたじゃ駄目……とまでは言わないけど。やっぱり、近藤さんじゃないと」
「まあ、まあ。そこまで言っていただけるなんて。わかりました。そうします」
深々と頭を下げて、近藤は帰っていった。とんかつの並ぶ席に座ると、宮川はスマートフォンを取り出した。家事代行サービスのアプリを立ち上げる。
「プラス五千……六千円にしとこ」
近藤の基本料金は、二時間で五千円だ。アンドロイドスタッフの場合は、なんと一時間で五千円。近藤がアンドロイドに劣る評価をされるのは、納得いかない。
チップで六千円の決済をすると、とんかつにかじりついた。衣は立っていて、噛むとザクッと音がする。一人では広すぎるリビングに、人間の温かみが広がった。
(一緒に食べるサービスもあればいいのに)
静寂の中、三十分かけて食べきる。冷蔵庫を開けると、作り置きの料理がつまっていた。近藤が次に来るまでの食事だ。
「……作れるように、ならなきゃね」
愛情に満ちた冷蔵庫を閉じた。キッチンを出て、近藤の触れていない部屋へ行く。
しばらくドアの前に立ち尽くした。そっと触れると、木製の扉は冷え切っている。
カードキーで扉をあけると、溢れる冷気で鳥肌が立った。いくら夏でも、室内の薄着に十八度は寒すぎる。
それでも中へ入り、電気を付けた。クローゼットとベッドだけの、シンプルな寝室だ。冷房の強風で、カーテンは揺れている。
ただ一つ、特殊な物もある。金属製の大きな椅子だ。たくさんのソケットが付いていて、ケーブルも数本生えている。
ケーブルは、ベッドの上に伸びていた。すべて、一か所に集中して繋がっている。
「ただいま、
ケーブルの差し込まれた先は――若い男性型アンドロイドだった。
右腕がはずれ、左の指先は砕けている。両脚は、膝で二分割されていた。けれど、顔は綺麗なままだ。眠っているように見える。
宮川は、アンドロイドの横に座った。
「乃亜。ただいま」
もう一度声をかけたけれど、返事はない。
修理をすれば、普通は動くようになる。けれど、乃亜はもう治らない。
「……私には、もう、あなただけなのに……」
触れても、乃亜は動かなかった。この一か月、ずっと充電ケーブルを繋げたままにしている。けれど、かすかにも動いてはくれない。
「いよいよ明日ね、あなたのお葬式」
乃亜は、ラバーズだった。
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