「名簿」
ナカメグミ
「名簿」
左から右へ。目を走らせる。1988年5月。高校に入学して1ヶ月。学年名簿が配られた。1学年全クラスの生徒の名前と住所、そして父母の名前と、その職業。
俺の父親はドクター。医師。旧帝国大学医学部の教授。最高峰。母親も同じ大学出身の医師だ。
クラスには既に、俺の取り巻きができた。医師の息子たち。俺たちはつるむ。当たり前だ。幼いころからの育ちがちがう。背負うものがちがう。他の生徒たちとは。
同じクラスの男子生徒の欄に目をやる。父親の職業。弁護士、建築会社経営、設計士、公務員、名の知れた企業の会社員。そしてあいつ。大嫌いなあの男。
女に目を移す。あいつ。大嫌いなあの女。
男1人、女1人。1ヶ月経っても、クラスで俺に懐かない。敬意を示さない2人。
名簿を確認して納得だ。2人とも父親の欄が空欄。母子家庭だ。そして母親の職業欄。会社名は違えど、財閥系の生命保険会社の外交員。
これだから育ちの悪いやつは。礼儀を知らない。俺の相手ではない。言い聞かせる。左手の爪を噛む。
* * *
6月。最初の定期テスト。あの男。数学がクラスで1位だった。俺よりかなり、上の得点。なのに答案の点数を見た途端、両手でクシャクシャと丸めた。納得できない点数だったらしい。俺より上なのに。ヤツは俺を見ていない。悔しい。
あの女。学年でただ1人、英語が100点だった。英語の授業での音読。発音に、東大出身の英語の男性教師が興奮していた。小学校から英会話を習ってきた俺の音読は、なぜ褒めない。教師もあの女も、俺を見ていない。悔しい。
大嫌いな2人の共通点。塾や予備校に通っていない。難易度高めの通信教材だけだという。冷笑。だよな。母子家庭、金、ないもんな。
そして湧く憤り。じゃあ、なぜ俺より成績がいい?。現役合格で名高い受験予備校に通う。バスケットボール部で活動しながら。父も卒業したこの高校特有の、毎日の膨大な課題もこなしている。なのになぜ、この俺より。左手の爪を噛む。憎い。
* * *
アンチ。どこにだっている。主流なものへの反発を持つものたち。
俺の周りは、育ちのよいものたち。この高校での主流だ。医師、弁護士、公務員の息子や娘。いわゆる知的職業。恵まれた家庭と、幼いころからの英才教育が共通項だ。
そして俺のアンチ。あの男を中心とする粗野な連中。建設会社の息子。民間企業のサラリーマンの息子。エリートに反発を持つ、その他のもの。
テストのたびに闘う。比べられる。勝つ。負ける。その繰り返し。憎い。
国語の授業。現代文だ。あの女の音読。とちらない。放送部であの女は、アナウンス担当ではなく脚本担当らしい。でもたまに、生徒の呼び出し放送をしている。年配の男性教師が、読み終えた現代文にちなんで、あいつに軽口をたたいた。
「きみも結婚したら、だんなさんの姓に変えるのかな?」
「いえ、結婚しません」。
教室の空気が凍る。困惑気味の男性教師。慌てて授業に話を戻す。
バーカ。空気読めよ。そこは恥ずかしそうに、「えー、はい!」と答えるのが、この場での女の正解。教師のいうこと、全否定して、どうする?。
あいつは人に合わせる気がない。口に持っていきかけた左手を、慌てて戻す。
* * *
2学期半ば。後期の学級委員の選挙。自薦なし。他薦。俺とあの男の名前が、黒板に並んで書かれた。小学校、中学校と、学級委員長は当然だった。煩わしい。でもエリートの宿命。内申点のため。粛々と受け入れてきた。
それがヤツと競う。初めての屈辱。接戦。2票差で俺が勝った。たった2票。16年間で1番の屈辱。頬が熱を持つ。憎い。
学校祭。俺は行灯部門のリーダー。行灯は花形だ。屋外での作業。みんなで作り、みんなで泣く。当日、グラウンドに展示する。来校者や在校生が投票して、学年順位を決める。中島敦の「山月記」をテーマにした。虎と対峙する男。結果は3位。
展示部門。1枚の巨大な絵画を仕上げて、体育館の壁に展示する。根暗な奴らが数人、夏休み中の教室の片隅で色を塗っていた。宗教画をステンドグラス風に再現したもの。学年1位。リーダーはあの女。
全校集会での表彰は、1位のみだ。無愛想なあの女。左手の爪を噛む。憎い。
* * *
あの男。テスト。負ける。憎い。
あの女。俺が決めた学級アンケートの方法に、効率が悪いと意見した。憎い。
高体連。あの男は1年でラグビー部のレギュラー。憎い。
高文連。あの女が、放送部のドラマ部門で入賞。憎い。
秋の実力テスト。配布されたクラスの得点順位表。
英語、数学、国語。主要3教科の合計得点順位。あの男が1位。2位は俺の最側近。父親が、親父の大学時代の1個下だ。3位はあの女。俺は4位。過去最低。
申し訳なさそうにしながらも、うれしさを隠せない最側近。憎い。
いくつかの視線。頬が熱い。憎い。なんてものじゃない。それではすまない。
* * *
土曜日。午前はバスケットボール部の練習。レギュラーはまだだが、長身の俺の得意分野だ。最近、数少ない充実感に包まれる。昼飯は高校近くのケンタッキーで、チキンフィレサンドとコーヒー。市街地中心部にある、現役予備校の授業に向かった。
夕方6時半。雑多に店が集まるアーケード街。その中程に、昔から母とよく立ち寄る老舗の刃物店がある。母は使い勝手がよい何本かの包丁を、この店に研ぎに出す。幼いころから、俺も一緒に来ていた。男性店主とは顔なじみだ。
人の良さそうな店主に、母から、家にあるのと同じ包丁を買ってくるように頼まれたと告げた。店主は、商品が陳列されたガラスケースの鍵を開けた。その包丁を取り出す。細長い専用の箱に包んでくれた。
帰ると、母が台所で魚を捌いていた。母の故郷の港町から送られてきた魚。普段はサークルやバイトで家にいない姉も、短大からまっすぐ帰宅した。
今日はお祝いだという。姉が、地域イベントをPRするためのミスコンで、優勝したという。容姿しか取り柄がない姉。同じ英才教育を受けながら、短大しか合格しなかった姉。この家に生まれて、医師になるという責任を放棄した姉。
嬉しそうな母よ。医師の母よ。あなたは知性ではなく、女の容姿の勝利を祝うのか?
母の手料理を、家族4人で食べる。和やかな会話。誇らしげな姉。
自室に戻る。明日までの膨大な課題が待つ。いつも追いかけられている感覚。
あと2年半の高校生活。ストレートで大学医学部に合格して、留年なしだとしても、プラス6年。合計8年半。学年名簿を破った。左手の行先を、紙で切った。
買ってきた包丁は、母には渡さなかった。
* * *
夕方の教室。廊下に夕日が差し込む。授業が終わったらしい。
教室のドアが開いた。出てきた。廊下を歩いている。あとをつける。これまで抑えてきた憎しみ。肩にかけたリュックから、買った出刃包丁を出す。右手に持つ。早歩き。追いつく。前にまわる。
対峙する。あいつの少し左側に立つ。俺の方が高い身長。右脇腹に、いきおいよく刃を食い込ませた。
あいつが腹を押さえながら、前に倒れこんだ。通りがかった人たちから、悲鳴が上がる。人が集まる。あいつの白衣の上に。床の上に。広がる赤。周りも白衣。旧帝国大学医学部の学生たち。今、吐き出した、16年間の鬱憤。
あんたの肩書きが最高峰だから、息子の俺がこんなに苦しむ。ごめんね、父さん。
(了)
「名簿」 ナカメグミ @megu1113
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます