境界の標本室
ましろとおすみ
プロローグ 境界の標本室
あの場所は、ハヤトとアカリにとって「冒険の終着点」であり、「世界の起点」だった。
それは街の外れ、線路の脇にある、長く使われていない小さなレンガ造りの倉庫。高架の影に沈み、周囲をゴミや廃材が取り囲んでいたから、大人は誰も近づかない。
しかし、小学校高学年の彼らにとって、そこは「誰にも見つからない秘密基地」に最も近い場所だった。
「ほら、見て!この隙間、昨日より少し広くなってる。」
痩せた体躯を持つアカリが、錆びた鉄扉の蝶番を指差す。
ハヤトは鼻を鳴らして
「気のせいだろ。」
と言いながらも、その扉に手をかけた。
ギ、ギギ……と、倉庫の歴史の長さをそのまま音にしたような軋みが響き、扉はわずかに開いた。
中には、埃とカビの匂い、そして鉄や電子機器そんな奇妙な匂いが充満していた。
外から差し込む光の筋の中、大量の電線、古ぼけた実験器具、そして棚に整然と並んだ「何か」の標本が見える。ホルマリン漬けにされた昆虫、見たこともない植物の種、そして、
——なぜか透明なアクリル板に封じられた「音の波形」
その雑然とした、しかし妙に統一感のある部屋の奥に、男が立っていた。
いつも分厚い白衣を着て、くせ毛の頭を掻き、骨ばった指で小さな金属片を弄んでいる。年齢はよく分からないが、常に疲れているような、そして世界に飽きているような目つきをしていた。
その男が、この「境界の標本室(ラボラトリー)」の主だった。
彼の名前は、子供たちにはどうでもよかった。ただ「先生」と呼んでいた。
「また来たのか。君たちの『素朴な疑問』とやらは、まだ尽きないのかね?」
彼は顔を上げず、問いかけた。
「尽きないよ!」
とアカリが即答した。
「先生のいう『科学』って、私たちの学校で習うのと全然違うんだもん。」
「当たり前だ。」
と先生は吐き捨てるように言った。
「学校で教えるのは『証明された安全な世界』についてだ。ここは、証明されきっていない、もしかしたらあり得るかもしれない、そんな『不安定な世界の歪』だからね。」
彼はその日、二人の子供に、一見美しく聞こえる、しかし、実に恐ろしい「感覚の崩壊」の物語を語り始めた。
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