狭間の少女

柏木椎菜

一話

 ――頭が、痛い。この痛みは何だろうと思って私は目を開けた。気付けば床板の上で寝転がってて、目の前には暗い天井が見える。おかしいな。私はちゃんと敷布の上で寝てたはずなのに。寝相もそんなに悪くなかったと思うけど。でも今はそんなことより、この頭の痛みの原因を突き止めようと、とりあえずゆっくり立ち上がった。


 足下がふらついたり、他の部分が痛いとかはない。異常があるのは頭だけみたいだ。私は髪が伸びてボサボサな頭に恐る恐る手を這わせて痛む箇所を探す。


「……あ、ここだ」


 後頭部のやや上辺りに触れると、少しだけズキンと痛みを感じた。指先で優しく触れながら状態を確かめてみると、何やら切れたような傷ができてた。幅は結構ある。でも血はもう止まってるみたいだった。こんな傷、いつできたんだろう。少なくとも寝る前にはなかったから、寝てる間にできた……? 私は自分が立ってる周囲を見回してみる。もともとほとんど物が置かれてない場所だ。寝ぼけて頭を切るような鋭い物なんかあるわけもない。あるのは私が寝てた敷布と、トイレ用のバケツぐらいだ。


 それらを眺めてると、視界の隅に何かが見えた。石の壁際、薄闇の中に、両手両足を投げ出して倒れる人影があった。驚いた。ここに私以外の人がいたなんて。緊張しながらそろりそろりと近付いてみる。寝てるのか、気を失ってるのか、それとも――


「……はっ」


 思わず息を呑んだ。うつ伏せに倒れた人の頭からは血が大量に流れてた。それが顔の周辺で血だまりになってる。顔をのぞき込むのも怖い。この人はもう、死んでる……。私は後ずさりながら離れた。顔は見れなかったけど、長い髪と体格、服装から、私と同じぐらいの女の子のように見える。そして多分、誰かに襲われてこんなことに……。もしかして私の傷も同じ犯人がやったんだろうか。だけど、犯人って? 何で私達は襲われたの? まだよくわからない。ここにいてもどうしようもないし、誰か助けを……そう言えば、上の見張りの人はどうしたんだろう。気付いてないわけないし、まさか、同じように襲われて……?


 私は部屋の扉に近付いて、その取っ手を握って引いてみる。と、扉はあっさり開いてしまった。いつもは鍵がかかってて内側から開けることはできないのに。やっぱり何か変なことが起きてる。このまま上へ行って大丈夫かな。でも行かないと助けは呼べそうにないし――私は勇気を振り絞って狭い階段をゆっくり、慎重に上がった。


「あの……」


 地下から一階に来て、壁から顔だけをのぞかせながら声をかけてみた。でもどこにも人影はない。それどころか、机や棚などがひっくり返されてて、部屋中がまるで嵐にでも遭ったみたいに荒らされてた。一階に来るのは数年ぶりだから、元の部屋の様子は細かく憶えてないけど、でもここまで散らかった部屋じゃなかったのは確かだ。見張りの人はどこへ行ったんだろう。


 それにしても、この漂う焦げ臭さはなんだろう。地下にいた時も何となく感じてたけど、一階に上がってからさらに臭いが増した。それともう一つ、静か過ぎる気がする。部屋に誰もいないんだから静かなのは当たり前だけど、建物の中にいたって少しは外の物音が聞こえてくるはず。なのに話し声も、ロバの歩く音も聞こえてこない。おかしい。胸騒ぎが止まらない。確かめないと――焦げ臭さと静けさに引き寄せられるように、私は玄関の扉を震えそうな手で開けた。


「きゃっ……!」


 開けた隙間から見張りの人の顔が見えて咄嗟に後ろへ飛び退いた。が、その状態を冷静に見て、どうにか心臓の鼓動を抑えた。見張りの人は地面に倒れて、血の付いた顔を空へ向けて微動だにしない。宙を見つめたままの半開きになった両目に生気は感じられない。この人も死んでる……。私と同じ犯人に襲われたんだろうか。できるだけ顔を見ないように玄関をくぐり、横たわる身体をまたいで外へ出た。


「……何、これ……」


 集落の広場へ向かおうと先を見やって、その途中にある緑の景色が黒く焦げてることに気付いた。多くの木が葉をなくして無残に焦げた幹だけになってるけど、いくつかの木はまだ小さな火に燃やされ続けてる。焦げ臭かったのはこれが原因……火事なのか、放火なのか。


 とにかく誰か見つけないとと、小走りで広場に着いて呆然とした。住人の家や家畜小屋、そのほとんどが燃やされて骨組みだけになってた。元の形なんてわからないほど、黒い柱と灰があちこちに見える。でも呆然としたのはそれだけじゃない。ご神木の立つ広場には、何人もの住人が点々と倒れてた。若い人もお年寄りも、男性も女性も、皆どこかに赤いものを付けて死んでる。私や地下室の女の子と同じように、誰かに襲われて殺されたに違いない。だけど、数十人はいる住人をたった一人で殺して回れるものなんだろうか。ここには何人も男性がいて、相手が一人なら彼らに止められそうなものだけど……いや、一人じゃなかったの? 犯人は複数人で、住人を襲った? でも何で? ここには金目の物も、豊富な食料もないっていうのに。それ以外で集落に侵入して、しかも住人を殺して回る理由なんか――


「……もしかして、報復で……?」


 私はそこで思い出した。地下室にいた時、あそこの扉は薄いから一階での会話がたまに聞こえてくることがあって、見張りの人と他の住人がこんなことを話してたのを聞いた。西のやつらが大層怒ってるらしい、と。


 何年か前に聞いた話だと、この辺りには私の住む集落と、西のほうにもう一つ集落があるらしい。私達は家畜や畑を持ってるけど、外で鳥や兎を狩ることもある。その狩り場を巡って、西の集落と長年揉めてたそうだ。よっぽどいい狩り場なんだろう。こちらもあちらも譲りたくなくて、仕掛けた罠を勝手に外したり、狩り場の入り口で通せんぼしたりしてたという。私が生まれる前からそんなことが繰り返されてたらしく、お互いのやることが日に日にエスカレートするのは当然だったのかもしれない。地下室で聞いた、西のやつらが大層怒ってるらしいっていうのは、どうやら狩り場であちらの住人が大怪我をしたからで、それはこちらの住人が邪魔をしたせいだという。でも会話してた二人は、濡れ衣もいいところだとやっぱり怒ってた。お互いが非難し合って、多分、上手く解決できなかったんだと思う。それで西の人達は堪忍袋の緒が切れてこんな報復を……。確実なことは何もないけど、いろんな話から考えれば、犯人は恨みを持った西の住人なんだと思う。他に思い当たることはないし、こんなに命を奪うなんて、一時の恨みだけでできることじゃないと思う。


「ひど過ぎる……」


 私は地面に横たわる住人達を横目に、どこかに生き残った人はいないか歩き回った。そうしてる時に、ふと脳裏によぎったのはお父さんのことだった。もう何年も会ってないし、家もどうなってるかわからないけど、どこかにいるんだろうか――そう思ったら、昔の記憶を頼りに私は自分の家のあるほうへと歩き出してた。


「……ここ、だよね」


 周りに少しだけ残る元の景色を頼りに、私はそれらしい場所まで来てみたけど、目の前にあるのは焼け崩れて灰になった家の残骸だけだった。玄関があったはずのところを一歩中へ踏み込んで、焦げた柱に囲まれる部屋を見回してみたけど、お父さんの姿はどこにもなかった。家にはいなかったのか、それか、炎に巻き込まれて焼かれちゃったのか……とにかく、ここにお父さんはもういない。別に悲しくはない。お父さんも、私のことなんて何とも思ってなかったんだ。地下室に監禁されても、出そうとしてくれたり、会いにも来てくれなかった人だ。再会できたとしても、何も期待することはない。それでも、小さい頃は優しくていいお父さんだった。


 そんなふうになったきっかけは、私が監禁されることになったからで、じゃあ何で監禁されたかと言えば、周りの大人達が言うに、私には悪魔が憑いてるかららしい。


 はっきり憶えてないけど、三、四歳ぐらいから、私は他の人には見えない存在とおしゃべりすることができた。すでに死んだ人や動物とか、正体がわからない光る物体とか、相手は様々だ。その中でも特に話してたのは、姿は見えないけど、声だけ話しかけてくる存在だ。穏やかで、優しい声で、私に寄り添って話してくれてた。わがままなことを言う存在もいたけど、この子だけはいつも変わらなかった。だから私はこの子を友達のように思ってた。


 六歳頃、周囲の同年代の子達が、私が一人で話してるのを不思議に思って、大人に教えたのをきっかけに、集落中が私のしてることを知った。でもその時は幼い子供のしてることだと、特に問題にはならなかった。そのうちやめるだろうと思ったのかもしれない。でも私は九歳になっても見えない相手とおしゃべりしてた。やめる気配がない様子に、だんだんと大人達は眉をひそめ始めた。そして十歳になっても変わらないとわかると、誰かがあれは病気じゃないかと言った。家にお医者様が来て診てもらったけど、どこも悪いところはなかった。病気じゃないとすると、次に大人達は悪いものに憑かれてると言い出した。でなきゃ説明がつかないと。


 そんな私をお母さんとお父さんは守ろうとしてくれた。悪魔なんて憑いてるはずない、この娘は特別な娘なんだって理解しようとしてくれた。見えない何かと話してるだけで何も迷惑なことはしてないとも。でも他の大人達は聞き入れてくれなかった。今は何ともなくても、もし悪魔なら後々集落の住人が殺されてしまうと、特に信心深い人達は皆の恐怖や不安を煽った。そうして話し合いをした結果、私は悪魔憑きと判断されて、空き家の地下室に監禁されることになった。


 怖くて寂しくて泣き叫ぶ私の元に、一度だけお母さんが来たことがあった。見張りの人に危険だからと急かされながら、ごめんね、しばらく辛抱してちょうだいと目に涙を溜めながら言って去った。私はその言葉を励みに、孤独な時間を乗り越えようとした。そのうち迎えに来て、ここから出してくれるはずだと。でも何の変化もないまま四年が経った。その間、お母さんは迎えに来ないし、お父さんに至っては会いにも来てくれなかった。今じゃもう見捨てられたんだと思ってる。私のことを、やっぱり悪魔憑きだと思って近寄りたくなくなったんだろう。だけど、閉じ込められた私に見せたお母さんの涙だけは信じたい。あれは私を思う母親の気持ちだったんだと。娘のことを少しは愛してくれてたと……未練を引きずり過ぎだろうか。


 焼けて無くなった家を後にして、私は再び広場に戻った。その真ん中に立つご神木も枝葉を焼かれて、上半分が黒こげになって無残な姿になってる。それを見上げながら、何も考えられない頭で、これからどうしようかと無理に考えようとしてた時だった。


 かろうじて原形をとどめたご神木の根元に、何かうごめく物体を見つけて私は見つめた。それはうっすらと青い、半透明の、ウネウネと動く球体……なんだろうか。宙に浮いてるせいか、丸い形はあんまり保ててないけど、たとえるなら、瓶や壺の中に入った水が、揺らして波打つような動きに似てるかもしれない。私もいろいろ不思議なものを見て来たけど、こんな謎の動きを見せるものは初めて見た。でも自分でもわからないけど、そんなに怖さを感じない。この子は悪い子じゃない――そんな気がして、私はうごめく物体に近付いてみた。

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