最終話
あいをしる-1
本州を南下する新幹線の自由席の乗車率は、100パーセントを超えた。
12月29日。
年末の帰省ラッシュ、ピークである。
1か月前の予約でも、指定席はほとんど空きがなく。
佐伯は少し奮発して、グリーン席のチケットを2枚、選んだのだ。
「デッキで立ってても良かったのに」
少し前まで、羽振りのいいホストだったはずの恋人が、ちょっとリッチな旅路の嬉しさを誤魔化すように、なにか言っている。
「快人さんは若いからいいけど、ぼくはおじさんだから、やめてよ」
佐伯は笑いを噛み殺しながら、冗談を交えて応えた。
窓際の席を快人に譲り、佐伯は通路側の席から、混み合う車内に視線を巡らす。
年末年始の時期だというのに、ビジネスマンの姿も、ちらほら伺えた。
後ろのほうから、幼い子どもたちの歓声が聞こえる。
母親らしき女性の声が窘めても、言うことを聞かない。
不快だとは思わなかった。
きっと、これから祖父母の家か、宿泊先に向かうのだ。
楽しみでないほうがおかしい。
「爽クン」
呼ばれて、快人を振り向く。
「爽クンのお母さんて、どんな人?」
そこにあるのは、いつもと変わらない快人の顔だったけれど。
見間違いかも知れない程度に、頬が強ばっている。
いつの間にか、快人の強がりに、気づけるようになっていた。
嫌われるかも知れないと恐れる快人の怯えを、見逃さないよう、アンテナを張り続けていたからだろうか。
「見た目はね、ぼくを少し、まぁるくした感じの人」
だから、佐伯はいつも通りに応え、少しだけ、肩をくっつける。
快人の身体が微かに、震えたのが伝わる。
「どこにでも居る、おばさんだよ」
と、佐伯は明るく言った。
「ぼくが今、こうして快人さんと一緒に居られるのは、母さんのお陰かもね」
自分で言って、くすぐったくなった。
発車ベルの音がする。
車体は揺れることもなく、静かに動き出す。
快人の向こうに見える車窓の、更に外側。
旅立ちを見送る人々と、旅立ちを待つ人の姿が混ざり合うように存在している。
車内アナウンスを聞きながら。
「父さんは喋らない人だけど、いつもニコニコしてるから、怖くないよ」
快人の膝に置かれた手を握る。
暖房で温もる車内では、ひんやりした指先が心地いい。
「怖くない」
傍にいる。
佐伯の思いが伝わったのか、快人は小さく頷いて、
「……うん」
佐伯に寄りかかってきた。
肩を寄せ合い、頭をくっつけるなんて、恋人同士みたいだ。
佐伯がなんとなく、今更な事実に思いを馳せていると。
隣から、微かな寝息が聞こえた。
今朝、緊張して眠れなかったと騒いでいたから。
快人の髪に頬を寄せ、佐伯も目を閉じる。
ヒカルと飲み会をした週の、土曜日。
休日出勤をした足で、快人の職場の近くまで迎えに行くと、向こうからやって来たのは、黒髪の爽やかイケメンだった。
一瞬、誰だかわからず、きょとんとする佐伯を見つけて、
「びっくりした?」
快人がいたずらっ子のように笑う。
「次の職場も、髪色、自由じゃなかったの?」
佐伯が戸惑いを隠さずに聞くと、快人はひとつ、頷いて、
「自由だけど」
目を伏せ、視線を逸らす。
「ほら、爽クンのご両親に、会いに行くじゃない?」
なにか言いにくいことでもあるのかと思った矢先、快人が照れくさそうに笑うから。
飲み会の帰り道で聞いた快人の覚悟は、本物なんだと理解する。
──俺、こんなだし。
──爽クンに、いっぱい、迷惑かけちゃうけど。
──ちゃんとするから。
──ずっと、一緒に居たい。
泣きそうで、けれど真摯な快人の顔に嘘はなかった。
佐伯は佐伯で、虐待サバイバーのノンフィクションを立ち読みするくらいには、勉強していたし。
誰かの人生を半分、背負うことの意味を、何度も、何度も自分に尋ねてきたから。
快人の手を離した。
依存ではなく、ふたりで共に立とう。
その決意を伝えるために。
佐伯と同じか、それ以上の覚悟を、快人が行動で示してくれたことに、なにも言えなくなった。
「……変、かな」
佐伯が自分の意思で、髪を切ったときと同じように。
呆然とする佐伯に、快人がしゅんとする。
「似合ってる」
佐伯は正直に感想を伝えてから、
「でも、見慣れなくて、変な感じ」
茶化して笑う。
顔を上げた快人も、おかしそうに笑った。
ふたりで見る景色は、少しずつ、確実に、彩度を増していた。
新幹線が停まるターミナル駅から、ローカル線に乗り継いで、15分。
段々になった茶畑の遠景が、夕暮れに溶けている。
軽自動車で迎えに来た母の姿を駐車場に見つけ、駆け寄ろうとした佐伯の傍らで、快人の表情に怯えが走ったのを見逃さない。
「大丈夫だよ」
佐伯はそっと、身体を寄せて囁く。
「なにがあっても、ぼくが守るから」
ハッとした顔をして、佐伯を見た快人と、
「おかえり」
ふたりに気づいて手を振る母の反応が重なる。
佐伯は快人の手から、荷物を入れたリュックを取った。
我先にと走り寄る。
「ちょっと、爽」
ただいま、と告げるより早く、母から腕を叩かれた。
「お友だち、カッコイイならカッコイイって言ってちょうだい」
頬を赤らめ、少女のような反応をする母の姿は新鮮だった。
なるほど、イケメンは正義である。
どうやら、化粧をせずに来てしまったことを恥じているようなのだが。
正直、どちらもたいして変わらない。
「そういうのやめてよ、恥ずかしい」
佐伯は嘆息して、ゆっくりとやって来る快人を振り向いた。
整った顔立ちで、スラリとしたスタイル。
売り出し中のモデルと言われても違和感のない彼が、今は、佐伯のパートナー。
込み上げる感慨を噛み締め、佐伯は快人に手招きした。
彼が浮かべたのは、苦笑いだった。
ふたりが佐伯邸に着いたのは、17時過ぎ。
周囲はすっかり、夜に没している。
昨年、還暦を迎えた父も在宅で、ふたりの帰省を朗らかな笑みで出迎えた。
「お夕飯、なにがいい?」
と尋ねる声が、キッチンから聞こえる。
「鍋にしようよ、あと、これ、お土産」
佐伯が迷わずキッチンに向かい、母とあれこれ話す後ろで、快人が立ち尽くしている。
「快人さん、座ってて、なにか飲む?」
ダイニングテーブルに着くことを促そうと近づくと、
「……ほんとに俺、迷惑じゃない?」
快人が押し殺した声で念押しするから。
佐伯はクスクス笑って、
「じゃあ、一緒に、母さんの手伝い、しよっか」
快人の背中を、キッチンへ押した。
そこは元ホストである。
佐伯の母が快人について、あれこれと尋ねる質問には丁寧に答え、はぐらかすところは、はぐらかし。
質問を返すことも忘れない。
すっかり、佐伯を抜きに話の盛り上がる快人を見つめていると、
「彼は話が上手いんだなぁ」
なんて、リビングからやって来た父が言い出す。
「服屋の店員してるからね」
元ホストだったことには触れず、佐伯は肩を竦めた。
「母さん、嬉しそうだなぁ」
椅子に「よっこいしょ」と座りながら、父が呑気に言うので。
「……妬かないの?」
佐伯は思わず、尋ねていた。
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