じじデンティティ
萬多渓雷
なんでそうなる。
気になる。なんでそうなったんだ。このおじさんは今日、なんでこの装いで外に出たんだ。
日曜日だというのに俺は仕事のために今電車に乗っている。地下鉄千代田線に揺られ目指すは東京駅。十一時の列車の中には平日とは異なり多くの人が乗っていた。三連休の中日ということもあり、家族連れや学生が都心に向け胸を躍らせ乗車しているのだ。音の流れているイヤホン越しでもわかる、浮き足だった会話がこれから打ち合わせをしにいかなきゃいけない俺の心を引っ掻いてくる。
クーラーが効き冷えている車内に乗れば、さっきまでかいていた汗は五分ほどで引いていき、座っている座席の湿り気にも慣れてくる。しかし、目の前に立つおじさん含め、視覚に入ってくる人口密度により、妙なむさ苦しさと漠然とした不快感は増していった。
俺の不快感を助長しているのはおおむね、この目の前にいる吊り革を両手で握ったおじさんの装いが原因だろう。不快感というより、強い疑問と言った方が合っているかもしれない。俺の頭はなんでもないスタンダートおじさんに支配されていった。
本当に普通のおじさんである。普通のお父さんファッション。
ニューバランスの黒スニーカー。
デニム。
皮のベルト。
グレーのポロシャツ。
細い銀フレームの眼鏡。
白のGショック。
肩掛けのサコッシュ。
ただ、なんでこうもひとつひとつ気になるアイテムなんだ。整理しよう。まず気にならないところから。細い銀フレームの眼鏡。これは別になんてことない。仕事とプライベートで汎用できるデザインだ。両手で吊り革を掴む姿にどこかで聞いた曲の歌詞にあった『冤罪対策』を思い出した。よってこの人の仕事はスーツを着て電車通勤しているものだと勝手に仮定する。それ含め眼鏡は別に違和感はない。
…それ以外。そうそれ以外は気になるところだらけなのである。なぜ黒にゴールドのラインの入ったニューバランスなのか。こう…もっとあっただろ。としか言い表せないのだが、若いとも違う、一種のヤングカルチャーを彷彿させるカラーリングじゃなくてもよかったのではないか?
なぜそのグレーのポロシャツの襟は二枚重なっていて、下の襟は赤青白のギンガムチェックなのか。そしてなぜ基本的にステッチが赤いのか。
なんでデニムの尻ポケットのステッチも赤い。合わせた、と言えばそうかもしれないが、そこが気になるくらいなら、そんな尻ポケットがポケットonポケットになっていて、上から革の蓋が付いているダメージデニムを着るだなんて選択はしないだろ。金属製の大きめのボタンまでついていて、座った時に邪魔に感じないのか。
あー、なんでベルトの余りがびよんと体の範囲を超えるほどに飛び出てる。その長さがあればパンツのベルトループから抜けてしまうことなんて滅多にないだろ。
白のGショック?眼鏡が仕事で使っているものだとするなら、時計も多分そうしないか?プライベートは気分を変えて…いや、わからんでもないけど、白のGショック??
ってか結構がたいがいいな。ゴルフか?鍛えているって感じの体つきをしている。うん。サコッシュは普通だな。洒落てるブランドものでも、尖った見てくれでもなくて、黒い無難なデザインだ。
それもまた変なんだよ!襟が二枚になっている赤いステッチのポロシャツに白のGショックを合わせる気概のあるひとは、もっと特徴的なバッグを身につけていてくれよ。その銀縁メガネも。いっそティアドロップのサングラスとかかけてくれた方が彼のアイデンティティなんだと受け入れられたのに。
今日に至るまで、幾つものを選択をし、その選択によってこの装いで都心へ向かおうと決めたわけだ。ひとつひとつを見れば、なんてことはない。物に罪はないわけで。でもそれらがこうやって揃った時に、なんでこうも『おじさん』としてのオーラが出てきてしまうのか。
いや、わかっているんだ。俺が気にしすぎているんだ。普通に『おじさんである』と消化すればいいだけのこと。多分こう思わせるのは、自分にもおじさんとしての意識が芽生え始めているからなんだろう。
三十歳を迎え、学生時代に『いくつからがおじさん/おばさんか』というような議論でも上がってくる年齢になった。反抗期はそれなりに合ったと思う。母と一緒に歩きたくないと思っていた時期は、恥ずかしながら経験している。その理由は純粋に恥ずかしかったから。母に対してどうこうあるのではなく、自分が母のことを『お袋』と、まだ勇気がなく呼べない時期に、一緒にいるところを見られるのが、なぜだか恥ずかしかったのである。
しかし、自分がこれから足を踏み入れていくおじさんの世界はそれとは違うのかもしれない。反抗期の男子だった俺も、クラスメイトの女子も親と一緒に歩くのは恥ずかしいと話していた。しかし、男子とは異なり、女子が嫌がる理由はおじさん側に非がある可能性があると俺は感じてしまった。
『普通にダサいやつとは一緒に歩きたくない』は、もはや反抗期とか関係なく、対人関係においての評価であって、改善するためには、娘の反抗期が治るのを待つのではなく、自身がまともな装いをするか、それ以上のチャームを要していなければならないわけだ。
流行の流れも早い。一年前のトレンドは今では中古用品を見るような目で見られるわけだ。俺自身、ファッションにおいては無難な、当たり障りのないものを選ぶようにしていて、流行に乗るという行為を最近捨て始めていた。この思考こそがおじさん化の原因で、自分が変ではないと思っているそれが、いつの間にか恥ずかしいものと思われていくのではないかと俺は感じ、背筋が凍てつく感覚を覚えた。
すまない、おじさん。こんなこき下ろすようなことをするつもりはなかったんだ。ただ少し気になっただけなんだ。かっこいいっす。一周回って。二枚襟とか特に。きっとこの人は家族を支える大黒柱なんだろう。休日に好きなファッションをして羽を伸ばす今日を楽しみに、きっと今週の仕事をやってきたんだ。いい顔で笑っている。この人生の先輩には今日という日を存分に楽しんでほしいと、心の底から尊敬の意を込めて願った。
あ、でも、ああ!そんな格好で表参道で降りないでください先輩!それは話が違うじゃないですか!……あれ?
俺は言わずとも感じる人生の教訓を受けていたら、乗り換え駅を優に過ぎていた。あのおじさんは俺に最後『人のことはいいから自分のことをしっかりしなければならない』と教えたかったのだろう。
じじデンティティ 萬多渓雷 @banta_keirai
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