大いなる存在への祈りに似た願い
しわす五一
第1話 絶望と祈りと願い
冷たい雨がシトシトと、まるで世界の涙のように降り注いでいた。
東京都内の公園の片隅。苔むして朽ちかけた小さな祠の前に、山田という男は濡れるのも構わずに座っていた。
年齢は二十歳半ば。だが、その顔には、実年齢を遥かに超える鉛のような疲労と、深く刻まれた絶望が滲んでいる。
彼はベンチに身を預け、コンビニで買ったばかりの、切れ味の鋭いカッターナイフを震える手で握りしめていた。その刃先が、街灯の僅かな光を反射して冷たく光る
彼の人生は、この半年で急速に崩壊した。
連帯保証人となっていた親の急死により、法外な額の借金がのしかかった。将来を約束してた恋人には、借金の事実を知るや否や、手のひらを返すように別の裕福な男の元へと去られた。職場では、深夜まで続く減らない残業と、まるでサンドバッグを扱うかのような上司からの容赦ないパワハラ。
彼は、自分が生きていることが、ただの「罰」としか思えなかった。
祠の屋根は雨の重みで歪み、内部の小さな石像は、冷たい雨に打たれ、滑らかに磨耗している。周囲には誰もいない。いるはずがない。しかし、今の彼には、縋るべき「何か」が必要だった。
人間にとって都合の良い神などいない。彼はこれまでの人生でそう悟っていた。だが、その絶望の底で、彼は無意識に「救い」を探していた。
彼はカッターナイフの刃をゆっくりと出し、自分の手首に当ててみた。チクリとした痛みが走るが、それだけだ。「死ぬ」勇気は、こんなにも重く、遠い。
「くそ……」 彼は荒い息を吐き出し、口の中で呪詛のように言葉を呟いた。それは、祈りというにはあまりに身勝手で、願いというにはあまりに暴力的な、魂の独白、願いに似た愚痴だった。
「金が、金が欲しい!金さえあれば、こんな苦労なんてしないだろうに……全ては金のせいだ」
「自ら怪我する勇気なんてない。痛いのは嫌だ。でも誰にも迷惑をかけずに、事故にでもあって大怪我でもして、会社をずっと休みたい……」
「裏切ったあの女なんて、パワハラするあのクソ野郎なんて、俺をこんな目にあわして、何で生きてるんだ、くそ!死ね、死ね!」
最後に、彼は力なく天を仰いだ。雨粒が顔を打ち、涙と混ざり合う。彼は自分の惨めさに耐えられなかった。
「あぁ、、、俺も死んだ方が楽になれるのにな……死んだ方がいい、いや、死にたい……」
その瞬間、祠のそば、土の中に深く根を張った大木の幹の影で、微かな、しかし、確かな「揺らぎ」が生じた。
それは、空気の振動でも、光の屈折でもない、次元の裂け目のようなものだ。知覚できる人間は皆無だった。
そして、その揺らぎは、山田の言葉を「聞いた」わけでも、彼の悲惨な境遇に「同情した」わけでもない。
ただ、彼の願い事のような愚痴が、たまたまそばを通った「大いなる存在」の、言わば「処理領域」のようなものに入り込んだ。
それは人格を持たない。ただ、気の向くままに、受け取った「願いという名の命令」を実現するだけだ。
ただし、それを実現する時期は、この存在の恣意性、気まぐれによるものだった。
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