第26話 毒は飲んでも呑まれるな①
座敷に身体を投げ出してしばしの休息。
あー、ここまで来るともう帰るのが面倒だな……外は雨だし明日は土曜日だし、いっそこのまま寝たい気分だ。
「もう家の顔してるじゃない」
隣に座る瑚夏さんが上から顔を覗き込んで口を開く。
視界が彼女で満たされる。見る人が見ればご褒美だろこれ。
「今週も疲れたんで……というか家での顔知らないでしょ」
危ない危ない、騙されるところだった。
「そこは想像の補完で」
何を当たり前のことを、なんて顔で彼女は嘯く。
「妄想の間違いじゃないです?」
なんだか先輩というより家族の、それも姉みたいな感覚になってきた。
この座敷が畳で実家みたいな安心感があるからだろうか。
「酷い言われようね……私一応先輩なんだけど!」
一応じゃなくて本当に先輩なんだよな。
まぁ部署も違うし、直接同じ仕事に関わることはほとんどないから先輩ってのも不思議な気もするけど。
「遠慮なくなってきてない?いや、嬉しいことではあるんだけどね?」
「もっと心の壁が高い方がいいですかね、瑚夏さん」
「そのお堅い話し方やだ!知らない人みたい。今のままがいい!」
だむだむと畳を叩く瑚夏さん。
こうしてると本当に姉みたいに見えてくるな。
「ところで弟くん」
思考が読まれている……!?
だとしたら危険だ。お経でも唱えながら話さなければならない。
なにより、かわいいと思ってしまったことがバレたくない。
「だーれが弟ですか。苗字が違うでしょうが苗字が」
理性さんを総動員して、なんとか平常心を保つ。
「複雑な家庭だったのね」
腕を組んでうんうん頷く瑚夏姉。
「何を他人事みたいに……いや、他人事で合ってんだよ」
「お姉ちゃんが来たからには大丈夫よ、これから養ってあげるからね」
養われてぇ〜、日本全国すべての社畜の夢だろ。
来世は金持ちに飼われる猫になりたい。
「それはそれで心揺れる提案ですね」
「じゃあ苗字、一緒にする?」
「姉弟なら一緒でもおかしくないですもんね〜」
「えっ……えっ……?」
何気なく呟かれた言葉が宙を舞う。
いや待て待て待て!姉弟じゃないんだからおかしいに決まってるだろ!
俺の脳みそ、ちゃんと働いてくれ。ここは家じゃないぞ。
「失礼しました、失言です。忘れてください……」
「ふへへ、ぜーったい忘れないからね!」
何がそんなに嬉しいのか、弾んだ声が畳をバウンドして耳を通り抜けた。
その響きは甘くて、身体にはきっと毒だ。
「ところで立野くん」
彼女は何かを教えるような優しい語り口で話し出す。
姉の次は先生か?
「なんですか瑚夏さん」
「銭湯といえば?」
そんな広い問いかけがあるか。
とはいえ、わかる、わかるぞ。
さっきから視界の端に映っていたビンの自販機。ラインナップはもちろん牛乳やコーヒー。
あれって銭湯やら温泉旅館でしか見たことないよな。
やけに出てくるまでに時間がかかるってところまで含めて懐かしい気持ちになる。
「もちろん牛乳、それも一気飲みですね」
「腰に手を当てて?」
よくわかってるじゃないか。
「腰に手を当てて、です」
「ん〜〜〜わかる!でもね、私たちはもうアラサーなわけよ」
どうしたどうした。
突然の自虐に戸惑いを隠せない。「自分たちはもう〇〇だから」的な言葉の後に、プラスの内容が続くのなんて聞いたことがない。
「その心は?」
「聞いて驚きなさい!ここの銭湯はね……居酒屋併設なのよ!」
ビシィ!と突き出される人差し指。
ここからの展開が読めてしまう。
どうして俺が瑚夏さんと?という疑問と、今日が金曜日でよかったという半ば諦めのような感覚が、心の中でコーヒー牛乳のように混ざりあった。
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