第4話 ジュリエットは悪戯好き①
「なぁ、今日のジュリエットは機嫌がいいって噂だぞ」
瑚夏さんと出会った翌日、いつものようにキーボードの海へ指を沈めていると、隣に座る同僚が声を低くして話しかけてきた。
だからその瑚夏さん情報はどこから仕入れてくるんだ。
「悪いより全然いいな」
当たり障りのない言葉を返す。
世の中には他人に理由を打ち明けず、不機嫌だけを押し付けてくる人間のなんと多いことか。
それに比べたらご機嫌で仕事してくれるだけでありがたい。
「理由知りたくないか?彼氏ができたとかかな」
「そんな告白をバッサリ切ってすぐにできないんじゃないか……元から好きな人がいたとかならわからんが」
「ちょっと俺情報探ってみる!」
おうおう、これに関しては本人以外からの情報って信憑性ないだろ。
そもそも誰に聞いてどんな情報を得るつもりなんだ。
◆ ◇ ◆ ◇
『契約書確認依頼、あとその他諸々』
そんなタイトルのチャットが届いたのは、同僚との会話を終えて契約書のチェックでもするかとPCに向き直った時だった。
差出人は瑚夏ゆり。
間の悪い。今しがた俺と同僚の会話を聞いていたのかと疑ってしまうほどだ。
ここで機嫌がいい原因を聞いたらどうなるんだろう、みたいな破壊衝動に駆られる。
みんなにもきっとあるはずだ、静かな会議で突然叫び出したくなるような、高級料理店で生ビールを注文したくなるような衝動が。
さて、法務課へ契約書の確認や法的相談をする方法は二つある。
ひとつは課の共通チャット、通称課チャットに依頼として投げるやり方。
もうひとつ……実はこちらの方がメジャーなやり方だが、法務課に所属する職員に直接投げる方法だ。
課チャットに送ると全員にその内容が見えてしまうから、まだ何も決まっていない企画段階だと個人宛に契約書のドラフトや企画書を送る方が好まれる。
まぁ御託はいい、新たに増えてしまった仕事を片付けるべくチャットを読み進める。
その他諸々って言葉が気になるけど。
『契約書はテンプレだからそんなに見なくていいよ〜。それより昨日のことなんだけど、ご迷惑をおかけしました!』
見なくていいんかい。
画面に映った文章が瑚夏さんの声で再生されて、思わず目を離す。
なるほどなるほど……腰に手を当ててスポーツドリンクをがぶ飲みしていたとは思えないまともさだ。
あれは夢だったのかと錯覚してしまうが、目の前の文章が現実だと諭してくる。
『それでお詫びしたいから、欲しいものとかチャットで送ってね!あんまり高いのは……要相談で』
お詫びという仮面を被った口止め料だろこれ。
そんなことしなくても誰にも言ったりしないのに……まぁ仲良くもない男性社員のことは信用できなくて当たり前か。
ふと思い当たったのは昨日貰ったスポーツドリンク。あぁそうだ、あれで十分だ。
どちらかと言うと、お詫びの品うんぬんより会社の中で大っぴらに関わりたくないというのが本音だ。
台風の日には外に出ない、優先座席には座らない、公共料金は引き落としにする。こうやってトラブルの種を排除して生きるのが大切なのだ。
『お詫びとか大丈夫なんで……昨日のことはお互い忘れましょう』
『冷たくない?あんなに熱い夜を一緒に過ごしたのに』
『誤解を生む言い方を……酔っ払いを駅まで送っただけなので』
『まぁ個人チャットだから誤解する人なんていないんだけどね!』
フフンと胸を張ってドヤ顔を見せつける彼女の顔が思い浮かぶ。
突然現実主義になるのはやめてくれ。梯子をかけたなら最後まで上ろうぜ。
『ほんとに何もしなくて大丈夫なんで!あ、契約書は見ておきます、何かあればチャットお送りするんで』
強制的に会話を終わらせにかかる。
遊んでばっかりもいられない。それにこのチャット画面を誰かに見られてみろ、好奇の的になるぞ。
『え〜〜〜それじゃあ私の『お詫びしたい!』って気持ちが収まらない!』
困った。
「広報課のジュリエット」なんて呼ばれているから、もっと深窓の令嬢のような落ち着いた人を想像していたのに。
『じゃあまた何か飲み物でも奢ってくださいよ。偶然会った時でいいので』
チャットにスタンプが返ってくる。
よし、これで仕事に戻れる……そう思ったところで机の上に置いていた社用スマホが鳴る。
俺たち法務課の社用スマホが鳴るのは珍しい。
外勤はほとんどないから、席を外すのは会議の時くらい。その会議の時ですらPCは持っていくから、普通のチャットで事足りるから。
何となく嫌な予感を覚えながら通話ボタンを押すと、耳元で流れるのは昨夜も聞いた声。
「首洗って待っててね、立野くん。私、運が強い方だからすぐに会えるよ」
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