第2話 喪失の鏡と、暴発する空腹
行き交う人々を眺めながら歩く。
喧騒と自分が、なぜかガラス一枚隔てたように切り離されている感覚。
俺は、この世界において「浮いた異物」だ。
そんな事を感じながら「山猫亭」に着く。部屋を借り、鍵を預かり、二階へ向かう。
心臓が早鐘を打つ。足早になる。
扉を開け室内へ。そして鏡の前へ。
「クソッ!」
見てぇのに、見れねぇ。
ダメだ、動けない。
怖いのか? この俺が?
パーン!
乾いた音が室内に響く。自分の頬を張った音だ。
深呼吸を一回。よし、いける。
俺は顔を上げ、鏡に映る自分を見た。
「……若いな」
幾つだ?
俺は脱ぎ捨てたスカジャンを拾い上げる。
『赤地に蒼天、咆える虎』……天吼(てんこう)の虎。
これは、俺が若い頃に着ていたもんだ。
急いで服を脱ぎ、裸になる。
鏡に背中を向ける。首を捻り、確認する。
肩の傷跡……ある。これは十九の時の喧嘩傷だ。
首元の傷跡は……ない。あれは二十一の時だ。
なら、背中は!
俺は祈るように、背中を凝視する。
……ない。
ツルリとした、綺麗な肌があるだけだ。
「俺の『ケジメ(代紋)』が、消えてやがる……」
その場に座り込む。
今の俺は、二十歳の頃の肉体だ。
行儀見習いから、やっと組員になったばかりの、何者でもなかった歳。
背中の刺青を入れたのは二十三の時だ。年齢的に無くて当たり前だ。
頭では解っている。だが、心が追いつかない。
今の俺はただの「若造」でしかない。
駄目だ。俺は逃げるようにベッドに身を投げ出し、泥のように意識を手放した。
◆
日の光で目が覚める。太陽はそろそろ、真上に到着しそうだ。
のろのろと、ベッドから這い出る。
「とりあえず、公領庁だな」
宿屋の受付前で、店員に声をかけられた。
「オオトモ様、昨晩夕食の案内に伺ったのですが、お留守だった様で……本日はどうされますか?」
「あぁ……今夜は食堂で食べる」
俺はヒラヒラと手を振り、宿を出る。
公領庁での手続きは淡々と終わった。
渡された書類に、野盗から奪った記憶を元に適当に誤魔化して記入する。
「こちらは『準領民証』になります。これから一年間、犯罪を起こされた場合は領民より厳しい処置が下されます」
「なるほどな」
説明を聞き流し、公領庁を後にする。
外の空気を吸った瞬間、腹が鳴った。
そう言えば、昨日から何も食っちゃいなかったな。
「……適当な店で済ますか」
俺は目についた、少し小汚い大衆食堂「ガスバ」の暖簾をくぐった。
◆
正午を過ぎているからか、客は少ない。俺は適当に「オススメ」を頼み、水を飲む。
料理を待っていると、騒がしい客が来店した。
「主(あるじ)! 酒と料理だ! 優先しろよ!」
柄の悪い五人組だ。
店員が恐縮しながら俺のところに来て、料理の順番を後回しにしていいかと聞いてくる。
「あぁ、そうしてくれ」
俺は短く返す。揉め事は御免だ。
その間も、五人組はギャーギャーと騒ぎ続ける。
苛々が募る。(チッ! うるせぇな……)
我慢だ、我慢。料理が来たらさっさと食べて帰ろう。それが良い、そうしよう。
さらに騒ぎ声は大きくなる。
ガッシャーン!
食器の割れる音と、男達の下卑た笑い声。
耐える。できぬ堪忍、するが堪忍だ。ダメだ、ダメだ、堪えろ俺。
「すいません、お客様お待たせしました」
ようやく、俺のテーブルに頼んだ料理が運ばれた。
湯気が立つ肉料理。よし、これを食べてさっさと帰ろう。
俺はフォークを手に取り、肉料理を口に運ぼうとした。
その矢先だ。
キャーッ!
女の叫び声が聞こえた瞬間、ドンッ! と背中に衝撃。
突き飛ばされた給仕の女が、俺にぶつかってきたのだ。
ガシャン!
皿が地面に落ち、肉汁が飛び散る。俺の、丸一日ぶりの飯が。
「…………」
俺の中で、何かがブツンと切れた。
「……こっちは、丸一日ぶりの飯なんだよ!」
バンッ!
俺は机を叩き、立ち上がる。
「静かにしねぇと……ぶち殺すぞ、あぁ!?」
店内が凍りつく。
「あぁ? 誰にもの言ってんだ?」
五人組のうち、二人がヘラヘラとこっちにやってくる。
ひとりが、グィと俺の胸ぐらを掴んだ。
「誰にもの言ってんのか、解ってるだろうな?」
もうひとりが、俺の右肩に馴れ馴れしく手を乗せ、ニヤつく。
ゴン! ゴン!
胸ぐらを掴んだ男の鼻先に頭突き。
間髪入れず、肩に手を乗せた男の側頭部にも頭突き。
「ぶべッ!?」
正面の男が顔を押さえて膝をつく。
俺はその頭を踏みつけ、そのまま床へ叩きつける。
ガンッ!
地面に丁寧にご紹介だ。
右側の男は顔を押さえて前屈みになっている。俺はそいつの後頭部に、容赦なく肘鉄(エルボー)を落とした。
ドゴッ!
男が白目を剥いて沈黙する。
「話がしたかったら、コールセンターにでも電話しな」
ガタン!
残りの三人が、慌てて椅子を蹴って立ち上がった。
「て、テメェ! 俺達が『リヤス』の者だって知ってて手を出した馬鹿か、知らずに出した馬鹿か、どっちだ!?」
「お前も、お喋りしたいのか?」
「……なんだ、大馬鹿か!」
男が殴り掛かってくる。
俺は右の拳を紙一重で躱し、がら空きの顎にアッパーをねじ込む。
脳が揺れ、男が膝から崩れ落ちる。
さらに一人が、剣を抜き放つ。
「死ねぇ!」
斬り掛かって来たヤツの顔面に、俺は手元の木製コップの中の水を顔面目掛けぶち撒ける。
「ぐわっ!?」
視界を塞がれ、動きが止まる。
そこへ、空になったコップで、思い切り殴りつける。
バギッ!
砕けたコップと共に、男が泡を吹いて倒れる。
「おいおい、焦りすぎだ。コップは食えねぇぞ?」
最後の一人が「うあぁ〜!」と情けない悲鳴を上げて逃げ出し、店を飛び出していく。
「このままで済むと思うなよ! 待ってろ!」
捨て台詞が聞こえた。
「待ってろって、ベタだねぇ……」
俺は倒れている男たちを見下ろし、冷たく言い放つ。
「じゃあ、待つ間……土下座だな」
◆
一列に並んで土下座しているヤツ等に、俺は尋ねる。
「で、リヤスって何だ?」
男たちは、顔を腫らしながらもスゲェ得意げに説明してくれた。
「ほ、本当に知らないのか……リヤスはこの街最大最強の旅客商警備隊だ。あんた、えらいもんに喧嘩売ったな?」
「この街から生きて出れると思うなよ?」
脅し文句に、俺はフフッと笑う。
「案外、死んでから出れる場合もあるけどな」
「……はぁ?」
しばらく待つと、逃げたヤツが数人の武装した男たちを引き連れて戻ってきた。
店に入ってきた連中は、店内の異常な光景に目を見張る。
(なんだ……これは?)
仲間四人が床に足を曲げ座らされ、顔から血を流している。
その奥に、珍妙な服を着た若い男が、ダラリと椅子の背もたれに寄りかかって座っていた。
「……あ、あぁ!」
土下座させられていた男が、仲間を見て腰を浮かせ、立ち上がろうとする。
ボギィン!!
俺は座っていた木製の椅子を掴み、フルスイングで男を殴りつけた。
椅子が砕け、男が悲鳴も上げずに沈む。
「……誰が立って良いと言った?」
俺は新しく来た連中を睨みつける。
「行儀が足りないんじゃないか?
……で、だ。どこか行くのか? ここ(食堂)じゃないだろ?」
先頭の男――鋭い目で俺を見据える。
「理解が早くて助かる。我々の鍛錬場まで、御足労頂く。……今更断らんだろうな?」
俺は進んで店を出る。
店の外には、野次馬が垣根のように集まっていた。
「いや、この街一番のリヤスが鍛錬場に招待してくれるのか! 楽しみだね。早く案内しな」
俺とリヤス一行は、鍛錬場に向かう。
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