(3)四年前のお見合い

それは私が高校一年生だった四年前の昭和四十一年のことだ。六月のある日曜日、朝から雨が降っていた。


お昼前に家の電話が鳴り、母が電話に出た。するとまもなく「美知子、電話よ、小柴のおばさんから」と母が私を呼んだ。私は急いで玄関に置いてある黒電話に向かった。


「もしもし、美知子です」


「あ、みーちゃん?悪いけど、すぐにうちに来てくれない?・・・あ、こぎれいな格好をしてきてね」


わけがわからなかったが、小柴家とは家族ぐるみのつきあいで、ひとり娘の小柴恵子は幼馴染だ。母に恵子の家に行くと告げ、部屋に戻ると、外出用の水色のワンピースに着替えた。


「こんにちは〜」隣家の玄関を開けると、恵子の母親がどたばたと走って出てきた。


「あ〜、み〜ちゃん、雨の中ごめんね。さあさあ、上がって」


屋内に通されると、そこに晴着を来た恵子が立っていた。


「ケイちゃん!・・・どうしたの、そのかっこ?」


恵子は何も答えず、顔を真っ赤に染めた。


「あ〜この子、今日お見合いだから」と恵子の母親。


「お見合い?・・・ケイちゃん、まだ満十五歳じゃない!いくらなんでも早いんじゃ」


「仕事上の知り合いにしつこく頼まれてね。別に今すぐ結婚するわけじゃないの」


「そうなんですか?」


「うまく話が進んでも、結婚するのは高校を卒業してからだし。いい経験になるから、ダメ元で引き受けたのよ」


「それで私が呼ばれたのは?ケイちゃんを激励するため?」


「それがね、さっき突然お父さんが腰をやっちゃって、お医者様を呼んだんだけど、お見合いの時間が迫っててね」


「だから俺にかまわず二人で行ってくれ。いてて」奥から恵子の父親の声が響いた。


「ああは言ってるんだけど、本当に置いていくこともできなくて」


「そ、そうですね」


「とは言って、恵子一人で行かすわけにもいかないから、そこでお願い!」


「え?私?」


「そう、みーちゃんに私たちの代わりに恵子に付き添ってほしいのよ」


「えええ〜?」


私は絶句した。そんな改まった席に、幼馴染とはいえただの友人が付き添いなんて、無理としか思えなかった。


「私でなく、私の両親にでも頼んだら・・・?」


「そうしたいところだけど、大人だといろいろ準備がかかるのよ。すぐに来て引き受けてくれそうなのは、みーちゃん、あなたしか思い浮かばなかったの」


そのとき、玄関前の道路から車のクラクションが聞こえた。


「あら、恵子の迎えのタクシーが来たようね。お願い、時間がないの。頼まれて」


私の両手を握って懇願する恵子の母親。さすがに断ることができなかった。


「行き先は山野屋さんよ。お座敷が予約してあるはずだから。・・・先方の相手とそのご両親と、仲人さんがいるから、よろしくね!」


恵子の母親が傘をさし、私と恵子はタクシーの後部座席に乗った。恵子の母親が運転手に行き先を告げ、料金を払う。


「・・・ごめんね、みーちゃん」しばらくして恵子が小声で言った。


「こうなったら、社会勉強だと思って、気楽にいこう!」と私は励ました。


合コンも結婚相談所もマッチングアプリもない時代である。箱入り娘が結婚するとしたら、仲人をしてくれる人に誰かいい人を紹介してもらうしかない。しかし双方の親も参加するので、問題なければ即結婚と、話がとんとんびょうしに進んでいくところが恐ろしい。


そう思っているうちに、タクシーは山野屋に着いた。私は先にタクシーを降りると、傘をさして、着物姿の恵子が降りるのを手伝った。


店に入ると仲人さんの名前を出して、予約しているはずだと告げた。山野屋はやや大きめの蕎麦屋で、一階は四人がけのテーブルがいくつか並ぶ普通の蕎麦屋だった。


店員の案内で、恵子の手を取って二階に上がる。この店の二階にはお座敷の個室がいくつかあった。店員が個室の障子を開け、お連れ様が来ましたと声をかけた。


既にテーブルには仲人さんと、見合い相手とその両親が座っていた。


「遅くなりました。小柴です」


私は一礼すると、靴を脱いでお座敷に入り、正座をした。そして恵子の両親が来られなくなり、自分が代理で案内してきたことを説明した。


「それは大変だったね。・・・さ、恵子さん、中にお入り」


仲人さんが気さくに声をかけて、個室の前で立っていた恵子を呼んだ。恵子の足が少し震えていたので、私が手を引いて個室の中に招き入れた。


見合い相手の正面に正座する恵子と私。二人で深々と頭を下げると、「小柴恵子でございます。若輩者ですが、よろしくお願いします」と私があいさつした。


緊張する場ではあるが、私のお見合いではないので、私自身は冷静だった。顔を上げて見合い相手を見ると、二十代くらいの男性だった。背広に身を包んでいたが、背格好は普通、顔はホームベースのような五角形に近く、頭のてっぺんに小さな焼き海苔を貼付けたみたいな髪の毛が七三分けにされていた。


「恵子さん、固くならなくていいからね。・・・こちらはあの鈴山電機の研究開発部に勤めておられる田村太郎さんだ」


「初めまして、田村太郎と申します。今年、二十五歳になりました」


「・・・は、初めまして。・・・こしば・・・です」


恵子はうつむいたまま、聞こえるか聞こえないかの小声であいさつした。これでは会話にならない。私は恵子の見合いを進めた方がいいのか、先方に断らせる方がいいのか、態度を決めかねていたが、少なくともこのまま会話にならないのは問題だ。


「あの・・・」私が声を発すると、恵子を除く全員が私の方を見た。


「恵子さんは九月に十六になります。見ての通り小柄ですが、心が優しくて勤勉で、家の手伝いをよくする娘さんですの」まず、恵子の紹介をする。


「太郎さんは研究開発部にお勤めということですが、どのような商品を開発していらっしゃるのですか?」こちらから話しづらい場合は、相手に話をさせるに限る。


「はい、・・・いろいろ企業秘密に関わるので、詳細に説明することはできないのですが、現在は電子卓上計算機の小型化開発に携わっております」


「そろばんよりも簡単に計算ができるという機械ですわね。どのくらいまでの小型化を目指されているのでしょうか?」


「今の計算機は縦横四、五十センチくらいですが、三十センチくらいにしたいと考えています」


「それはトランジスタで作られるのですか?」


「いえ、トランジスタではこれ以上の小型化は難しくて、詳しくは言えませんが、今は一枚の基盤に機能を詰め込んだものを作って、利用しようという研究が盛んです」


「すばらしいお仕事ですね。そのような技術開発が続けば、近い将来、小型のコンピューターも製作可能になりますわね」


「あ、あなたは、コンピューターに興味がおありですか?」・・・変なところに食いついてきたぞ。


「しかし、コンピューターは、高性能になるにつれて、どんどん大型になっていくんじゃないのかね?」田村の父親が口をはさんだ。この人も技術者なんだろうか?


「いえ、大型のコンピューターとは別に、高性能かつ小型のコンピューターが作られるようになると私は思いますわ」


そのとき、蕎麦屋の店員が蕎麦を持ってきた。天ぷら付きの盛り蕎麦だ。みんながハシを取った。しかし恵子は、ずっとうつむいたままで、蕎麦を食べようとしなかった。


「ケイちゃん、お蕎麦食べられる?」私は小声で尋ねた。


「・・・ムリ」小声で返す恵子。


私自身は空腹だったので食事をしたかったが、こういう席で蕎麦を食べるのは気を遣う。蕎麦はズズッとすすって食べるのがマナーである。男だったらこういう席でも気にせずに食べられるが、女性が音を出して食べてよいのかよくわからない。


仕方なく一口分の蕎麦をハシでつかんで口に入れ、もそもそと噛んでいたが、蕎麦を食べている気分にはならなかった。


「しかし藤野さんがコンピューターに興味をお持ちとはうれしいですね」


田村太郎がまた話しかけてきた。おいおい、見合い相手は私じゃないぞ。


「ええ、コンピューターが小型化されると、身近で使えて、便利な世の中になると思いますの」


「ほお、例えばどんな使い方があると思われますか?」


「計算結果を文字や数字で表すことができる機能を組み込んでいけば、いろいろなことができると思います。例えば、タイプライターのようなものを接続し、手紙を書くように文章を作り、それを電話線を通じて友だちの家のコンピューターに送ることも可能でしょう。電話で話すよりも短時間で正確に通信できます」


「なるほど」


「また、音楽の楽譜をコンピューターの言葉に置き換えて記録しておけば、聴きたいときに音楽を奏でることができるし、技術が向上すれば、テレビの画面もそのまま記録して、いつでも見ることができるでしょう」


「空想科学小説のような話だが、実現可能性はありますね」


「計算機を小型化する技術が、そのままコンピューターの小型化に直結するでしょうから、田村さんのお仕事は世の中を劇的に変える、すばらしいものだと思います」


「ありがとうございます。そこまで言っていただいて・・・」田村太郎が破顔した。


「お仕事の話はそれくらいで。・・・恵子さんはどういうご趣味ですか?」私と田村太郎ばかりが話しているので、仲人さんがあせって恵子に話を振った。


「恵子、趣味は、ですって」私は恵子に囁いた。


「・・・」言葉にならない恵子。仕方なく私が口を開いた。


「恵子さんの趣味は、手芸や裁縫です。手縫いも刺繍もミシンもとてもお上手です」


「恵子さんはお料理はなさるの?」今度は田村の母親からの質問だった。


「料理は何が得意だっけ?」再び恵子に囁き声で質問するが、回答はなかった。


「恵子さんは家庭でお食事の準備をいつも手伝われていて、家庭料理ならひととおり・・・」


「藤野さんはお料理はされるのですか?」田村が私に聞いてきた。


「私が作れるのは即席ラーメンくらいです。料理とは言えないもので、申し訳ありません」こう言っておけば、恵子の株が上がるだろう。


「ああ、あれは、仕事が遅くなったときなどによく食べますよ。便利ですね」


いや、だから話に乗るなよ。誰と見合いしてるんだ。


「恵子さんは、どんな家庭を作られたいですか」見かねた仲人さんが口をはさんだ。


恵子はやはり答えられず、「恵子さんは子どもが好きですから、子だくさんでにぎやかな家庭を望まれているそうです」と私が適当に答えた。。


「それはよろしいな」と仲人さん。


「ところで藤野さん。さっきの話の続きですが、コンピューターが各家庭に普及するのはいつ頃と思いますか?」と田村。


またこっちに話を振るのか!?


「今の科学の進歩の状況を考えると、コンピューターを個人で買えるようになるのはおそらく二十年後からで、本当に身近な存在になるのは三、四十年後でしょうね」


「ほう、そんなに早く?」


「その進歩を支えるのが、田村さんが勤めておられるような電子機器メーカーですから、今後のご活躍をお祈り申し上げます」


「はい、ありがとうございます!」


変な雰囲気になったお見合いは終わり、私は恵子を連れて、仲人さんが呼んでくれたタクシーに乗って恵子の家に帰った。すぐに恵子の母親が飛び出して来る。


「お疲れさま。・・・で、どうだった?」


「ほ、ほとんど、しゃべれなかった」やっと声が出せた恵子。「でも、みーちゃんが場を取りなしてくれてた。さすがだね。あの場所であれだけしゃべれて」


「まあ、自分のお見合いじゃなかったから・・・」


「やっぱり、まだあたしには結婚は早いわ」


「そうだ!今回は付き合い上仕方なく見合いさせたが、まだ嫁には出さん!」家の奥から恵子の父親の声が響いた。腰は大丈夫かな?


翌朝も雨だった。私が傘をさして家を出ると、登校する恵子と会った。


「みーちゃん、昨日はありがとう。・・・で、お見合い断られちゃった」


私はそれを聞いてすぐに怒りがわいてきた。あのホームベース野郎〜!


「・・・ま、まあ、私たちにはまだ結婚は早いわよ。高校を卒業してから、もっといい人を捜しましょう」


「そうだね。それまではみーちゃんがいればいいわ」恵子は私の手を握った。


数日後、今度は田村家から私の家にお見合いの話が持ち込まれたが(いくつかの伝手を経て探し当てたらしい)、私は父に頼んですぐに断ってもらった。

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