守ってあげたい
志に異議アリ
湊と瑠璃
夜の電話が切れる音が、妙に胸に残った。
「ごめん、今ちょっと……」
瑠璃の声はいつもより少し震えていた。
何かを隠しているような、誰かに怯えているような——そんな感じ。
翌日、湊は心配になって瑠璃の部屋へ向かった。
ドアの前で足が止まった。内側から、彼女の声ではない“誰か”の低い囁きが聞こえた気がしたからだ。
「……あの人には、まだ……」
瑠璃の声。
そのあと、返事のようなもの。
湊は鼓動が早くなるのを感じながらノブを回した。
扉の向こうにいたのは、驚いた顔の瑠璃ひとり。
「誰か来てた?」
「え? 誰もいないよ……ほんとにどうしたの?」
焦りでも誤魔化しでもなく、純粋に心配そうな顔だった。
その“普通さ”が逆に胸をざわつかせた。
——俺がおかしいのか?
いや、聞いたんだ。確かに声を。
湊の不安が消えないまま、数日が過ぎた。
気持ちを切り替えようと、彼女の同僚に何気なく話を振ったときだ。
「最近、瑠璃って変わってない?」
「え? あの子はいつも通りよ。真面目で優しいし」
返事があまりにも滑らかすぎて、台本でもあるのかと思ったほどだった。
友人の凛太に同じことを聞いても、返ってきたのはやはり同じ調子。
「お前さ、疑いすぎ。瑠璃ちゃんは普通の子だよ」
普通。
普通。
普通。
全員が同じ言葉を使う。
そのたび湊の胸には、不安とは別の冷たいものが沈んでいった。
そんなある午後、瑠璃を偶然カフェで見つけた。
向かいの席には誰もいないのに、彼女はひそひそと話し続けていた。
「……でも、私はまだ……うん、わかってる」
湊は思わず駆け寄った。
「瑠璃、誰と?」
「え? ひとりだけど?」
ひどく当たり前の顔だった。
なのに湊の胸はきゅっと締め付けられた。
——怖い。
彼女が遠くへ行ってしまう気がする。
その夜、スマホに彼女からメッセージが届いた。
「助けて」
「来ないで」
「私、もう無理」
湊は慌てて返信しようとした。
しかし次の瞬間、すべてのメッセージが消えた。
誤操作ではない。
送信履歴ごと跡形もなく。
胸の奥に冷たい汗が広がる。
何が起きている? 彼女の周りで誰かが——
いや、それとも彼女自身が何かに追い詰められている……?
真相を確かめたかった。
怖かったけれど、放っておけなかった。
夜の瑠璃の部屋。カーテンは閉め切られ、人の気配は薄いのに、空気だけが妙に重かった。
テーブルの上には、二人ぶんのカップ。
最近ここに来ていないはずの湊のものまで。
「瑠璃……誰かいるの?」
「湊……あなたには、見えないよ」
その一言が胸に深く刺さった。
彼女は怯えているようで、でもどこか悟ったようでもあった。
「何を隠してるんだよ……俺に言えないの?」
「……ごめんね。どうやって言えばいいのか、ずっとわからなかったの」
泣きそうな声だった。
その翌朝、湊は倒れた。
原因不明のめまいと混乱。
病院の白い天井が、やけに遠かった。
医師がカルテを閉じる音が響く。
「湊さん。あなたの“恋人”ですが……落ち着いて聞いてください」
ゆっくりと渡された紙には、見覚えのある名前があった。
——死亡診断書。
——瑠璃。
——三年前。
意味が理解できない。
「は……何言ってるんですか。昨日、会って……話して……」
湊の声が震えた。
医師は静かに言った。
「昨日、あなたがいた部屋には誰もいませんでした。
あなたが話しかけていたのは……空間です」
視界が滲む。
呼吸が苦しい。
どうしてそんな嘘を——
「彼女の死を受け入れられず、記憶を再構築してしまったんです。
周囲の人が“瑠璃さんは普通だ”と言ったのは、あなたを刺激しないためでした」
全部、湊を守るための優しい嘘だった。
瑠璃がおかしくなったと思っていたのは——
彼女が何かを隠していると思ったのは——
周りがグルになっていると感じたのは——
全部、湊の側の認識が歪んでいたから。
ただ、愛する人が消えた世界が、
湊には耐えられなかっただけだった。
夜が来る。
病室の端に、ふと影が揺れた。
窓辺に立つ瑠璃が、静かに微笑んでいた。
「湊……もう、いいんだよ」
その声は、手の届かないところへ溶けていった。
湊はただ、涙を落としながら名前を呼んだ。
彼女は優しい。
ずっと優しかった。
だからこそ、湊は手放せなかったのだ。
消えた部屋の空気に、
まだ微かに彼女の気配が残っているような気がした……
守ってあげたい 志に異議アリ @wktk0044
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