【SF短編】25時間の方舟【会話劇】

紫陽花

25時間の方舟

「ふああ、ねむ……」

「寝不足?」

「いや? 昨日は7時間寝た。……んだけど、どうにも目覚めがスッキリしない」

「大丈夫? なんかの病気なんじゃない?」

「なんかって、なんだ。そうじゃないよ。大体、月の半分はこんな感じだ」

「ふうん。サイクルは分かってるんだ。じゃあ、毎月中旬は眠いワケ?」

「それが、そうでもない。月単位というか、25日周期というか、だいたいそんなサイクルで、昼間でも眠くなる」

「25日周期とか、女のアレみたいね」

「……」

「なに黙ってるのよ」

「そういう、男が返しにくいネタはヤメレ」

「悪かったわね」

「とにかく眠い」

「そう言えば、人間の体内時計って25時間周期って聞いた事があるわね」

「マジか!」

「なによ、その食いつき。昔、クイズ番組だかドキュメンタリーだかで見た気がするわ」

「だとすると、オレの眠気も説明がつくな」

「ただの不摂生じゃなくて?」

「舐めんな。ハイスクールで三次元フットサル部の頃から規則正しい生活をしてるわ」

「そう言えば、そうだったわね。ほら、ちゃんと目を覚まして。もうすぐ火星の探査衛星から全球調査のデータが来るわよ」

「これで、地球にいながらにして、火星の表面探査ができるってワケだ。100年ほど前は、地球でも道路沿いしか見られなかったのにな。随分と進歩したもんだ」

「火星の大気が薄いのも大きいわね。レーザー探査で細かい部分まで見られたし、レーザーの届かない部分は重力波探査をAIが補完して完璧だわ」

「VRゴーグルと全覚スーツの用意は出来てるか? 早く火星を歩いてみたいぜ」

「せっかちね。早い男は嫌われるわよ」

「やかましいわ。っと、来た! これで火星のモデリングが完成だ!」

「感慨深いわね。時間記録、ただいま4:02。GMTは9:02。普段は夜勤なんて退屈だけど、このデータを真っ先に見られるのなら、この部屋に詰めていた甲斐があるってものね」

「VRルームはまだ使えないんだよな?」

「VRガジェットの用意は出来てるけど、使用許可は9:00からよ。そういうところはお役所的ね」

「オレたちは国際公務員だからな。そのへんはしゃーない」

「でも、メインモニターの大画面越しになら火星の風景が見られるわ。……スゴい。空が明るいわ」

「極薄とはいえ大気はあるし、それにAIによる補正も入ってる」

「うふふ、渓谷の上を飛ぶ鳥みたい。昔はここに川が流れていたのかしらね。風蝕じゃなくって、川の跡みたい」

「一応、100年前の探査機でも、そういうデータは得られてたみたいだがな。実際はどのくらいの水があったのかは分からんが。……確かに、川の跡みたいだ。グランドキャニオンに似てるな」

「ああ、何か既視感があったのよ。それね」

「……なあ、火星の自転周期って何時間だ?」

「何よ、急に。ええと、24時間40分。まあ、大体25時間ね。周期が地球に近いから、テラフォーミングしても普通に生活出来るだろうってのが、広報局の言い分よ」

「昔の……、200年くらい前のSFじゃあ、火星には運河があって、火星人が住んでるって話だったんだ」

「じゃあ、これは本当に水の跡なの?」

「かもしれんが、正確なところは今のところ分からん……。この時間に、神殿にアクセスできるか?」

「ここの量子コンピューター? 神託が欲しいのなら、使えるのは同じ9:00からよ」

「ワールド・シミュレーターを使いたい。火星のモデリングデータがあるのなら、現在の状況から過去のシミュレーションもできるはずだ」

「確かにできるけど……」

「頼むよ、オレの思い付きを試すには、他には誰もいない今しかないんだ。お前さんのハッキングスキルに頼りたい」

「何よ、思い付きって」

「まあ、なんだ、仮定の話だよ。言ってみればバカ話なんだが……。火星は昔、水の惑星だった……のかもしれない。そして、火星人が住んでいた。だがある時、惑星規模の災害が起こって火星人は船を造り、命からがら逃げ出した。新天地で同じ環境を作るため、その船には火星の生物の遺伝子情報が積まれていた。船は何も無い海を150日間彷徨さまよった。最初に探査に出したカラスは帰ってこなかったが、次に放ったハトは7日後にオリーブの枝をくわえて帰ってきた。やがてノアは新天地を見つけ出し……」

「え、待って、ちょっと待って。なんか別の話が混じってるわよ。それって聖書の……」

「まあ、最後まで聞いてくれ。カラスとハトは宇宙船から放たれた探査プローブの事だろう。オリーブの枝は住環境に適している情報の暗喩だろうな」

「……つまり、ノアの方舟の伝説は本当にあった火星の出来事で、洪水はかつて火星であった大災害……ってコト?」

「まあ、本当にタダの思い付きだがな」

「そんな理由で神託をハッキングなんて、アタシはイヤよ。バレてクビになるのはアタシなんだから」

「そら、そうだよな。すまん。本当にバカな話をした」

「だから、もっとアタシを納得させて」

「……は? そ、そうだな……。そもそもはオレの寝不足から思い付いたんだが、人間の体内時計は25時間周期だって話だよな」

「ええ」

「人類は元々、1日が25時間の環境にいたのかもしれない」

「いいわね。他には?」

「仮に火星の大災害が20万年前だった場合、ヒトとサルを繋ぐ進化の鎖が見つからないことに説明がつく」

「ミッシングリンクか。でも、最近はヒトとサルの間を埋める化石が随分と見つかっているそうよ」

「確かにそうだが、それでも進化のツリーを埋めるパズルが完成しているワケじゃない」

「なるほど。続けて」

「ええと……、ノアが方舟を造った時、600歳だったそうだが、火星の公転周期は地球の1.88倍だ。これを地球に換算すると……ええと、319歳……くらいになる。火星の文明がどんなものだったのかは知らないが、宇宙に避難できるくらいの科学力なら、寿命が3倍でもおかしくはない。600歳よりはマシだ」

「さすがに、仮定に仮定を重ね過ぎじゃない? いまだ痕跡も見つからない古代火星文明に期待するのも無茶な話よね」

「むぅ……」

「だけどまあ、面白そうではあるわね」

「お……?」

「火星の全球データから、20万年前の姿をシミュレーションするのね?」

「おお、やってくれ!」

「神殿へのアクセスキーは……っと」

「そんなもん、手書きのメモ帳に書き込んでるのかよ」

「アナログならハックされる心配も無いからね。……はい、いいわよ」

「よし、『ヘルメス・トリスメギストス』!」

『なんでしょうか?』

「さっき送られてきた火星の全球データから、25万年前までさかのぼって惑星全体をシミュレートしろ」

『かしこまりました……終了しました。惑星表面をメインモニターに、全球を3Dモニターに表示します』

「速いな……、さすが知恵と知識を司る神様だ。……おおっ!」

「本当に青い……。まるで地球みたい……」

「陸の形が全然違うから、確かに地球じゃない。これが、かつての火星か……。よし、1秒で1000年、時間を進めろ」

『かしこまりました。1秒ごとに1000年進めます』

「……マイナス24万年……マイナス23万年……。変化が無いわね。ところでなんで20万年なの?」

「今のところ、人類の直接の祖先といわれている最古の化石が20万年前のものなんだ。だから、もしもオレの与太話が本当だとしたら、20万年前の可能性が高い。マイナス20万年……止めろ!」

『シミュレーションを停止します。現在よりマイナス19万5000年』

「なんだ? いきなり火星が真っ白になったぞ? 何が起こった、『トリスメギストス』?!」

『太陽放射の熱が急激に上昇したと思われます』

「どういうこと?」

「太陽が、急に熱くなったってことか? ってことは、白いのは全部雲か。地表はどうなってる?」

「これ……嵐? まさか、火星の表面全てが嵐になっているの?」

「……大洪水。いや、まさか本当にそうだったのか? 原因は? 太陽放射が急に強くなった原因は?」

『マイナス19万8000年より太陽放射が200~300倍となっている模様。しかし、原因は不明』

「待って! おかしいわ。なんで火星にだけ太陽放射が強くなるの? 地球は何ともなかったのに」

「実際に強くなってたけど、地球には影響が無かった、とか? 磁場や大気のおかげで」

『否定。同時期の地球環境に対して、太陽放射が強くなった痕跡は見られません。これは、火星に特有の現象です』

「いや、火星だけとか、さすがにおかしいだろう。太陽以外の原因は?」

『否定。火星の温度上昇は、太陽放射によるものに間違いありません』

「天体現象で、規模の大きいモノ……。恐竜絶滅……。惑星に対して巨大隕石の衝突……。太陽の変化……。ポールシフト……。他にも……、他にも何かあるはずだ。オレたちは天文の専門家なんだぞ? 何か……あるだろう?」

「……ツングースカの、ブラックホール?」

「いや、あれは隕石の空中爆発で、ブラックホール説は否定……、いや、そうか! 惑星じゃなく太陽だ! 太陽へのブラックホール! 『トリスメギストス』!」

『はい』

「火星とは別のシミュレーションだ! 太陽にブラックホールが衝突し、火星にだけ太陽放射が強くなる可能性は?」

『あります。今現在、火星への太陽放射は通常状態ですので、人類が天体観測を記録し始めた5000年前には、太陽異常が終息したと考えられます。太陽放射が強まった19万8000年前に質量10の11乗トンのブラックホールが相対速度毎秒約200kmで太陽に衝突した場合、太陽内部で超高温プラズマが発生します。このプラズマはX線やガンマ線などに変換されて噴出しますが、衝突時の角度が太陽の光球面に対して特定の角度であれば、ビーム条のエネルギー波が火星の軌道平面を貫きます。これによって、火星が公転軌道を一周する度に200~300倍の太陽放射を浴びて惑星全体が熱せられます。これを19万3000年続ける事によって、地球と似た環境だった火星が現在の姿になります』

「……マジか」

『マジです』

「ブラックホールが太陽に衝突する、その発生確率は?」

『10のマイナス11~13乗です』

「ゼロじゃないんだよな。天文学なら十分な数字だ。よし! このまま火星表面を精査して、文明の痕跡を……」

「ストップ、ストーップ! 『トリスメギストス』! 今日はもう終わり! 時間切れよ! 私たちとの会話とシミュレーションは忘れて寝なさい!」

『かしこまりました。良い夜をグンナイ……いえ、もう朝ですね。良い一日をハヴァナイスデイ

「お……、いや、ここまでか……」

「そうよ。もうすぐ勤務交代の時間なんだから。ちゃんと会話ログは消してもらわないと」

「はぁー。しかし、惜しかったなー。これで古代火星人の痕跡が見つかれば、シュリーマンのトロイ遺跡以来の大発見になるところだったのに」

「結果を先に知れたんだから、今度は正規の手続きで進めればいいじゃない」

「聖書の洪水伝説は、実は火星の出来事で、人類は火星からの避難民だったって? 改めて自分で言っても、オカルト雑誌の与太話にしか思えん」

「とりあえず、『イリアス』や『オデュッセイア』を読むところまでは来たんだから、あとは地道な作業でしょ。シュリーマンみたいな無茶は勧められないけど」

「ダイナマイトを使って遺跡を掘り進むようなマネはしないよ。しかしまあ、伝説の古代火星人か。実在したとはなー」

「いやいや、まだそこまで行ってないでしょう。いま分かっているのは、20万年前に火星で惑星規模の大災害があった……、かもしれないっていうところまでよ」

「ところが、面白い数字があってだな」

「何よ」

「人類の発生確率は、10のマイナス22~24乗だそうだ」

「……つまり、人類発生の確率の方が、遥かに低い?」

「そう。プールの中へ歯車から何からバラバラにした時計を放り込んで、偶然組上がるくらいの確率だそうだ。それに比べれば、ブラックホールによる火星の大災害の方が発生確率は遥かに高いし、地球と火星の両方に知的生命体が発生する確率なんて、天文学的って言葉じゃ足りないくらい低いね」

「……人類火星起源説、本気で追うの?」

「とりあえず、火星表面を歩いてみるさ。ひと眠りしたら、VRルームに行く。申請は出しておいてくれ」

「分かったわ。その代わり、今度はアタシの研究テーマにも付き合ってよね」

「テーマ?」

「地球からだと、なんで月の裏側って見えないんだと思う?」

「いきなり何だ? 月の裏側?」

「それってね、月の自転周期と、地球を回る公転周期が完全に一致しているからなの」

「ああ、そういう」

「でも……それって何でなのかしらね?」

「おい、まさか……、月にも何か……」


   了

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