2 旅の始まり spinning wheel of clue

 銀河のように光る新品の青いコートやスカート、ブーツを履く。アレキサンドライトのネックレスを首にかけて、アスカリスは家から出発しました。住んでいる街を一人で散策しながら、これからどうしようかとアスカリスは考えます。

 アスカリスの住む街には人間と亜種族あしゅぞくたちが共存して暮らしています。

 亜種族は尖った耳の金髪のエルフのように人間そっくりの容貌の人や、ぽにぽにと地面を跳ねるスライムのように、ちょっと違う姿かたちをした人をいいます。

 人の作る、人ではないものが飾られている美術館の展示のように、古今ここん東西とうざいの風土と民俗が入り混じっている空間。それはこの世界におけるごく普通の街並みなのです。

 アスカリスが住んでいる街、ノスビュアもそうです。

 神さまだと言われてもアスカリスは気になりません。人と人外が共存する風景に住んでいるから。

 少し歩けばめいめいに文化や雰囲気テーマ変遷へんせんするノスビュアの街を、アスカリスは数時間くらい歩きます。けれどアスカリスは一人で考えても、どうすればいいのかという解決案は、ついぞ頭に浮かびませんでした。

 だからアスカリスは友達にアドバイスをもらうことにしたのでした。大抵キミドリとイオリューキが居てくれる〝シャルルマーニュ〟という洋菓子ようがし店を訪ねます。レトロモダンな雰囲気の洋菓子店に入ると、この店で唯一のホールスタッフのキミドリが、いらっしゃいませ。と出迎えました。

「おはよう、アスカリス。あら、今日はカッコいい服を着ているわね。とっても似合にあってる」

 キミドリは、整った目鼻にキラキラと輝く笑顔を見せます。ホールスタッフらしく白い帽子と給仕きゅうじ用の制服を着ています。アスカリスよりほんの少し背が高くて、髪の毛は肩の長さで揃えられ、丸みを帯びた体つきです。見た目はアスカリスの1つ年上くらい。キミドリはこの〝シャルルマーニュ〟で千と数百年以上働いています。

「イオリューキはいつもの席よ。案内するわ」

 色鉛筆でスケッチブックに絵を描いているイオリューキがキミドリに名前を呼ばれて顔を上げました。イオリューキは魔族の男の子です。どちらかといえば鬼に似ています。カーマイン(紅色)の髪の毛には小さな角が生えています。

 向かい合う席に着いたアスカリスにイオリューキは、おはよう。と軽く挨拶します。

 イオリューキはイラストレーターです。〝シャルルマーニュ〟に住んでいるかのようにいつもこの店の隅の席に座って、自分で考えたオリジナルキャラクターや〝シャルルマーニュ〟の商品の絵を描いています。

 この世界において、創作活動は、根本的に自給じきゅう自足じそく。たくさんの人が感動する偉大な作品だとしても、数万年の時間経過には耐えられません。それは消失してしまうのでした。だから、誰かに見せたり見られたり、誰かから評価されたりもせず。すごくないことを当たり前に続けるという一番難しいことが、この世界でただ一つ、作家でいられる方法です。

「ご注文は?」

 とキミドリがアスカリスに尋ねます。テーブルの上には先にイオリューキが注文した林檎のジュースとモンブランがあります。

 アスカリスは今日のおすすめを注文しました。キミドリが厨房ちゅうぼうにオーダーを伝えて、しばらく待つと、オムライスとミートスパゲティとスープが入ったランチプレートがはこばれます。

「それにしても今日はえらく綺麗な服を着ているわね。この後、誰かに会いに行くの?」

 朗々ろうろうとした声でキミドリはアスカリスをからかいます。

「えっと……たしか魔女は『スィムのところに行け』って言ってた。スィムがなんなのか分からない。キミドリはなにか知ってる?」

「聞いたことがあるような……」

 キミドリはスィムという名前に聞き覚えがありました。けれどすぐに思い出せませんでした。

「イオリューキは? スィムって知ってる?」

 アスカリスがイオリューキに尋ねます。するとイオリューキはむずがゆい表情を浮かべました。イオリューキはむぐぐぐ…とうなり、鉛筆の尻でこめかみをこすったりしています。鉛筆とスケッチを机に置いて、林檎のジュースを飲んでのどうるおわせて、イオリューキは確認をするようにアスカリスに聞き返しました。

「それって、〝鯨〟のスィム・ケートゥスのことじゃないか……?」

「あっ……そうそれよ!」

 イオリューキから鯨という名前が出て、キミドリもスィムのことを思い出しました。〝鯨〟のスィム・ケートゥスとはこの世界で語り継がれる伝説の魔物です。あらゆるものが物語にならなくなるこの世界において、数少ない、生き残っている伝説の一つでした。スィムは数万年以上生きている、鯨の姿の巨大な魔物です。

「だがスィムは深海にいる」

 スィムのところに行けということは、アスカリスを深海に行かせるということでもあります。イオリューキに続き、キミドリも難しい顔をします。

「ねえアスカリス。なんで魔女はそんなことを言ったの?」

「分からない」

 0歳の、この世界のことをよく知らないアスカリスに説明は難しいことでした。それを察したキミドリはアスカリスに細かく砕いて質問を投げかけました。

 アスカリスと魔女の朝の出来事。アスカリスが見た夢の話。それらをキミドリは聞き出しました。

 するとキミドリは、あーあーいわんこっちゃない。とあきれて苦笑いを浮かべます。

 キミドリは魔女の考えを察しました。キミドリは魔女がアスカリスに〝聞かせようとしているもの〟に納得しました。そうして納得したはいいものの、そのうえで魔女によるアスカリスへの荒療治あらりょうじにキミドリは呆れ果てていたのでした。

「今……いつだっけ?」

「3月15日だ」

「そっちじゃなくて。『サイクル』はいくつ?」

「『42レクイエム』『0サイクル』だ」

「『0サイクル』かー……」

 サイクルとレクイエムという言葉はアスカリスにとって初めて聞く言葉です。

 この2つの言葉は「回転」「鎮魂歌(レクイエム)」の元々の意味ではなく、この世界にしか存在しない〝特別な年号〟です。

 1サイクルは44年を繰り返した回数を、1レクイエムは44サイクルを繰り返した回数を意味します。

 生後2ヶ月、時間の感覚が身についていないアスカリスに、キミドリたちが話している年号の底深さは分かりません。でも「分からない」という概念ならアスカリスにも分かります。

 だからアスカリスはキミドリたちが結論を出すのを待っています。

 キミドリたちの難しい話は続きます。

「帰ってくるのは次のサイクル?」

「それは失敗したのが人間の場合だ。もしアスカリスが失敗していたらひとつ前の時間軸に復活する。だがアスカリスは『41レクイエム(二千年前)』に蘇っていない。だとするなら、これからスィム・ケートゥスの元へ向かうアスカリスは事故に遭うこともなければ、死ぬこともないということだ」

「無事ってこと? アスカリスはここに帰ってくるわよね?」

「……それに他でもないアイツ魔女がアスカリスの旅の結果を知っている。アイツが結果を語っていないのは、当人からすれば結果が分かりきっているからだ。大体アイツから言ったとして。時間がどれだけ遅く進んでいるかを実感できていないコイツに、時間がリセットされることや時間が戻ることを説明しても伝わるとは思えない」

「正直私も分かっているとは言えないけどね。リセットならサイクルで体験するけど。タイムトラベルは体験したことがないわ。ねえイオリューキ。どうやったらタイムトラベルを体験できるの?」

「……神獣か、伝説の魔物の中でも上位のヤツだけだ。世界の滅びから遠ざける力を得た者は〝長く巡る人生〟から脱出するという伝承を聞いたことがある。〝長く巡る人生〟から出られるなら、タイムトラベルも実現可能なはずだ」

「ふーん……そういうことなのね」

 どうやら二人の話し合いに結論が出たようです。さっきまでのキミドリの浮かない表情は、イオリューキとの話し合いをて、軽やかな微笑みへと変わっていました。

「ああごめんね、アスカリス。難しい話は終わったわ。もう大丈夫」

「うん。イオリューキはもういいの?」

「俺は最初から心配なんてしていない。お前のこともアイツのこともよく知っている。長く生きている分、魔女との付き合いは長い」

「そっか。……じゃあさ、キミドリ、イオリューキ。私はどうすればいいか、教えてくれる?」

 アスカリスがそう頼むと、二人は一瞬だけ目と目で会話して、しょうがないなと言いたげな表情で笑いました。

「まずはお昼ご飯。続きはそれからね。デザートに私が作ったティラミスがあるわ」

「俺は……アスカリスの絵を書かせてくれ」

 必要なことの前にまずは日常を。無事に帰って来る。すぐに帰って来る。キミドリとイオリューキはこれから旅に出るアスカリスのために、ノスビュアの思い出を作ります。旅を終えてノスビュアに帰ってきたアスカリスが変わってしまってもいいように。出発する前の何も知らないアスカリスがいたことを、記憶のはしとどめて欲しいから。

 イオリューキは熟練の腕を振るい、よどみない動きでアスカリスの絵を完成させます。ランチプレートを食べ終わったアスカリスに、キミドリが手作りのティラミスを振るまいます。

 44年後のリセットが来るとイオリューキの書いた絵は全部消え去ってしまいます。

 だとしてもイオリューキはアスカリスの絵を書いたことは忘れません。

 魔物は記憶を無くしません。

 人間であるキミドリはリセットで今日の記憶を無くします。けれど人間は記憶を失っても経験は忘れません。ほろあまいティラミスの作り方をキミドリは覚えています。

 この思い出はアスカリスの中に残るものではなく、キミドリとイオリューキの中に残るもの。この日のティラミスと絵はキミドリとイオリューキの中に、アスカリスとの思い出を刻(きざ)み、やがて消えて、それでも残っています。

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