第2話 灯の下で
舶灯館の夜は、驚くほど静かだった。
廊下の電灯は柔らかく光を落とし、外の闇との境界を保っていた。
蓮は布団に横になったが、眠れない。
心も身体もまだ、戦闘態勢のままだ。
布団から起き上がり、素足を床に下ろす。
冷たさが妙に現実的だった。
廊下に出ると、帳場だけが灯りをつけていた。
千尋が帳簿とレシートの束に向き合っていた。
指先が震えている。
「……まだ起きてたんだな」
千尋は驚いたように顔を上げた。
「天城くんこそ、寝なくていいの?」
「眠れなくて。
……君こそ、休んだ方がいい」
「休んだら、この数字は消えてくれるの?」
赤く染まった収支が、残酷に現実を示していた。
「経営、そんなに厳しいのか?」
「厳しいよ。
商店街も、漁師町も、農家も、みんな同じ。
どこも、ただ沈むのを待ってるだけ」
声は、ぎりぎりに張りつめた糸のように震えた。
「舶灯館も、いつまで続けられるかわからない。
でも、やめたら絶対後悔する。
父が命みたいに守ってきた場所だから……」
蓮の胸が痛んだ。
「守れるよ」
瞬間、空気が凍った。
千尋は薄く笑った。
壊れそうな薄氷のような笑み。
「軽く言うんだね、そういうことを」
そして鋭く突き刺した。
「天城くんに、何がわかるの?」
「……わからないよ。
わかったふりして言った。
俺も、守れなかった側だから。
父のことも、部下も、自分の居場所も。
だから言ったんだ。逃げたくなかった」
千尋の表情が揺れた。
「逃げたくなかった……?」
「全部失って逃げてきた。
強い人間だったら、ここにいない」
千尋はゆっくり息を吸い、小さくつぶやいた。
「……嘘じゃないって、わかるよ」
静かな時間が流れた。
「明日、ハローワークに行ってくる。
どこか雇ってくれるところがあればいいけど」
「きっと見つかるよ」
「ありがとう。頑張る」
「応援するよ」
千尋は微笑んだ。
灯りのような笑顔だった。
「もし、必要なら手伝う。皿洗いでも掃除でも、何でも」
「お客さんに手伝ってもらったら笑われるよ」
「本気だよ」
「……ありがとう。でも大丈夫」
蓮は部屋に戻りかけて、玄関越しに街を見た。
商店街は真っ暗。
だが――
舶灯館だけが光を漏らしていた。
(守りたいと思った)
海風が頬を撫でた。
冷たいのに、温かかった。
――第2話 了――
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