第3話「二人の契約」
セラフィーナはしばらく俺とトマトを睨みつけていたが、やがて空腹には抗えなかったらしい。小さな、しかし綺麗な手でトマトを受け取ると、ためらうように一口かじった。
その瞬間、彼女の銀色の瞳が驚きに見開かれた。
「なっ……! なに、これ……!?」
無理もない。俺がスキルで生み出した奇跡のトマトだ。常識外れの甘さと栄養価が、疲弊しきった彼女の体に染み渡っていくのだろう。彼女は我を忘れたようにトマトを頬張り、あっという間に一つ平らげてしまった。
「……まだ、ある」
俺がもう一つ差し出すと、彼女は少しだけ頬を赤らめ、しかし今度は素直にそれを受け取った。二つ目のトマトを少しだけ落ち着きを取り戻して味わいながら、彼女は改めて俺を見た。その瞳には先ほどまでの警戒心は消え、代わりに鋭い知性の光が宿っていた。
「あなた……何者ですの? このような作物は、王宮の晩餐ですらお目にかかったことがありませんわ」
「俺はアラン。ただの村のガキだよ」
「嘘をおっしゃい。この痩せた土地で、これほどの作物が育つはずがない。あなたは、何か特別な力をお持ちでしょう?」
見抜かれたか。彼女の洞察力は見た目以上に鋭いようだ。俺は少し考えた後、正直に話すことにした。全てではないが、特別な力で美味い野菜を作れることだけを。隠しても仕方ないし、何より彼女の瞳は嘘を許さないような強い光を持っていた。
俺の話を聞き終えたセラフィーナは、廃屋の壁に寄りかかりながら静かに息を吐いた。
「……なるほど。天は私を見捨ててはいなかった、ということかしら」
彼女は俺に向き直ると、ドレスの汚れを払う仕草をしながら毅然とした態度で言った。
「アラン、でしたわね。あなたに、取引を提案しますわ」
「取引?」
「ええ。あなたには素晴らしい力がある。ですが、それを活かす知識が足りていない。この世界の常識、文字の読み書き、そして何よりその力を金や権力に変える交渉術が」
彼女の言葉は的を射ていた。俺にはスキルと前世の農業知識はあるが、この世界のことは何も知らないに等しい。村人たちと話すのだって、アランとしての拙い記憶が頼りだ。
「私があなたの力になりましょう。私の知識と教養、貴族として培った全てを使い、あなたを、そしてこの村を守る盾となります。私があなたの家庭教師になり、交渉の場にも立ちましょう。悪役令嬢とはいえ腐っても公爵令嬢。私を無碍にできる者は、そう多くはありませんわ」
彼女の言葉には揺るぎない自信が満ちていた。追放された身でありながら、その誇りは少しも失われていない。
「その代わり……あなたのその力を、この村を豊かにするために貸していただきたいのです。このままではこの村は冬を越せずに飢えで滅びますわ。それは、あなたも望んでいないでしょう?」
真っ直ぐな瞳が俺を射抜く。彼女は自分のためだけではない、村全体のことを考えていた。追放され見捨てられたというのに。その気高さに俺は心を打たれた。
それに彼女の提案は俺にとっても魅力的だった。俺一人ではいずれ限界が来る。だが彼女がいれば。彼女の知識があれば、俺のスキルはもっと大きなことができるはずだ。
「わかった。その取引、乗った」
俺が手を差し出すと、セラフィーナは一瞬だけ戸惑った後、その小さな手を俺の手に重ねた。
「契約、成立ですわね。これからよろしくてよ、アラン」
「ああ、よろしくな、セラフィーナ」
こうして、転生した元研究者と追放された悪役令嬢の、奇妙で秘密の協力関係が始まった。この痩せた土地から世界を変えるための、小さな一歩だった。
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