猫の魔法使い

よく分からん生命体

お歌とお猫様

 不思議な猫の魔法使いが困ったことがある時に、突如背後に現れて困り事を解決してくれる。


 そんな噂を聞いたことがある。


 「歌えない女歌手に価値はない。」


 そう言われて、私は演奏会から逃げ出した。

 

「〜〜〜〜〜♪」


 花や木々に囲まれた都会の中の秘密の庭園で、私の大好きな歌を口ずさむ。

 歌手になろうと思ったきっかけとなった曲。

 

 そして、私が歌えなくなったきっかけとなった曲。


 "パチパチ"


 拍手が聞こえて、慌てて後ろへ振り向くと、

 そこには黒い三角帽子と黒いローブに身を包み、後ろ足で二足歩行をした黒い猫がいた。


「失敬。素晴らしい歌声に感激した故、興奮して手を叩いてしまいました。」


 幼い子供のような高い声には似合わない古風な口調で話しかけてきた。


「名のある唄方うたかたとお見受けします。よろしければ名をお聞きしても?」

「彼方……です。」


 猫さんは私の名前を聞くと瞳孔を細めて驚いている。


「私の目は正しいようだ、今日はうたの催しでは?」


 まだ状況に着いていけていない状態で色々と話が進んでいる。

 しかし、この猫が噂の猫なのだということだけはわかる。噂のどこまでが本当なのかそんなことは分からないが、猫が歩いて喋る以外に魔法を使うなんてありえない。

 

「名前を知ってくれているならわかるでしょ

 私は歌えないの。だから逃げてきたんだよ……?」


 "蒼穹のタクト"


 私が書いて、私が音をつけた。

 私の子であり私の相棒。

 この曲で私は多くの人に感動を与えたことができたと思っていた。


 でも……、


「眠かったぁ……。」

「つまんなかったよねぇ。」


 決してそんな批判ばかりではない。

 だけど、演奏会の後に聞こえる僅かな悪意が


「っ……。」


 ある演奏会の日に私の歌を奪った。


「人前では歌えないよ、私の歌はつまらないから。」


 逃げてきた。その言葉に続けて

 猫が言い返せないように新しい言葉を投げ付ける。


 これでも、本当に困っていることを解決してくれるのか。


「ならば、人のいないあなただけの世界へ私が連れて行ってあげましょう。」


 だが、躊躇もなく猫はそう答えた。


 帽子を取って、ローブからステッキを取り出して、被っていた帽子の口をこちらに向けて叩く。

 帽子の中からは光が溢れ出し、眩んだ目を閉じてしまう。


 光が収まり、恐る恐る目を開くと、そこにはどこまでも続いていそうな青空が広がっていた。


「えっ……なに、なになに!?」


 足元に意識を向けると地面の感覚はなく、落下していく感覚だけが私を襲った。


「目を開きなさい!

 恐れてはいけない、ここはあなたの世界だ!」

「そんなこと言ったってぇぇえ!」


 「恐れるな」なんて言われたって無理だ。

 落ちる感覚は恐いし、目を開けるなんてできない。


「あなたがこの世界を受け入れない限り、落下止まりません。

 恐ろしくてもただ、あなたの世界を見てみなさい!」


 落下する感覚の中で、恐る恐る瞼を開く。


 落下する感覚は収まらない。

 しかし、この大空は落下していることを忘れさせるくらいに青く広い。


「この世界は、あなたのすべてを受け入れてくれます。あなたは、この世界に語りかけるだけでいいのです。」


 語りかける……。


「〜〜〜〜〜♪」


 私は言葉を紡いで語りかけることは苦手だ。

 思ったことは口には出せないし、人の目ばかりを気にしてしまう。


 だけど、歌なら。

 私を受け入れてくれるこの世界でなら歌えるかもしれない。


 "蒼穹のタクト"を


「〜〜〜っ♪」


 歌い終わると落下している感覚はなかった。

 それどころか足には自分の体がずっしりと乗り、踏ん張りを利かせていた。

 

 気がついた時には閉じていた瞼を開くと、


 "パチパチ……"


 私は、息を切らし汗をかきながらホールの舞台に立っていた。 

 観客席には多くの人々が涙を流し、力強い拍手をしてくれている。


 何度も、何度も歌えなかったこの曲を、ようやく人前で歌うことができた。


 この光景を見ると、今まで見ていたものが夢ではなかったのだと思える。


 舞台を見渡すと、

 観客席の最前列、真ん中の席に猫は座っていた。


「ちゃんと歌えてた?」

「えぇ、先程聞いたものよりも自信に満ち溢れた良いものでした。」


 歓声が終える頃、急いでホールのロビーに出たがその時にはもうあのお猫様はいなかった。


 あの不思議な猫の魔法使いは、またきっとどこかで困った人を助けに行ったのだろう。

 次は、誰の元へ行くのか。


 でもきっと、どんな困り事でも解決すると、


 私は信じる。

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