第8話 エリナの試験と手下集め
【カイの視点】
エリナから「手下を集めろ」と言われた俺が向かったのは、新宿・歌舞伎町の外れにある雑居ビルだった。
地下へと続く階段は薄暗く、カビと安っぽいエナジードリンクの匂いが充満している。
『サイバー・ダンジョン 24h』
ここは、家を失った若者や、日雇い労働者たちが体を休めるための激安ネットカフェだ。
俺は、迷路のようなブースを抜け、No.404の個室のカーテンを荒々しく開けた。
「うわっ!? ……なんだ、班長かよ。脅かさないでくださいよぉ」
暗闇の中でモニターの光に照らされていたのは、レンだった。
現場監督時代の俺の部下。
セメント袋を運ばせればすぐに腰を痛め、朝礼ではあくびばかりしていた、典型的な「使えない若者」。
軟弱な若者が3Kのうちに来たのは、奨学金というハードすぎる負債のせいだった。
俺は知っている。
こいつが休憩時間にスマホをいじる時の、あの神がかった指の速さを。
メンターとして面倒見ることになり、何枚の始末書と説教を繰り返したことか。
ただ、物覚えは悪くないし、耐久年数を超えたドローンでの空撮は若手で一番うまかった。
そして、会社の古いサーバーに勝手に侵入し、勤怠管理システムをハッキングして「遅刻」を「定時」に書き換えていた小賢しさを。
「レン。お前、まだあの現場で泥運びやってるのか?」
俺が尋ねると、レンはカップ麺をすすりながら自嘲気味に笑った。
「まさか。先週バックれましたよ。……今はここで、ポイ活と『いいね代行』のバイトで食いつないでます。日給? 換算で800円くらいっすかね」
死んだ目だ。
この国の若者は、才能があっても使う場所がない。
ただ摩耗して、腐っていくだけだ。
「……飯、食いに行くぞ」
「え? 班長、奢りっすか? 牛丼?」
「いや。……焼肉だ」
俺たちが向かったのは、ガード下の焼肉店だった。
円安の今、日本人が入れる店ではない。
先代は俺たちのお定まりの打ち上げ御用達。
今や客は外国人観光客ばかりだ。
「ちょ、班長! ここ高いっすよ! 特上カルビ一皿で、俺の家賃一ヶ月分っすよ!?」
ビビってメニューを閉じるレン。
俺は無言で、店員にオーダーを通した。
そして、支払いの段になって、俺は黒いスマホを取り出し、エリナに解禁してもらったばかりの『D-Pay』アプリを起動した。
「これは軍資金よ、どう使うかじっくり監査してあげる」
まったくもって笑えない。しかし、
『Payment Completed(決済完了)』 『- 120.00 USD』
レジで響いた重厚な決済音に、レンが目を見開いた。
「え……今の、なんすか? ドル……?」
「俺はもう、円では生きていない」
俺はテーブル席に戻り、レンの前に黒いスマホを置いた。
「レン。お前のその『デジタル勘』、俺に売れ」
俺は『G-Scan』の画面を見せた。
地図上に浮かぶ無数のピン。
そして、そこに表示されたドル建ての報酬額。
「なんだこれ……ゲームっすか?」
「ああ、ゲームだ。『日本沈没』というクソゲーのな」
俺はレンの目を見て言った。
「現場では、お前のスキルはゴミ扱いだった。だが、この世界(アプリ)では違う。……お前がドローンを飛ばし、データを解析し、情報を加工する。その『遊び』が、ここでは一回数万円の価値になる」
レンがスマホを手に取る。
画面をスワイプする指先が震えている。
金に震えているのではない。
自分の才能が、初めて「必要とされている」という事実に震えているのだ。
「……班長」
レンが顔を上げた。その目からは、死んだ魚のような色が消え、飢えた狼のような光が宿っていた。
「俺、やります。……いや、やらせてください。このクソみたいな国で、俺の『ハイスコア』叩き出してやりますよ!」
「交渉成立だな」
俺はニヤリと笑った。
焼肉店の排気ダクトが唸るテーブル席。
俺は、事前にDLしていた政府の法人登記アプリを開いた。
「レン。今から会社を作るぞ」
「えっ、今っすか? ここで?」
レンが牛タンを頬張りながら目を丸くする。
「ああ。今の日本じゃ、法人登記なんてカップ麺を作るより早い」
俺は入力フォームに打ち込んでいく。
『商号:合同会社 K&Rソリューションズ』 『本店所在地:東京都新宿区(レンの私書箱)』 『資本金:1円』
「い、一円!? マジっすか社長!」
「マジだ。見栄を張る金もないし、今の法律じゃこれで通る。……どうせペーパーカンパニーみたいなもんだ」
俺は画面をレンに向けた。
「役員構成。代表社員、篠田カイ。……そして、業務執行社員兼CTO(最高技術責任者)、葛城レン」
「CTO……!」
レンの目が輝いた。
ネットカフェ難民から、一瞬で企業のNo.2へ。
響きだけで飯が食えそうだ。
「よし、マイナンバーカードかざせ」
「へい!」
ピッ。
俺とレンがスマホにカードをかざす。
認証完了。電子定款送信。登記申請、受理。
『登録が完了しました。事業の成功をお祈りします』
所要時間、わずか3分。
あまりにも呆気ない。
だが、これで俺たちは法的に「会社」になった。
「乾杯だ、CTO。……今日から俺たちは、この国の泥を啜るハイエナ・コンビだ」
「うっひょー! 燃えるぅ! ……あ、社長、追加でハラミ頼んでいいっすか?」
「……好きにしろ。経費で落とす」
こうして、K&Rソリューションズは産声を上げた。
資本金は1円。資産は二人の頭脳だけ。
「会社名は**『K&Rソリューションズ』**。俺(Kai)とレン(Ren)の頭文字だ」
「うっひょー! 俺の名前入りっすか! 燃えるわー!」
「明日、販場から俺のハイエースを14時すぎに持ってきてくれ機材は詰みっぱなしだ」
「あのオンボロまだ乗ってたんですか、10万キロ超えてるでしょ」
「お前が忘れていったワイヤレスイヤホンも積んである」
とキーを渡す。
「ネカフェより居心地はいいはずだ」
「うっわ、微妙過ぎるwww」
煙たい焼肉屋の片隅で、世界を相手にしたビジネスが静かに、そして軽薄に始まった。
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