残暑

@kucchane_cucchane084

第1話

『冷やし中華、はじめました』

そう書いた紙を店先に貼り出したところ、声を掛けられて振り返ってみれば、昔馴染の穏やかな笑顔が見えた。

「よお、久しぶりじゃないか」

「こっちこそ、ご無沙汰してます」

商売人としての対応をすると、昔馴染はすっと距離を近づけた。そして、盗み聞きができないところで囁く。

「店じまいかい?」

時刻は逢魔が時。閉店には少し早いが、何せ僕たちは訳アリだ。店先で話すのもなんだと、僕は彼を店に招いた。


「暑いですね!すぐにお水をお持ちします」

いうが早いが、昔馴染も僕も人間の姿から、元の姿へと戻る。僕の腕は縮み、体は白く立方体状に伸びていく。昔馴染の笑顔は赤黒く、筋骨隆々の姿でも目立つ白い歯は口に収まらなくなっていく。僕たちは人間社会に潜む妖怪だ。近頃、昔ながらの妖怪はうんと数が減ってきていて、昔馴染はその減ってきた中での旧い妖怪仲間だった。

「僕なんて、すぐに漆喰が乾いてしまうんです」

ぬりかべの僕は、体に漆喰が塗られている。夏だとすぐに乾いてしまうから、不調のきっかけになりかねない。

「そりゃ難儀だな。ゆっくりでいいよ!」

鬼である昔馴染は白い歯を見せて笑う。そうして言葉を続けた。

「こっちは使わないから、ついに金棒を質に出したよ」

南無。鬼の象徴たる金棒も、昔馴染の手を離れることになろうとは。これが時代の流れというものかと、僕は内心震えた。

会話の合間に聞こえてくるニュースは、年々増加傾向にある猛暑日について説明している。気難しそうなコメンテーターが、自分の力ではどうにもならないことについて、必要以上に重い空気で話していた。

「そうなんですね!しかし、どう維持しているんですか?」

昔馴染の商売について聞くことにした。彼は長く大家をやっている。商売人として、その秘訣を知りたいという下心もあった。

「ああ。毎年入居者はいるから、どうにでもなるよ」

昔馴染は僕のそんな気持ちもつゆ知らず、さらりと返した。

「希望者にとって、年々審査は厳しくなるからね。うちみたいに条件が緩いところは、引く手あまたなんだ」

買い手のハードルを下げることは、きっとどの商売でも参考になるはずだ。水の入ったコップを差し出しながら、僕は少し前に彼から電話で聞いたことを話した。

「それはよかったですね!そういえば、これから工事でしたっけ?」

苦笑いしながら、昔馴染は答えた。

「ああ。入居者の一人が空調を直しちゃったからね。冬はいいけど、夏は困るんだ」


カラリ、と氷が溶けてコップを叩く音がした。

ニュースは天気予報から変わり、年間の熱中症による死者数についてキャスターが実況している。

「また来年、全室必ず埋まるからね」

そう言って、昔馴染はニッと嗤った。

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