変わった幼なじみ

@Melonicechan

第1話 衝撃の夏明け

 2024年、9月。私は自室で、幼馴染の電話番号が書かれたルーズリーフを見つめていた。元号は昭和ではなく令和だ。


 柳下とは年少の頃に出会って以来、8年の付き合いである。彼女は朝学活の1時間前に登校してクラスメイトが来る度挨拶をするという奇行を小学校入学式の次の日から休まず毎日続けてきた。小学校6年と中学校数ヶ月もの間、風邪やインフルが流行ろうと無遅刻無欠席だった。

 どうしてこんな生活をするのか、小4の頃に尋ねてみたことがある。本人曰く「挨拶は大事なんだよ」とのことで、私が期待していたような返答ではなかった。その程度の理由でここまでするのであれば、小1の頃に親から同じような教えを受けた私だって、毎朝声を張り上げ「おはようございます」と言うはずだからである。

 加えて、何故ひとりひとりに挨拶するのか聞くと、本人は訳が分からないというような表情で「挨拶は相手の目を見てするものでしょ」と言うばかりだった。この会話をもって、既に柳下が考えていることが半分分からなくなっていたが、今挙げた理由以外深い意味が無いことは柳下の目が輝いていたことから想像ついた。だから私も特に気にすることのないまま小学校を卒業した。

 

 近所の中学に入学したあとも、柳下は同様の生活を続けた。かなりウケたのか、中学校で知り合ったクラスメイトからは信頼されていた。中には毎朝挨拶されることを楽しみにしてる男子もいると聞き、世の中にはこうも単純なヤツがいるのかと思いつつ、確かにあのへにゃりとした可愛い笑顔は異性を虜にするだろうなと、私は傍観していた。

 他にも、華奢に見えてじつは大食いだったり、年相応の胸を張るポーズが癖だったり、真面目に見えて成績は中の下くらいだったり……語り出すとキリがない。とにかくよく笑う、騒がしい子で、常に陽のオーラが溢れ出ていた。

 そんな柳下が、中学生初めての夏休みが明けてから3週間もの間、突然学校に来なくなった。

 夏休みが終わる1週間前から連絡が取れなくなっており、その理由がわからないまま始業式を迎えた。初めの1週間は「柳下さん夏休みロスなのかな」的な雰囲気が教室に漂っていて、みんな深く気にすることは無かった。しかし、敬老の日を含めた3連休明けも来ないとなると流石にクラスメイトが不審がり始め、小学校で同じだった男子が「小学校6年間は無遅刻無欠席だった」と言うと、クラス全体に不安の波が広がった。

 私はその間何度も電話をかけたが、全てすぐに通話終了になった。気が気じゃなかった。家に行っても良かったのだけれど、柳下の身に何が起こっているのか分からなかったこと、そしてそれに私が巻き込まれるかもしれないと思い、数回の電話と数件のメッセージだけ送ってやめておいた。

 

 柳下がついに学校に来たのは、9月23日の火曜日。4時間目の国語の時間、突然勢いよく扉が開き、長らく姿を消していた柳下が姿を現した。クラスメイトが口々に柳下の名前を出したのもつかの間、それは驚きの声へと変わった。

 1学期はロングだった髪が、バッサリ切られてショートになっていたことが問題ではなかったと思う。柳下の背後から溢れ出る陽のオーラが完全に消えており、目元にはクマが浮かんでいた。自身に視線を送るクラスメイトには目もくれず、無表情、細めた目、堂々とした立ち振る舞いで、黒板前の国語教師の前に立つ。

 「すみません、遅れました」

 「おお、久しぶりだな」

 国語教師がいつものようにヨッと手をあげるが、柳下はそれを無視し、静かに自席に着いた。今までの柳下なら「久しぶり!」と言ってハイタッチくらいしていただろうから、柳下に何かしらの変化が起きたことをクラスメイトに悟らせるのに、この瞬間は十分すぎるものだった。授業の間、国語教師の活気が目に見えて落ちていたことは言うまでもない。

 授業が終わると、クラスメイトはこぞって柳下の席を取り囲んだ。今まで何していたのか、はたまた何かあったのか聞く生徒ばかりだったが、柳下は真顔を崩さず「何も無かった」としか言わなかった。柳下の無表情なんて見たことなく、クラスメイトは若干の恐怖を感じたのか、それともただお腹がすいたのか定かではないが柳下の席から次々と離れていった。

 柳下が一人になったタイミングで、私は声をかけに行った。衝撃を受けていることを悟られないよう、静かに自席で深呼吸をしたのち、柳下の席の前に立つ。

 「おっす〜久しぶり」

 「ああ」

 その「ああ」の一言で、柳下への印象が全く変わった。こちらに目を合わせてくれているが、今まで通り元気に挨拶をすることはなく、一瞥するような感じだった。夏休みで何があったのか聞きたい気持ちを抑えられなかった私は素直に口に出した。

 「夏休み、なんかあった?」

 「お前ほどじゃないが、色々あったぞ」

 今までとはうってかわって、喋り方が古典的だったことに驚かされた私はペースを崩される。それでいて、上手くはぐらかされた。柳下に「お前」呼びをされたことが無かったから、心臓がきゅうっとなる感じがした。怖かったのだと思う。全員の席に給食のプレートが配られたため、私はただ「そうなんだ」とだけ返して自席に戻った。大食いなのは変わらないようで、ししゃもを5本、皿うどんの麺を3パック無言で持っていく姿を見て少しほっとした。

 

 5時間目は数学だった。あのおかわりの量にも関わらずすぐに完食した柳下は、昼休みも自席で本を読んでおり、そつなく授業の準備をして待機していた。1学期なら「し、宿題やってない!見せて欲しい!」と涙目で言われるのが日常茶飯事だったから目を疑った。授業が始まると、柳下は先生の話を聞く様子はなく、今私たちがやっている単元の4つ先の練習問題を解いており、スラスラとノートにペンを走らせる。授業の終盤に応用問題を解くことになると、クラスで誰も解けず、最終手段として前に出て解法を書く役目に柳下が指名され、模範解答でも見ているかのような手さばきで書き終えてクラスメイトと先生を驚愕させた。


 「待たせてすまない。帰ろう」

 帰学活が終わると柳下の方から声をかけてきた。嫌われたのかもしれないと勝手に心配していた私は「え、あ、うん」と微妙な返事をして一緒に帰ることにした。

 下駄箱を出たあたりで、勇気をだして私から話の種をまいてみることにした。

 「久しぶりの学校、どうだった?」

 「生きる活力のなさそうなクラスメイトに囲まれ、やや疲れた。」

 一言目としては微妙だったかな、と考える隙も与えずに返事をする柳下に思わずたじろいだ。そして、幼なじみだからこそ分かるのだが傍から見れば生きる活力を失っているのは間違いなく柳下の方だ。

 「あんま楽しくなかった?」

 「平塚がハイタッチを求めてこなければ、もう少し楽しい1日になってたと思う。」

 平塚とは国語教師の苗字である。1学期はノリノリでハイタッチしていたように見えたが、あれは演技だったのかもしれない。

 一言で会話を終わらせる柳下と話が上手く弾まないまま、しばらくして私の家に着いた。別れを告げようとして、連絡が取れないことを思い出した私は背後にいるはずの柳下に体を向けたが、そこに姿はなく、既にスタスタと歩みを進めていた彼女の背中に走って追いつく。

 「ちょ、待って!速くない?」

 「無事に見届けられたからな。何かあったか?」

 若干の優しさが沁みるのを感じながら、私は息を整えて柳下に向かい合う。

 「連絡全然取れないんだけど。スマホは?」

 「ああ、スマホなら壊した。」

 「スマホは?」

 「両端を両手で持って膝蹴りを喰らわせれば一発でへし折れるぞ。」

 どうしても「スマホなら壊した」の一言が理解できず、もう一度質問するも返ってきたのは破壊の詳細なやり方だった。

 「え、なんで?」

 「スマホに縛られる生活を送るのに嫌気がさしたからだ。私が特別連絡を取るような相手はお前と親くらいだから、壊したところで大した損害は無いと思った。おかげで気分はスッキリしている。」

 返答の規模がいちいちデカすぎるせいで何を言えばいいのか分からない。「子供携帯なら持っている」と言うので、「じゃあ、電話番号教えて」と、スマホが無いことを私の心が受け入れた前提の質問をしたところ柳下はバッグからルーズリーフを取り出し、電話番号を書いて私によこした。

 「暇な時はいつでもかけてくれ。相手になる」

 そう言うと、柳下は私に背中を向けて歩き出した。精神的にも肉体的も疲れた私は、ただそれを見送ることしかできなかった。


 書かれた番号を入力して電話をかけると、すぐに柳下の声がした。

 『もしもし』

 「え、あ。柳下?」

 『ああ、美咲か。どうしたんだ』

 「へ?ああ、いや」

 本当に繋がるのか試した、なんて言えない。とりあえず「声が聞きたかった」とだけ言うと、『少し待っていてくれ』と言われて電話を切られた。

 言われた通りにして待つこと10分後、家のチャイムが鳴った。急いで階段を駆け下りて来客を確認する。モニターに写っていたのは制服姿の柳下だった。

 玄関のドアを開けると、紐で繋がれた2つの紙コップを持つ柳下がいた。そして、そのうち1つを私に渡す。私は思わず「なにこれ?」と言ってしまった。

 「糸電話、というやつだ。知らないか?」

 「いや知ってるけど」

 「じゃあ話が早いな。それを持っていてくれ。」

 そう言うと、柳下は私からどんどん離れて行く。張力で紐がコップから外れるか外れないか辺りまで離れたところで紙コップから柳下の声が聞こえたが、どもっていて何を言っているのか分からなかった。

 私の表情を見て察したのか、柳下は紐をまとめながらこちらに向かってくる。

 「糸電話の作成は失敗に終わった」

 神妙な表情で言うもんだから、思わず噴き出した。令和にもなって糸電話をここまで本気になって作る人がいるとは、ましてやそれが私の幼なじみだとは想像もつかなかった。

 笑いが収まったところで、糸電話の紐を分析しているらしい柳下に話しかける。

 「どうして急に、糸電話なの?」

 「私の声が聞きたかったんだろう?」

 確かにそう言ったが、私の本心としては「繋がるか試したかった」だけである。それに、仮に声を聞きたいとして、今こうして話すだけじゃダメなのか。

 「確かに聞きたかったけど、わざわざ来てくれるならただ話してくれれば」

 「美咲の『声が聞きたかった』の一言は昭和っぽかったから、その時代に生きた人々の気持ちを知ろうとしたんだ。」

 昭和にも携帯電話はあるだろうと思ったが、私はツッコまないでおいた。

 「というかわざわざ作ってくれたの?」

 「幼なじみの頼みならな。」

 そう言って私の肩をポンポンと叩く。胸が熱くなるのを感じていると、突然何かを思い出したような表情になる柳下。

 「すまない、今日はこれから勉強しないとなんだ。この糸電話は美咲に持っておいて欲しい。」

 私に糸電話を押し付けて、タタタッと走り去っていく柳下。私はまたも、それをただ見送ることしか出来なかった。


 私の幼なじみが変貌を遂げた、次の日。

 朝学活の15分前に教室に入ると、柳下は自席に着いて文庫本を読んでいた。

 「おはよ」

 私の挨拶に無言で頷く柳下。昨日も思ったが、8年間一緒にいてこの子が本を読んでいるところを見たことがない。これからも暇な時間はこうして自分の世界に入り浸るのだろうか。

 「昔は本読まなかったよね。ハマったの?」

 またしても無言で頷かれる。邪険にされている様子は感じ取れないが、きっと自分1人の時間が欲しいのだろう。私は「いいね」と言って、そっと柳下の席を離れて自席に座った。

 この夏で柳下の身に何が起きたのかは未だ分からない。だが、1学期には見られなかった目元のクマやペンだこから察するに、きっと勉強に打ち込んだのだろう。口調の変化や3週間にわたる欠席の説明にはなっていないが、何にせよこの夏は幼なじみにとって大変なものだったに違いない。

 勝手にそう納得していると、後ろから「ねえねえ」と声をかけられた。声の主はお団子結びが特徴のクラスメイト・加茂だった。1学期、コイツはいつも柳下と一緒にいたから、幼なじみポジである私の存在意義が危ぶまれていた。これまで話したことはなかったが、なんだろうか。

 「どうしたの?」

 「昼休み、暇?給食食べ終わったら、もしよければ4階の踊り場でお話しないかな」

 加茂はクラスの一軍、その中でもかつての柳下と並んでリーダー格の女だ。勝手に恐怖意識を抱いていたが、思いのほか可愛らしい口調が私の気を惹いた。昼休みはどうせ柳下も本を読むだろうし、断る理由がない私は「いいよ」と応じる。

 「ほんと?じゃあ、そこの階段を上がって4階の踊り場で待ってるね」

 そう言って教室を出ていく加茂。朝学活まで残り10分程度しか無いが、陽キャはこういった時間も惜しみなく交流に使うのだろう。そんな社交性も話し相手もいない私は、そのまま自席に座ったままバッグから読みかけの文庫本を取りだし、続きを読むことにした。


 給食を食べ終え、歯磨きをして4階に上がると、既に加茂の姿があった。

 「ごめん、遅くなった」

 「んーん全然。座ろ座ろ。」

 加茂に促された私は腰を下ろす。残暑が猛威を振るうなか、陽射しの当たらない踊り場の床はヒンヤリとしていて気持ちいい。

 「それで、話って?」

 「……なぎちゃんのことなんだけど」

 なぎちゃんとは柳下のことだ。「やなぎした」と書いて「やぎした」と読むが、どうもあだ名を作る際は前者を参考にすることが多いと聞く。

 「全然来なくなって、やっと来たと思ったらあんな調子でさ。雰囲気的に話しかけにくいんだよね。みさちゃんが幼なじみってのを聞いていたから、何か知らないかなと思って」

 加茂は1学期、柳下とベッタベタだった。中学校に入ってからというもの、私なんかよりずっと長い時間を柳下と過ごしてきた。だから今の柳下の様子は、加茂にとっても窮屈に感じるらしい。

 ……私はこの女と話すのは初めてだ。だから「みさちゃん」なんてあだ名で呼ばれるとは思わなかった。これがカースト最上位……

 しかし、そう言われても何も思い当たる節がない。私だって突然連絡取れなくなって寂しかったし、昨日電話番号を教えてくれたのは嬉しかった。だからこそ、早く知りたい。加茂も気になるかもしれないが、今柳下のことを一番知りたがっているのは断固として幼なじみであるこの私だ。

 「私も分かんなくてさ。また何かあったら教えるよ」

 毛頭教える気は無い。私だけが知れれば良いのだ。早くこの会話を終わらせたくなって、スカートに着いたチリを落として立つと、階段を上がってくる柳下の姿が見えた。私の視線を感じたのか、手に持っている教科書から顔を上げ、踊り場にいる私たちの方を向いて手を小さく振る。

 「珍しい組み合わせだな。こんな暗いところで何しているんだ」

 「あ、なぎちゃん。話すの、久しぶりだね」

 「と言っても約2ヶ月程だがな」

 加茂は目に見えて緊張しているが、それに反して柳下は淡々とした口調ですぐに応じる。

 「最近、変わったね」

 「この2日間でそのようなセリフを聞くのは、これで18回目だ。そんなに変わっただろうか」

 「ここだろうか」と言いながら、毛先をいじる柳下。見た目的な側面で言えば圧倒的に髪型が目立つが、雰囲気の変化はそれを軽く凌駕しており、柳下に対する私たちの印象を根本から書き換えてしまった。

 「もしかして……自覚ないの?」

 「自覚?そうだな。勉強に本腰を入れ始めた自覚はあるが、私の何が、人々に『変わった』と言わせたがるのかが分からない。」

 「1学期は私とかと一緒にはしゃいでたじゃん。この2日間はずっと本読んでる」

 「読書の面白さに気づいたのだ。1学期のように、自分の世界を『外』に向けて広げるのもいいが、それだとやや制限を感じるし、何しろ周りに迷惑をかけるかもしれない。その点読書は、『内』側に向けて好き勝手に広げられるから、のびのびと自分の世界に入り浸れる。」

 1学期の柳下は本当に楽しそうだった。自分のテリトリーに周りを巻き込んで、どんどん広げていく感じ。そうしてたくさんの人が押し寄せてしまった結果、本来自分だけがいるはずの世界で他者との衝突が起こった。実際、柳下のことを良く思わない生徒がいたことも事実だ。

 「良ければ、この夏に見つけたオススメの本を紹介しよう。自分の考えを広げるための種が至る所に撒かれているから、きっとのめり込むように」

 「そういうの、興味無い」

 柳下の提案に対し吐き捨てるようにそう言い切ると、私に「ごめんね」と言って階段を駆け下りていった。

 柳下の様子を伺うと、何かを考えながら加茂に差し出そうとした本の表紙を眺めている。これは喧嘩というやつだろうか。

 「……加茂さん、どっか行っちゃったみたいだけど」

 「ああ。個人の好みの問題だから仕方あるまい。関心が無い相手に対して、それを無理強いするのは1学期の私と同じだ。」

 そう言って階段を上がっていく。次は地理の調べ学習の授業で、5階の図書室でやるとのことだった。ずっと仲が良かった友達に、自身の趣味を「興味無い」と言われたにも関わらず、淡々と授業の準備を進める柳下が、私は怖かった。今後、あの2人の関係はどうなっていくんだろう。加茂に柳下を独占されるのが嫌だったはずの私が、皮肉にも2人の関係に亀裂が入る瞬間の最初の目撃者となった。

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