第0章 異世界での最初の救助

 ――硬い感触が背中を突き上げた。


「っ……!」


 目を開けると、視界いっぱいに灰色の石畳が広がっていた。

 鼻に届くのは土と草の混じった匂い。

 遠くで人々の喧騒がざわめき、風に揺れる布市の旗が視界の端をかすめる。


「ここが……神が言ってた“別の世界”……?」


 周囲には木造と石造りの建物が立ち並び、服装も見慣れない。

 歴史の教科書で読んだ中世の街並みそのものだった。


 ぼんやりと起き上がろうとした、その瞬間――


 「きゃああああッ!!」


 鋭い悲鳴が路地裏から裂けるように響いた。


 身体が反射で動く。

 考えるより速く脚が勝手に路地裏へ向かっていた。


「待ってろ――!」


 薄暗い路地の奥、少女が地面に倒れ込み、粗暴な男がその上に影を落としていた。

 腰には刃物。眼には狂気。


「やめろ!!」


 俺は迷いなく飛び込み、拳を握って男の顔面へ叩きつけた。


 しかし――。


「……は?」


 拳が男の頬に触れた感触は、妙に軽かった。


 手応えがない。


 殴ったはずの男は――まったく怯んでいなかった。


「何してんだテメェ?」


 男がゆっくりとこちらを向く。

 俺の拳など、羽虫が触れた程度にしか感じていない目だった。


「う、嘘だろ……当たって……ない……?」


 いや、当たってはいる。

 だが、攻撃として“機能していない”。


 神の声が思い出される。


 ――攻撃力は、永遠にゼロ。


「チッ、邪魔しやがって!」


 男の拳が振り抜かれる。

 重い衝撃が頬を打ち抜き、身体が横に転がった。


「ぐっ……!」


 石畳に背中を強く打ちつけ、視界が揺れる。

 動けない。立ち上がれない。


 少女のすすり泣きが耳に刺さる。


「やめて……誰か……助けて……!」


 助けなきゃ。

 でも攻撃が一切効かない俺じゃ――。


「俺は……守れないのか……?」


 胸が痛い。

 死んで救うことすら許されないのなら、俺は何をすればいい?


 そのとき――身体の奥が光った。


 条件反射のように、俺は無意識に手を前へ突き出していた。


「……頼む……!」


 光の紋章が路地に広がり、少女を包む。


《支援魔法・瞬加(スプリント)》


 風が爆ぜた。


 少女の身体が震え、瞳に驚きが走る。

 次の瞬間、彼女の脚が光をまとい――男の脇を疾風のようにすり抜けた。


「う、うわっ……!」


 少女が足で男の手首を弾き飛ばし、その反動で距離を取る。

 その動きは素人離れした速度だった。

 支援魔法が彼女の身体能力を一瞬だけ跳ね上げたのだ。


 男は怯んだ隙に逃げていく少女を追おうとしたが、足がもつれ、転んだ。


 少女は男から離れ、安全圏へ駆け込むことができた。


「あ……あぁ……!」


 助かった。

 確かに助かった。


 でも――。


 しばらくして少女が震えながら戻ってきた。

 どうやら男から逃げきれたらしい。


 少女は震える声でこちらを見た。


「たすけて、くれたのはわかる……でも……

 どうして……どうして戦わないの……?」


 その言葉は刃より鋭く俺の胸を刺した。

 彼女の恐怖は俺が“攻撃できない存在”であることをより強烈に突きつけてくる。


「俺……は……」


 言えない。

 攻撃が通らないなんて。

 誰も守れないなんて。


 少女は涙を流しながら礼を言って去っていった。

 残されたのは、手も足も震える俺だけ。


「俺……何も……できないんだ……」


 助けたいのに。

 守りたいのに。

 命を差し出すことすら許されず、戦う力もない。


 路地裏の影がやけに深く、冷たく見えた。

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