第8話 お店に入ろう
夜に響く馬蹄の音には耳をふさげ。
この世界にある諺の一つだ。
貴族街の一角に身を潜めながら、遠くに響く馬蹄の音を聞き、俺はそんな諺を思い出していた。
たしか、夜に走る馬や馬車は、大抵ろくでもない情報か物を運ぶものだから、縁起が悪いみたいな意味だったかな?
「まぁ、夜中に聞く救急車やパトカーのサイレンみたいなもんか……」
にしても、深夜近いというのに、城や貴族街の周辺が騒がしい。
その諺の所為か、貴族連中は夜中に馬や騎乗獣を走らせることを嫌うものなのだが、そんな事はお構いなしに、さっきから頻繁に馬に乗った兵士らしき者達が、大通り付近を行き来している。
もしや、既に俺の家出がバレて、騒ぎになってるとか……?
今日は、仲の良い貴族の邸宅にでも泊めてもらおうかと考えていたのだが、これは止めた方が良いかな?
「下手すると、既に捜索の手が回ってる可能性が高いか……」
俺が親なら、友達の家なんて、真っ先に確認する捜査対象先だ。
どちらにしろ、あれ等が、俺の事を探し回っている捜索隊なのだとしたら、さっさと貴族街も抜け出した方が良さそうだな。
貴族街に留まるのは危険だと判断した俺は、さっそく《シャドウムーヴ》を発動して、貴族街の外へと向かって移動し始めた。
やがて、貴族街を囲む第二の防壁の上に降り立つと、そこから見える街の景観がガラリと変わった。
王城や貴族街は敷地が広い所為か、夜も更けると、ひっそりとした雰囲気が漂うのだが、こっちは別世界だ。
建物が乱雑に立ち並び、壁を挟んだ反対側の貴族街より薄暗いのに、様々な所から人々の営みが放つ息遣いと活気が感じられる。
王都の一般区画というか、こういった普通の人々が住まう所に来るのは初めての事で、こうして眺めるだけでも色々と新鮮な心持だ。
前世にしても、こんな石造りの城塞都市の様な街並みの所は行ったことが無いので、ちょっとした観光気分である。
それと、ここまで何回か《シャドウムーヴ》を使ってみて思ったのは「こいつは便利すぎる!」という事だった。
視認できる場所で、平面に近く、俺の体が潜り抜けられる広さがある影があれば、好きに移動できるからだ。
今みたいに、夜間なら世界全体が影に覆われた様なものなので、移動先の安全確認さえ怠らなければ、誰にも見つからず移動し放題である。
「でも、使い過ぎはダメだな……」
貴族街を囲む街壁から降り、一般区画の裏路地へと《シャドウムーヴ》を使って飛んだ時、長時間の頭脳労働を終え、少し疲れた時の様な感覚を俺は感じた。
この感覚は、魔術の勉強と訓練をさせられた時に感じた事がある。
これは「魔力切れの初期症状か?」と気が付いた俺は、ステータスを確認してみると、案の定、MPの量が半分を切っていた。
魔術の講義みたいな物を受けた時に、寝るか、休んで瞑想みたいな事をすると魔力の回復速度が上がるとか言ってたけど……
「……休むにしても、どうする?」
アイテムを使うのも、もったいない気もするし……
インベントリに入ってるサブの装備にMP回復効果を持つ物があるにはあるが……
頭の装備なので『冥王の頭蓋』を外さないといけないし……
「だめだ……いまいち、考えが纏まらん……」
そんな風に悩んでいると、何処からか美味しそうな匂いが漂ってきた。
「そういえば、腹も減ったなぁ……」
無事に、ここまで来られた事で気が抜けたのか、今になって空腹と喉の渇きも感じてきた。
考えてみれば、パーティーで倒れた所為で、午後から何も食べていない。
路地裏から、匂いが漂ってくる大通りの方に目を向けてみると、こんな時間だというのに開いている店が見えた。
酒場なのか、食事処なのかは不明だが、開け放たれた扉の向こうは、煌々と光るランプに照らされ。
そこで幾人もの人々が、思い思いに酒と料理を楽しんでいる姿が見え、それを見てしまった事で、さらに空腹感が増す。
「……焦るんじゃない。俺は腹が減っているだけなんだ」
などと言ってはみたが、心では完全に「ちょっと、寄ってっちゃおうかなぁ」となっている。
だが、店に行く前に、する事がある。
外から見たところ、大衆食堂といった感じで、別にドレスコードなどは無いとは思うけど……
「……さすがに、この恰好では入れないよな」
今の恰好じゃ不審者過ぎる。
俺は『冥王の頭蓋』を外して、『虚神の装束』を脱ぎ、『ペルセフォネのヴェール』の生み出す黒霧を消して羽織りなおした。
店内には幾人か、旅装束の様な者も居るし、これくらいの恰好なら問題ないだろう。
「いらっしゃいませー。空いてる席にどうぞー」
店内に入ると、少し奥の方から、給仕のおばちゃんから声をかけられた。
言われた通りに、空いてる席へと行き、椅子へと腰かけ、テーブルや周囲を見渡す。
ざっと店内を見回してみたが、どうやらメニューなんて物は無いらしい。
当然、券売機なんて物も無いし、支払い方法や、料金体系も不明だ。
匂いに釣られ、勢いで入ってしまったが、大丈夫だろうか……?
「いらっしゃい。そろそろ閉店だから、出せる物が限られるけど、何にする?」
今世で、一人で外食なんて経験は初めての事で、少し不安になってると、先程、声をかけてきた店のおばちゃんが注文を取りに来てしまった。
こういう時は、素直に聞くか、店員任せにした方がいいか。
「何があるんですか?」
「もう窯の火を落としちまったからね。焼き物は出せないよ。酒のつまみなら、乾き物かね。食事なら、煮込みでタウロスのとラビットのが出せるね。パンはぁ……平焼きパンと、たしか丸パンも残ってたかねぇ」
お店のおばちゃんは、フランクな態度ではあるが、慣れた様子で注文できる物を説明してくれた。
「じゃあ、タウロスのと、平焼きパンを」
注文していて何だが、どんな料理なのかは分からない。
おそらく、平焼きパンは、ナンみたいな無醗酵パンの事だろうけど、タウロスというのは牛系の何かだろうか?
「あいよ。飲み物は?」
「水か……無ければ、酒精の弱いのをお願いします」
変に酔う訳にもいかないし、飲み物は無難な物が良いかと、そう注文したのだが――
「水かい……? 水が良いならコップを貸すけど?」
と、給仕の人は、俺が水を頼んだ事に不思議そうな顔をして、そんなこと言った。
それを見た俺は、顔には出さなかったが、少しマズイ事を言ったことに気が付く。
そうだ。
この世界は、成人であれば、飲み水には困らない。
生活魔法と呼ばれる物で、自身の飲み水くらいなら容易に出せるからだ。
それが常識とされる。
この世界には成人の儀という宗教的儀式がある。
俺も転生の際に会ったが、実際に神様っぽい存在が管理している世界だけあって、世界的に宗教は統一されているのだが。
その聖職者達が使える《祝福》というスキルを、成人を迎えた者は皆受ける事になっている。
成人と見做される満15歳になり《祝福》を受けると様々な恩恵があり、その中の一つが、生活魔法が使える様になる事である。
火起こしの種火や、飲料用の水を出す、ちょっとした汚れを消す、なんて事が誰にでもできる様になるのだ。
「あ、やっぱり、お酒にします」
「じゃあ、若寝かせのエールで良いかい?」
「はい、それで」
俺は、その事を思い出し、不自然にならないよう、即座に酒の注文に切り替えた。
給仕の人は「あいよ」と短く答えると、特に疑問をもった風もなく厨房の方へと向かって行き、俺は安堵の息を吐く。
思い返してみれば、俺も無事に誕生日パーティーを終えていれば、明日、王都にある大聖堂に行き、成人の儀を受ける予定だった。
家出するにしても、明日の成人の儀を終えてからの方が無難だったかもしれないなぁ……
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