煙火の茶釜

不思議乃九

 夜の帳が信貴(しぎ)山に降りるとき、

 久秀はひとり、城の石垣を歩いていた。

 樹影がゆらぎ、焔が空を裂く予感を孕んでいる──そんな気配。


 彼の掌には、薄氷のように冷たい茶釜。

 名器と謳われた「平蜘蛛」の茶釜。

 長年の友、そしていつか裏切りと滅びをともにするもの。


 「茶の湯とは──静寂の中に火を灯すことだ」

 久秀はそう呟き、茶釜を戸棚から取り出した。

 中にはわずかばかりの炭と火種、そして硝煙(しょうえん)の粉。


 城門の鈴は鳴らぬ。

 もはや、敵は門を破るのではない。

 **炎そのものが門となるのだ。**


 久秀は茶釜を天に掲げた。

 夜空を断つように、彼の影だけが伸びた。

 焔が踊り、火粉が星屑のように降る。


 その瞬間、耳鳴りのような轟音。

 火薬がまばゆく爆ぜ、茶釜は砕け、城も、矜持も、すべてが灰と煙となった。


 流れる硝煙の中で、久秀は笑った。

 ──これが、俺の最期の茶の湯。


 闇の中、ただひとつ光ったのは、

 割れた茶釜の破片。

 そのひとつひとつが、

 戦国という時代に放たれた、最後の花火だった。

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煙火の茶釜 不思議乃九 @chill_mana

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