【短編】おばあちゃん家の猫が死んだ

キャプテン・ふっくん

おばあちゃん家の猫が死んだ

 取り立ての免許を携帯し、母からのお下がりの車を走らせ三時間。父方の祖母の家にやっと着いた。


 女一人の車旅は精神に来る……教習所の教官でいいから隣にいてほしかった。いや嘘。流石に隣に関係値の低いおじさんがいたら嫌だわ。


 駐車場を見ると、現地集合と言い出したお父さんとお母さんはまだ着いていないらしい。ほんの少しホッとして胸を撫で下ろす。


 我が家は年末年始を祖母の家で過ごす事になっていて、それが世のスタンダードだと思っていたけど、大学の友達に年末年始の予定を聞いたらそうでもない事を最近知った。


 いつも集まる友人らは実家に帰らず、今頃アイドルの年末特番を見る為の準備をしているのだろう。


「おお、さむぅ〜」


 思い浮かべた友の顔を吹き飛ばすように、冬の寒気が肌を撫でた。見渡す限りの山。頂上の方は雪で白く染まっている。


 最寄りのコンビニはどこですか、言うほど最寄りですかと文句を言いたくなるくらいの小さな田舎町に、祖母は住んでいる。


 家の中に入ると、かけていたメガネが一気に曇った。暖かくて湿気が多い。


「ただいま、おばあちゃん」


「ああ、真由美ちゃん、おかえり。お姉さんげになったねぇ。車の運転大変だった?」


「ありがと。もうね、肩と腰が痛い」


「お疲れ様。寒いから入りな。今日はすき焼きだからね」


「ふふ、だよね」


 我が家の年末はおばあちゃん家ですき焼き、というのは毎年恒例だ。これも世のスタンダードだと最近まで思っていた。


「ああ、そうそう。チロちゃんね、死んじゃったんだわ。真由美ちゃん仲良かったでしょ? 家には写真しかないけど、手を合わせてくれる?」


「……うん、もちろん」


 チロちゃん、と言うのはおばあちゃんが飼っていた猫の事だ。……そうやって過去形にするのが寂しく感じるくらい、私はチロの事が好きだった。


 そんなチロは、一ヶ月前に息を引き取った。そう聞いた時、私は胸が締め付けられるくらい悲しい気持ちになった。


 私が小学生に上がる前におばあちゃん家にやってきた茶トラの猫。初めて会った時は人間に媚びる為に生まれてきたのかってくらい人懐っこかったのに、一年後に会ったら大人になって素っ気なくなっていて、諸行無常を感じたものだ。


 それでも私にだけは妙に懐いてくれて、私はその特別感が好きでチロの事をとても可愛がっていた。


 読みもしない新聞を広げてみせると、チロはその上で寝っ転がった。こたつの中に籠るチロを無理やり抱き上げて膝の上に乗せると、しょうがないな、みたいな顔しながらも撫でられてくれた。


 去年の年末に会った時、歩くのがヨボヨボしてきたなとは思っていたけど……本当に死んじゃったんだな。


(チロ。この家に来て、幸せだった? ……そうだったらいいな)


 おじいちゃんが眠る仏壇と一緒に置かれた写真立てに手を合わせる。骨壷はペット霊園にあるから写真だけ家に置いてるようだ。


 写真の中のチロは……半目を開いた、ものすっごい不細工な寝顔をしている。私がおもしろがって撮って、おばあちゃんにあげた写真だ。


 なぜだ……なぜよりによって遺影をこんな写真にしたんだ、おばあちゃん……。


「おばあちゃん、もっと可愛い写真あったでしょ」


「あったけど、それが一番チロちゃんらしくてか〜わいいんだよ」


「……まあ、飼い主がいいならいい、のかな?」


「そうさね」


 うーん、にしても見事に不細工な寝顔だ。私の遺影がこんな感じなら墓から這い出て盛りまくるけどな。


「それとね、家の中掃除してたらこんなのが出てきたの。チロちゃんがいっぱい隠してたのねぇ」


「いや、多すぎ……大泥棒じゃん」


 子供のおもちゃ箱くらいのサイズの段ボールに、チロが今まで盗みを働いてきた痕跡がたくさん残されていた。


「何これ、靴下?」


「ちっちゃい頃の真由美ちゃんの靴下かもねぇ」


「そういえばよく無くして怒られてた気がするけど……チロのせいだったんだ」


「それに限らず、真由美ちゃんのものっぽいのがいっぱいあるのよ」


「あ、コレ見覚えある……」


 手に取ったのは、とても不恰好な緑色の……何だコレ、何だかよく分かんないけど何かを模したと思われるキーホルダー。


 おばあちゃん家のお隣さんがキーホルダー作りが得意で、私もやらせてもらったんだ。年長さんくらいの時だっけ。


 あまりに不格好すぎて泣いちゃって、ぽいっと投げて捨てて怒られたんだったな。


「チロが拾ってたんだね……こんな不格好なの、どこが良かったんだか」


「チロちゃん、真由美ちゃんのこと大好きだったから、真由美ちゃんのものなら何でも欲しかったんだねぇ」


「こんなのでも?」


「好きな人の事なら、不格好でも好きになるものよぉ」


「……そっか」


 さっきのブッサイクなチロの写真も、おばあちゃんは大切に持っていた。いやまあ、確かに可愛いんだけどね、アレも。


 チロは私の事、大好きでいてくれたんだ。こんなものでも大切にできるくらい。


 そう思うと、私の中で抱えていた悩みについても考えてしまう。


「……ねえ、お父さんさ、私が志望校変えた事、なんか言ってた?」


「ん? 何も聞いてないよ。あの子はずっと、こっちから聞かなきゃ何も話さないんだ。あの子があんなんだから、美穂さんも大変だろうねぇ」


「どうだろ、お母さんは年がら年中マシンガントークできる人だから、バランスいいのかも」


「なら真由美ちゃん家が円満なのは、美穂さんのおかげだねぇ。会ったらお礼言わないと」


「うん、きっと喜ぶよ」


 


 ――去年の冬、私は受験生だった。


 本来であれば地元の地方国立大学を受けて、実家から通うつもりだったけど……何となく、いや、試験で落ちる気しかしなくて、逃げるように県外の大学に志望校を変えた。


 逃げたんだ、私は。頑張れば、ちゃんと根性見せて勉強すれば無理じゃなかった大学だったのに。


 私の心は、そんな逃げの決断のせいで靄がかかっている。両親……特にお父さんには、そのせいで胸を張って向き合うことができないでいた。


 進学にあたっていろんなお金を出すのは必然的にお父さんになるから、ちゃんと話し合って決めるべきだったんだけど……その時の私はフワフワした理由と態度でしか話す事ができなかった。逃げたいからとは言えなかった。


 当たり前だけど、お父さんは納得しなかった。明確な目的意識もなく、何となくで親元を離れて大丈夫なのかって怒られて……それっきりほとんど話していない。


 でも、そんな私でも、お父さんは大切に思ってくれてるのだろう。私の決断も、私が納得できてないだけでお父さんは受け入れてくれるのかな。


 お父さんが受け入れてくれたら、私も胸を張って向き合えるのかな。


「……私さ、お父さんとちゃんと話してみる」


「うんうん、そうしなねぇ」


 ピンポーン、と、家の中にチャイムの音が響いた。お父さんとお母さんが着いたのだろう。


「ちょうど来たねぇ。でも話はすき焼き食べた後にしなね。あの子、好きなもの食べた後は気が緩むから」


「……ふふ。うん、わかった」


 玄関に向かう祖母の背中を見た後、私は振り返ってチロの写真を改めて見た。ブッサイクだけど、チロはこの世の猫の中で一番可愛い。


「私、チロと会えて幸せだったよ。ありがとね」


 緑色の、得体の知れぬキーホルダーを手に取って、カバンの中にしまい込む。チロのおかげで、私は私を好きになれそうだ。

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