サラリーマンとたんぽぽ
@satoka2
サラリーマンとたんぽぽ
春を少し過ぎた夕方、五時。
男は疲れ果てていた。
シャツも身体も、そして心までも、
くたくただった。
男は川辺の土手に座り、バックから水筒を取り出した。
まだ少し冷たいお茶を飲もうと、
裏返した右手のカップに注いだが、
半分にも満たず、一飲みで喉に流し込んだ。
「はぁ、今日はもういいや……」
男はニ四歳のサラリーマン。
大学を卒業し、希望からは3ランクほど落ちる商社に就職した、社会人二年目の
“期待の若手社員”である。
しかし、
何でも大目に見られる“一年目マジック“と、辞めさせてはいけない!という
”接待じみた社内環境”の中で得られるものは少なく、時間だけを浪費していた。
そして今日も彼は、
契約が取れなかったのだ。
だが問題はそこではない。
男の会社の就業時間は
朝九時から夕方の六時まで。
つまりあと1時間、残されている。
本来サラリーマンとしてあるべきである姿。
心折れそうな自分を諦めずに鼓舞し、
”一社でも獲得する”という気概。
その気配、空気さえも、
今のこの男には……感じられなかった。
この由々しき事態こそが問題だった。
それにも関わらず、男は草っぱらでのんびりと時間を潰そうしている。
すると、
「ねぇ」
どこからともなく、声が、
「ねぇ、人間さん。」
たんぽぽだった。
男は不思議と驚かなかった。
自然とこう返す。
「君かい? たんぽぽが僕に話しかけてるいる………で合ってる?」
「ふふ。そうだよ。
たんぽぽが話しかけてるんだよ。
ふふふ。面白い。」
子どものような可愛い口調。
男女の区別が難しい、そんな声色だった。
「それで、たんぽぽさんは僕になんの用だい?」
質問を返す。
「それはずるいよ。
君が急に隣に座ってきて、いきなり暗い顔でため息なんかつくから、気になるじゃないか。
いわゆる”何かあったの?待ち”してたのは君でしょ。
ふふ。で、なにかあったの?」
言われてみればそうか。と男は思う。
「いやぁ、なんかうまくいかなくてさ。
楽しくも嬉しくも幸せでもないんだ。今。」
浅く、薄く、だが一番弱い部分をさらした。
「そうなんだ。楽しくないのか。
じゃあさ。君はどうなれれば幸せなの?」
純粋過ぎて痛い。
そして浅かった分、深めの質問がきた。
「んー……
お金持ちになるとか、彼女ができるとか、
目指してる存在になるとか……かな。」
これまた浅い返答だった。
「へぇー!そうなんだ!
えらく条件が沢山あるんだね。
それは確かに大変だ。
人間ってそういう中で生きてるんだ!
すごいんだね。」
驚きまじりの感嘆の声。
「いや、みんながみんなそうではないと思うよ。人それぞれ幸せの価値観は違うっていうし。」
慌てて弁解した。
「そうなんだね。
君の幸せにはそれが必要って事なのね。
じゃあ、君は大変なんだね。
なんでそういう人と君は違うの?」
僕に悟りでも開かせたいのか?
少し考え、こう答えた。
「わかりやすい1つの指標……みたいな?
幸せの。」
なんとも曖昧な返答だ。
「へぇ〜じゃあ、
君たちの幸せは”測れる”のか。」
………
悪気のないその一言が心臓をわし掴んだ。
「僕たちはね…」
あっ!男の子だったんだ‼︎
「ただ毎日同じで、
そりゃもう幸せなんだ。
どのくらい?って聞かれても
君たちみたいに測れないからわからないけど。とっても幸せだよ。」
ここで男は思い出したかのように切り出す。
「で、でもさ、
踏まれて駄目になっちゃったり、
咲く前に枯れちゃったり、
種がうまく飛ばせず次が残せなかったり、
幸せになれない事もあるんじゃないの?」
どこかで”仲間に引き込みたい”のような感情だったかもしれない。
「んっ?そうかい?
それらが起こると“幸せじゃない“
と感じるのかい?
つくづく大変に生きてるんだね。」
驚いた様子で答え、さらに続けた
「僕はね、
土の中で目を覚ました時。
もう楽しくて!
モグラさんやミミズさんと話したり、上から滲みてくる水を飲んで大きくなってるじぶんが面白くて!
土から出た時もいろんな景色が見れてワクワクした。
アリさんが僕で遊ぶの。
ふふ。ちょっとくすぐったいけど。
花が咲いた時は
ぱぁーと気持ちよかったよ!
蝶さんとてんとう虫さんが来てお昼寝するの。いろんなお話が聞けて楽しかったな。」
それはわかる!いや、わからないはずだが、
概念としてわかる!しかし!
「でもさ、そうなれなかった時、
悲しいし、不幸せでしょ。やっぱり。」
すごく残酷で残念な質問をなげた。
「んー。そうかな。
だって、楽しくて幸せだったんだよ。
例えそうなったとしても、それが無かったことになるわけじゃないし、残念な事に変わる訳でもない。
花が咲かなくても、
土に帰って次の誰かの栄養になる。
それでも僕らは……幸せだよ。
……そうだな。
もし君たちのように”幸せを測る指標”
があれば別だけどね………
ぼくらには無いからさ。
うん。
やっぱり幸せなんだよ。」
たんぽぽはこう答えてくれた。
その時……
プルルルルッ!プルルルルッ!
会社からの電話だ!
急いで時計に目をやると退社時間を過ぎていた。
「ごめん!たんぽぽさん!
僕、急いで行かなきゃ!」
慌てて上着を肩にまわし、ボタンもかけずに駆け出した。
「僕も楽しかったよ〜。
ふふ。やっぱり人間って大変なんだなぁ。」
会社に戻り、軽く上司に叱られ、席に着く。
退社する事務員さんが後ろを通った。
「お疲れ様でした〜。
んっ、何か肩についてますよ。」
と言いながら、を親指と人差し指でつまんで見せてくれた。
「あっ、たんぽぽの綿毛だ〜。
どこいってたんだか〜。
じゃっ、お疲れ様でーす。」
少し嫌味っぽく聞こえた。
僕はその綿毛を丁寧にティッシュにくるみ、
潰れないよう、上着の内ポケットに入れた。
ふーっと深く息を吐き、同じくらい空気を吸い込んだ。
今なら空気の味がしそうだった。
「……っよし!
明日こそは何が何でも一社獲るぞ。」
川辺の土手では、
ゆるやかな風に踊るたんぽぽが、
雲間に差す月明かりに照らされ、
にこっと微笑んでいた。
サラリーマンとたんぽぽ @satoka2
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