第4話 勇気そして世界樹へ

深層に入ったと気づいたのは後のことだ。木々の影がいっそう濃くなり、不気味な雰囲気が辺りを包み込む。そしてそれは急に起こった。


木々の奥から、重々しい足音が響いてくる。地面がかすかに震え、空気がひんやりとしてくる。そして巨大な影が現れた。ライオンの体に人間の顔、毒を持つ尾。マンティコアと呼ばれる魔物だ。老人の顔をしたその魔物は僕たちを見つけニヤリと嗤った。


「ギャッギャッ 。まさか本当に来るとはな。魔王様の呪いが発動したのを確認した。万が一勇者が呪いを解くために深層を訪れることがあればと思い待っていた。無駄足になるかと思ったが、こんなに早く来るとは。だが能力の落ちた勇者だ。そして勇者のステータスはその臆病者が持っているのだろう」


マンティコアは嘲るような声で嗤い、そして大きな咆哮を上げた。中層の魔物より悍ましい咆哮だ。僕はその咆哮に身体が固まってしまった。マンティコアが飛んでくる。サクヤが飛ばされた。だけど僕の身体は言うことを聞かない。


「逃げろ。こいつは名持ちの魔物だ。賢者や聖女のサポートがないと勇者であっても厳しい。私が倒されるとこの森はハルトにとって危険になる。なるべく耐えるから、今のうちに逃げろ」


サクヤは転がったまま、僕を見て逃げるように促す。だが、僕の身体は恐怖で竦んだままだ。不気味に光る眼が怖い。毒を持つ尻尾が怖い。何より残酷な表情を浮かべる人の顔が怖い。僕はいつもこの顔に怯えて生きてきた。


「ぐわっ」


サクヤの声で僕がいることを思い出したのか、マンティコアが僕に向き直りそして向かってきた。僕の体は動かない。サクヤが僕をかばって、飛ばされる。


「弱いな。そして愚かだ。こんな臆病者を庇うなんて。本来は逆だろう。この臆病者の方が強いはずだ。

そうだ良いことを思いついた。せっかくだから私の毒を試してみるかね。私はグリムファングというマンティコアの王だ。魔王様に頂いた素晴らしい名前を持っている。私の毒は普通のマンティコアと一味違うぞ。身体が溶けていくんだ。見物だろう」


サソリのような尻尾が僕めがけて飛んでくる。見える。決して躱せない速さではない。だが身体が動かない。そう思ったときに、サクヤが僕と尻尾の間に強引に入りこんだ。


「げほっげほっ」


「愚かだ。本当に愚かだ。そして臆病だ。反吐が出るほど臆病だ。もう勝負はついた。あとは絶望をゆっくりと味わうとしよう」


苦しそうなサクヤを見て、恐怖で動かない僕を見て、グリムファングが嘲るように嗤う。グリムファングの尻尾が僕を襲う。恐怖で目を閉じる。だが、衝撃は来ない。


「愚かだ。意味のない行動だよ」


「勇者とは強いものを言うのではない。人のために力を振り絞れるものを言うのだ。私が死んでも、その勇気を誰かが引き継いでくれる。魔王の心臓はあと一つだ。きっと誰かが倒してくれる」


「くだらない。その勇気がどこまで持つか試してみよう」


そう言うと、竦んでいる僕の前でグリムファングがサクヤの右足首に噛みついた。


「ふむ。勇者というのは存外に美味しいものだ。人の味に違いは感じていなかったが、ゆっくり味わうのも一興か」


「逃げろ。ハルト」


逃げて良いのか。僕は何をしているのだろう。庇われてばっかりだ。恩返しがしたい。サクヤは僕を色づいた世界に連れてきてくれた。こんなになっても僕のことを守ってくれる。誰が勇気を引き継ぐんだ。僕だ。僕が勇気を引き継ぐんだ。


「左足も美味しい。なるほど。脳を啜るのが楽しみになってきたぞ」


「逃げろ。逃げてくれ。ハルト」


僕のステータスは勇者だ。そして魔法はサクヤより上手く扱える。


「自分のためでなく人を守るための勇気と力を!」


僕は自分に魔法をかける。身体だけではない、心も強くするんだ。そう思い魔法をかける。

怖さが少しずつ消える。力が漲る。


魔法を圧縮する。魔法を加える。圧縮する。ただのマンティコアではない。名付きのマンティコアだ。焦るな。精一杯の力を出すんだ。サクヤに夢中になっている時がチャンスだ。僕は精一杯の無属性魔法をグリムファングに放った。


「…」


サクヤが驚いた眼で僕を見る。そして縋るように笑い、目を閉じた。グリムファングは大きく仰け反っている。その胸には大きな穴が空いている。


「まさか臆病ものが魔王様からもらった心臓をダメにしてくれるとは。楽に死ねると思うなよ」


グリムファングが大声をあげて威嚇する。まるでアレクやユートのようだ。だが、僕のためではない、サクヤのために振り絞った勇気だ。大切な人を守るための力、それは魔法だ。グリムファングの残酷な表情を見ても、僕の心は怯まなかった。


僕の放った無属性魔法が足を穿つ。スピード重視だ。そこまでの威力はない。また足を穿つ。嫌がったグリムファングが僕に向かってくる。足を怪我したためか、単調で遅い動きだ。見える。剣を振り下ろす。だがグリムファングは上手く顔を反らし、そして大きな前脚を僕の腹に叩きつけた。


「結局は臆病者だ。魔王様から頂いた心臓を一つ取られたのは腹立たしいが、結局は臆病者さ。ゆっくりと甚振ってやろう」


グリムファングの右足が、そして左足が飛んでくる。痛い、痛い、父親に蹴られたときもここまでは痛くなかった。怖い。身体が動かない。何度も転がされる。


「ハルト。無理するな」


小さなか弱い声だ。だが確かに聞こえた。大切なサクヤの声だ。サクヤと目が合う。顔は土気色で息をするのも辛そうだ。それでも僕のことを大切に思ってくれる。


「自分のためでなく人を守るための勇気と力を!」


グリムファングは油断し過ぎているのだろう。単調に振り下ろしてきた右足を切り落とす。そのまま顔を斬りつける。深手にはならなかったようだが、グリムファングが驚いたように後ずさる。


「心臓だけでなく、この顔までも傷つけるとは」


グリムファングが威嚇するような唸り声をあげる。だが、その唸り声が僕を怯ますことはなかった。声は声だ。僕を傷つけるものではない。グリムファングは怖がっている。だからこそ威嚇しているんだ。


距離が空いた。魔法を圧縮する。魔法を加える。圧縮する。そして魔法をグリムファングに向かって放った。


顔の半分に穴が開く。それでも向かってくる。だが、半分になったグリムファングの顔は恐怖にひきつっているように見えた。僕は落ち着いてその首を落とした。



グリムファングを倒した。ホッとする。だが、ホッとしてはいけない。サクヤに駆け寄る。まだ息はある。でも出血も多い。毒にも侵されている。ポーションをかけてもサクヤの顔色は悪いままだ。


世界樹、そうだ世界樹はすべての呪いを解く。もしかすると毒も出血もどうにかなるのではないだろうか。サクヤを抱える。走る。走る。だが肩に衝撃がかかって僕は吹っ飛んだ。サクヤが手から零れないように抱きしめて転がる。


ここは深層だ。グリムファングを倒しても強大な魔物が跋扈する。魔獣たちがニヤニヤと僕を見下ろしている。四つ首の狼が5頭だ。中層の熊よりも大きい。心が怯みそうになる。


「この人を守る勇気と力を」


もう逃げない。サクヤは僕が助ける。そうだ。勇者のステータスであれば、あの魔法が使えるだろう。


圧縮した玉を5つ同時に生み出し回転を加える。深層の魔物だ。同時に生み出した無属性の魔弾では、致命傷にはならない。だが魔物を怯ませるには十分だった。


自分を励まし、精一杯走る。精一杯走る。息が切れてくる。警戒も怠れない。魔弾を使う。魔力も枯渇寸前だ。世界樹はどこにあるんだろう。どこまで走ればよいのだろう。迷いを振り払い精一杯走る。


僕はどうなっても良い。サクヤを、本当に勇気のある勇者を、どうにかして守りたい。いつの間にか暗くなっている。何度も転んだ。だが転ぶ痛みなんて大したことはない。


どれくらい走っただろう、気づくと目の前に荘厳な大樹が見えた。魔物の森のはずだが、大樹の周りだけぽっかりと空間が空いている。月明かりに照らされた大樹のその姿は神秘的だ。


きっとこれが世界樹だ。サクヤを大樹の下に横たえる。顔色が悪いがなんとか息がある。世界樹には葉が生い茂っている。その葉を取って口に持っていけば良いのか、それともすり潰す必要があるのか、分からないが、僕は葉っぱに手を伸ばした。


突然、柔らかな風が吹き抜け、葉がささやくような音を立てる。そして、目の前に精霊が現れる。きっとこの大樹の精霊だろう。その姿は、まるで光そのものが形を成したかのように輝いていた。長い薄緑色の髪が風に揺れ、深い緑の瞳がこちらを見つめている。


「勇者よ。よく辿り着いたのじゃ。妾はアウウレア。願いを言うのじゃ」

「サクヤを助けて」

「良いじゃろう。そのものとは縁がある。安心して休むのじゃ」


優しく語りかける大精霊に、僕は必死に声を絞り出した。アウウレア様の言葉に僕はいつの間にか意識を手放していた。



夢だ。いつもの夢だから夢と分かる。父親が僕を蹴っている。だけどいつもの夢と違った。僕は両手で父親の蹴りを受け止める。父親が驚いた顔で怒鳴っている。でも怖さを感じない。父親の目を見る。じっと見つめる。目をそらしたのは父親が先だった。


サクヤが僕を覗き込んでいる。泣いているように見える。これも夢なのだろうか、そう思っていると冷たいものが顔にかかった。そして温かいぬくもりが僕を包み込んだ。


「ありがとう。ハルトが私を救ってくれたんだよ」


助かったんだ。サクヤに勇者を返せたんだ。その声を聞いて僕は凄く安心した。そして意識を手放した。あれだけ勇気を振り絞ったんだ。疲れていて当然だろう。



「夢で会って以来じゃな。魔王を倒したんじゃな」


「勇者にしていただいたおかげで魔王を倒せました。あと一つ心臓が残っていますが、これで2つです」


「良くここまで辿り着いた。あの呪いは魔王に有利すぎる。よく倒す決意をしたのじゃ」

「私も死ぬ覚悟だったんですが、ハルトに助けられました」


「最も臆病なものがグリムファングを倒すなんて、魔王は想像もしていなかったじゃろうよ。2つも心臓のある魔物じゃぞ」


「本人が成長したいと、打ち克ちたいと望んでいましたから。よく勇気を振り絞ってくれました」


「そういえば、あやつ賢者の条件を満たしてしまったぞ」


「きっと勇者の条件もですね」


「賢者になる条件はいくつかあるが、あ奴が達成したのは新しい魔法を3つ編み出すことじゃ。高圧縮の無属性魔弾の重ね掛け、高回転、臆病を勇気に変える。魔法の操作はもともと優れていたが、属性を得る前に賢者に至るなんて今までに例がないのじゃ」


「自分のためではなく人のために力を使う、自分より遥かに力の強い者を倒す。この2つも勇者になる条件の一つですよね」


「そうじゃ。だから勇者と賢者のスキルも付与されるし、関連するステータスも増加する。まだあやつはレベルが低いし、属性も得ておらんからそこまで強くはならないじゃろうが」


「意外にレベルは高いですよ。深層を潜り抜けていますし、何よりグリムファングを倒していますから」


「あやつは社会慣れしていないじゃろう。臆病だと人の顔色を伺うクセがつくものじゃ。称号が見つかると貴族に都合よく使われてしまうじゃろう。ステータス・スキルは授けるが、卵扱いでしばらくの間、称号は見えないようにしようと思うのじゃが」


「そうですね。上手く躱さないと勇者は国に良いように使われるだけですからね。本人が自信がついたときに称号がつくのが良いかもしれませんね」


夢うつつに、アウウレア様とサクヤが話しているのが聞こえる。サクヤが元気に回復していれば良い。そういえば足はどうなったのだろう。



次に目が覚めたのは空腹からだった。自分のお腹が目覚まし代わりだなんて体験は初めてだ。


「三日間ずっと寝ていたのじゃ。無理するな」

「食事を温めてくるから少し待っていてくれ」


立ち上がろうとしてふらつく僕に優しくアウウレア様が諭す。サクヤはご飯を温めると言って駆けていった。どうやら足は治ったようだ。世界樹が凄いのだろう。間に合って本当に良かった。


「美味しい」

「ふふ~ん」


サクヤが料理を自慢する。サクヤは決して料理は得意じゃなかった気がするが、お腹が空いているからか、食材が良いからか凄くおいしい。美味しそうに食べる僕を見て、サクヤは嬉しそうな顔をする。


「足、大丈夫だったんだね。普通に動けるの?」

「生命の源であるアウウレア様がいるからね」


「誰でも助ける訳ではないのじゃぞ。サクヤが、そしてハルトが頑張ったからじゃ。もちろんハルトの身体も治しているぞ」


「ありがとうございます」


「あと二日はここにいるが良い。それで体調は万全になるじゃろう。とりあえず今日は休むのじゃ」


お腹が満たされた後、僕は不覚にもすぐに寝てしまった。



きれいな大樹だ。幹も葉も活き活きとしている。新緑のような明るさの緑に囲まれていると幸せな気持ちになる。次に僕が目を覚ました時、初めて周りを見る余裕ができた。こんな素敵なところにいたんだ。ずっと寝ていたのが勿体ないくらいだ。


「身体を洗ってくるのじゃ。湧き水があそこにあるのじゃ。世界樹から滴る湧き水じゃ。古傷も無くなるじゃろう。それから食事にするのじゃ」


アウウレア様の言葉に、僕は湧き水のところに行き身体を洗う。冷たくて気持ちの良い水だ。口に含むとすごく美味しく感じる。身体に活力が漲る。身体を拭き、服を着直す。魔物に噛まれてボロボロだった服は不思議と新品のようになっている。


サクヤが大きな魔物を焼いている。アウウレア様は美味しそうな果物を並べている。僕はただお腹を鳴らすだけだ。


「これからどうするのじゃ」

「ユイとリンを助けに」

「聖女と賢者じゃな。邪悪な善人などおらんじゃろう。心配する気持ちは分かる」


お腹を鳴らす僕にサクヤとアウウレア様が笑いながら食事を勧めてくれる。食事をとりながら今後についてアウウレア様とサクヤが話している。


「ハルトはどうするのじゃ」


油断をしていると、僕のところに話が飛んできた。慌ててお肉をお腹に落とし込む。


「正直何も考えていないんだ。サクヤと会うまでは自分のことで精一杯で、サクヤと会ってからは勇者を返すことしか考えていなかった」


「何かやりたいことはないのか」


「サクヤの仲間を助けるのを手伝いたい」


「他にもあるじゃろう?自分のことじゃぞ」


「冒険がしたいかな。世界を巡る冒険者になって、いつか賢者になりたいと思っている」


「なるほど。それなら、冒険者として腕を磨きながら、聖女や賢者を探すのが良いのじゃ」


「ハルトは十分に頑張ってくれた。無理に私の手伝いをする必要はないよ」


「サクヤのおかげで世界が広がった。自分のためじゃなくて人のためにできることがあると分かった。だから自分のためにもサクヤの手助けをしたいんだ」


「ありがとう」


「まずは妾の葉をたくさん持っていくのじゃな。枝ごとでも良いぞ。ハルトにも収納箱のスキルを付けておいたぞ。遠慮せずに持って行き、そして必要なことには遠慮せずに使うのじゃ。水筒もやろう。湧き水が無限に出る。疲労も回復するし、簡単な傷や毒ならすぐに治せるのじゃ」


アウウレア様の言葉に僕は驚いた。収納箱のスキル、冒険者にとって夢のスキルだ。世界樹の葉は幻のアイテムだ。そして治癒の効果のある水筒、冒険者なら誰でも欲しがる。


「これは餞別じゃ。お揃いの指輪じゃ。守護の指輪と言い、防御力が上がるだけではなく、すべての状態異常を防いでくれる指輪じゃ。また縁があったらここに来るのじゃな。歓迎するぞ」


旅立ちの前にアウウレア様が指輪をくれる。僕たちは半分ふざけるように照れながらもお互いの指に指輪を嵌めた。アウウレア様が微笑みながらその光景を見守っていた。

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