第3話:夏香の剣、生魂の連鎖
Ⅰ. 儀式の開始と炎の誓い
霧島玄斎の工房の奥深くにある鍛冶場は、外の静けさとは対照的な熱気に満ちていた。深夜、玄斎は特別な霊鉱石を炉に入れ、炎を操る。
明里は晶子と共に炉の前に座り、「生魂の連鎖」の儀式に臨んでいた。
「よく聞け、明里」玄斎の声が炎の爆ぜる音に重なる。「この霊鉱石(れいこうせき)は、お前の途方もない仙才に耐える唯一の素材だ。だが、それだけでは足りん。お前の魂そのものを刀に注ぎ込み、『器』として完成させねば、刀はすぐに折れる」
「魂を……」
「その通り。お前の最も強い想い、夏香への愛、敵への憎しみ、そして力への恐怖。全てを炎に注ぎ込め。しかし、その代償は重いぞ。刀がお前の魂を写すとき、その力に見合う対価として、お前の『記憶』と『命』を喰らうだろう」
明里は深く息を吸い込んだ。炉の熱が肌を焼く。脳裏に浮かぶのは、黒煙に蝕まれる夏香の姿。
「命でも、記憶でも、望むなら全部くれてやる。ただ、夏香を助ける剣を打って……!」
明里が心の中で叫んだその瞬間、炉の中の鋼が白く光を放ち、明里の体に電流が走った。
Ⅱ. 記憶の流出
玄斎が鎚を振り下ろし、火花が飛び散る。明里はそのリズムに合わせて、全身の気を刀へと流し込んだ。
ドクン。
明里の胸の奥で、何かが強く脈打った。それは、自分の心臓の音ではない。刀が、明里の魂と「連鎖」し始めた音だった。
――チクリ。
明里の意識の奥深く、最も大切にしていた記憶が、鋭い針で突かれたように弾けた。
それは、五歳。修行を嫌がって泣き出した明里に、夏香がそっと差し出した、近所の祭りで買った金魚飴(きんぎょあめ)の味。
(…夏香は、なんで私に金魚飴を……?)
記憶が、映像も感情も残さず、ただの空洞として脳裏から引き抜かれた。一瞬、明里は「夏香と金魚飴」という事実だけが残っているのに、その時の「幸福な感覚」だけが抜け落ちたことに気づき、激しい吐き気を覚えた。
「うっ……」
晶子が明里の異変に気づき、静かに囁いた。「始まったのね。代償よ。止めないで、明里。これは、あなた自身の覚悟の証よ」
玄斎は炎の中で鋼を打ち続ける。夏香との思い出が、刀の強靭さへと変わっていく。この皮肉な循環こそが、明里の力を制御する唯一の方法だった。
Ⅲ. 負の感情の介入
儀式が佳境に入った、三日目の明け方。玄斎が最後の打ち込みに入ろうとしたその時だった。
キィィィィィン!
工房全体が、耳鳴りのような悪意の振動に包まれた。
「なんだ!?」玄斎が顔を上げる。
障子が破られ、一人の男が飛び込んできた。彼は常世ノ皇の盟主の力に憑依された、末端の分身だ。盟主の負の感情の集合体は、この世に生まれようとしている「光の器」を、本能的に破壊しようと動いたのだ。
「フフフ……なんて悍ましい光だ。お前のような醜い希望は、ここで燃え尽きるべきだろう!」
男は、自分の肉体を無理やり捻じ曲げ、その口から「火」の仙術を吐き出した。火は五行の属性の一つ。明里の仙才が「金」に偏っているため、相性の悪い「火」の術を、本能的に選んできたのだ。
「明里!」晶子が叫ぶ。
明里は炉から手を離さず、崩れかけた仙気で、原始的な「金(キン)」の防御障壁を作ろうとした。しかし、彼女の力は「金」に偏りすぎている。防御障壁はすぐに揺らぎ、男の放った炎が鍛冶場に迫った。
「くっ……!制御できない!火の術に……私の力が弾かれる!」
「無駄だ!その憎しみも希望も、全て我々の糧になる!」男は嘲笑った。
Ⅳ. 夏香の剣、覚醒
炎が明里の髪の毛を焦がそうとした、その極限の瞬間。
玄斎が、最後の鎚を打ち下ろした。
ガァァァァァン!!
炉の中から、炎よりも強く、眩い光がほとばしった。そこに横たわるのは、刀身から霊的な光を放つ『夏香の剣』。
「明里!受け取れ!お前の魂だ!」玄斎が叫ぶ。
明里は炎を無視し、熱された刀身を素手で掴んだ。皮膚が焼ける激痛が走るが、それ以上に、夏香の愛おしい記憶の残響と、絶対的な制御力が、刀身から明里の体へと流れ込んできた。
――今、明里の「金」に偏りすぎた途方もない仙才は、『夏香の剣』という器を得て、初めて安定した。
明里の全身から、光が溢れた。その光は圧倒的な「金」の仙気であり、男の放った「火の術」を、一瞬でかき消した。
「な……なんだ、この力は……!」
男は悲鳴を上げた。完成したばかりの刀から発せられる、純粋で強力な仙気に耐えられず、憑依されていた人間の肉体から盟主の分身が引き剥がされる。男の肉体は力尽きて倒れ伏し、盟主の分身は黒い煙となって山中へと逃げ去った。
明里の掌に残るのは、熱を帯びた、清く美しい刀。
「……これが」
明里は震える声で呟いた。そして、刀身に刻まれた自分の魂の印と、失われた記憶の重みを、深く噛みしめた。
夏香を救うための、三ヶ月の修行が、今、始まった。
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