千年の夢の果てに

暁 黎

第1話 プロローグ

 何処までも続く草原の果てを蒼い山脈が縁取り、澄んだ碧い空に溶け込んでいく。膝上まで伸びた細長い草を掻き分けて、少女は長い金髪を巻き上げる強風に逆らいながら、次第に遠ざかっていく馬影を懸命に追い掛けていた。

「リィーーーン!」

駆けていく馬脚に子供の足が追い付くはずも無い。それでも走りながら声の限りに叫ぶ。

「待ってー!待ってって言ってるじゃない!」

 怒気を込めて睨み付けると、何故か馬が止まった様な気がした。

「私もー、わたしも連れて行ってー!」

 見えるはずも無い距離だが、馬上の青年が驚きに目を見開いたのが分かった。膝上に手を置いて呼吸を整えながら、少女は更に声を張り上げた。

「置いていったら、一生呪ってやるんだから!」

 栗毛の馬がくるりと向きを変え、少女の方へと真っ直ぐに走って来る。厚手の綿シャツに革のチョッキ、革のズボンにブーツを履いた姿が青々とした景色に急速に鮮明になった。ボサボサとした薄茶色の髪は、相変わらず手入れもされず鳥の巣の様だ。せめて髭くらい剃ったらいいのに、と少女は思う。手入れをすれば多少は見られる容姿なのに、青年はまるで頓着しない。

「ナーシャ。」

 すぐ近くに馬を止めると、彼はするりと地面に降りて、少女に向かって両手を広げた。

「こんなところまで一人で来たら駄目じゃないか。魔獣でも出たらどうするんだ。」

「リンの馬鹿。一緒に連れて行ってくれるって約束したじゃないっ。」

躊躇いなくその胸に飛び込むと、彼女は頬を膨らませた。薄く日に焼けた小さな顔は、天使の様に愛らしい。赤に青糸を織り込んだスカートには、何度か転んだらしい泥や草がくっついていた。

「12歳になったら、街に連れて行ってくれるって約束したじゃない。私、ずーっとその時を楽しみにしてたんだから。」

 「まだ覚えてたんだ。」

彼は苦笑を浮かべて周囲に目を配りながら、ひょいと少女を馬上に座らせた。そして、自分も飛び乗ると、なだらかな丘の上に見える山小屋へと馬を巡らせる。

「ちょっと、私は戻らないわよ。」

「何も言わずに出て来たんだろう?俺は人攫いになるのは御免だよ。」

少女に覆いかぶせるように手綱を握るリンの顎髭が頬に刺さった。

「それに、今は駄目だ。時期が悪過ぎる。」

「時期が悪いってどういう事?」

「君みたいな子供がウロウロしてたら、人買いに攫われて売り飛ばされるって事さ。」

「嘘ね。嘘を言う人の目は泳いでいるって、父さんが言ってた。」

「本当だって。」

唐突に青年の気配が変わった。腰に刺した剣を抜くと片手で右の虚空を薙ぎ払う。カンという乾いた音がして、何かが地面に落ちたのが見えた。

「伏せろ。くっ。」

「リン!」

 背中越しに彼の体が一瞬痙攣したのが感じられた。微かに鉄の匂いが漂い、浅く荒い息遣いに変わる。

「大丈夫・・・だ。このまま・・・家迄走る。」

「リン!」

更に数度。空気が震え、何かが彼の背に腕に突き刺さった。手綱を握っていた手から力が抜け、疾走する馬からゆっくりと体が落ちていく。何が起こったのか分からない。ただ、血の気が引くような焦燥感のまま、少女は叫んだ。

「リーーン!いやーーっ!」

 



 

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