第28話 魔王級魔族の降臨。世界の理を書き換える力

 玉座の間は、もはや元の原型を留めていなかった。

 天井は吹き飛び、壁はねじ曲がり、床は底なしの闇へと沈んでいく。

 その中心に君臨するのは、古代魔族ザルクの真なる姿。

 六本の腕を持ち、全身が漆黒の結晶と脈動する肉塊で構成された巨神。その胸に埋め込まれた『混沌の核(カオス・コア)』が、ドクン、ドクンと不気味な鼓動を刻むたびに、周囲の空間に亀裂が走る。


「……空間座標がデタラメだ。重力定数も、熱力学の法則もバグり始めてる」


 俺は愛刀『星砕き』を構え、冷や汗を拭った。

 俺の『物質解析』スキルが、視界いっぱいにエラーログを吐き出し続けている。


 ――警告:物理法則の改竄(オーバーライト)を検知。

 ――警告:因果律の断裂。

 ――警告:この領域は、世界のデータベースから切り離されました。


 つまり、ここはもう異世界の中のさらに異界。ザルクという管理者が支配する、独立したサーバー(空間)になってしまったということだ。


『ククク……理解デキルカ、黄金ノ錬金術師ヨ。ココハ我ガ胎内。全テノ理(コトワリ)ハ我ガ意ノママダ』


 ザルクの六本の腕が、指揮者のように動く。

 それだけで、空気が鉛のように重くなり、セリアとポチが膝をついた。


「くっ……体が……動かない……!?」

『ぬぅ……! 重力が、百倍になっているだと……!?』


 ポチが神獣の膂力で耐えようとするが、床の石材が悲鳴を上げて砕けていく。


『脆イ、脆イナァ。人間ノ希望ナド、所詮ハ物理法則トイウ薄氷ノ上ニ成リ立ッテイルニ過ギナイ』


 ザルクが指を一本、スッと横に振った。

 ただそれだけの動作で、不可視の刃が空間ごとセリアたちを切り裂こうと迫る。

 物理的な斬撃ではない。『切断された』という結果だけを強制的に確定させる因果の改変だ。


「させるかよ!」


 俺は瞬時にコードを組んだ。

 セリアたちの周囲に展開していた防御結界の定義を書き換える。


「コード『存在固定(アンカー)』!」


 キンッ!!

 甲高い音がして、空間の刃が弾かれた。

 セリアたちの体が金色の光に包まれ、ザルクの支配領域から一時的に隔離される。


『ホウ? 我ガ権限ニ干渉スルカ。ダガ、何時マデ持ツカナ?』


 ザルクは余裕の笑みを崩さない。

 奴にとっては、これも余興に過ぎないのだ。


「セリア、ポチ! お前たちは下がってろ! こいつの攻撃は、物理防御も魔法防御も意味がない!」

「で、でもアレウス! 一人じゃ!」

「足手まといになるだけだ! 俺なら解析(対応)できる!」


 俺の剣幕に、セリアは唇を噛み締め、ポチと共に後方へ跳躍した。

 賢明な判断だ。今のザルクに触れれば、即座にデータを書き換えられて消滅させられる。


 俺は一人、巨神の前に立った。

 ザルクが見下ろしてくる。その瞳には、矮小な虫を見るような侮蔑の色。


『解析デキルト言ッタナ? ナラバ試シテミルガイイ。神ノ領域ヲ』


 ザルクが右上の腕を振り上げた。

 その掌に、太陽のような灼熱の火球が生成される。

 だが、俺の解析眼には、それが「ただの火」ではないことが見えていた。


 ――解析:極大熱源体。

 ――特性:『燃焼』の概念拡張。熱量無限大。対象の耐熱数値をゼロに固定。


 つまり、どんなに熱に強いオリハルコンの盾だろうが、俺が熱遮断結界を張ろうが、当たった瞬間に「耐性ゼロ」に書き換えられて蒸発する。

 必中必殺のチート攻撃だ。


「消エロ、塵トナレ!」


 ザルクが火球を投げつけた。

 回避は不可能。空間そのものがロックされている。

 俺は『星砕き』を握りしめた。

 逃げられないなら、書き換えるまでだ。


「物質解析、深層領域(ルート)接続。……定義変更!」


 俺は迫りくる火球のデータに強引に割り込んだ。

 『耐性ゼロ化』のコードを見つけ出し、その直前に『反転』の演算子を挿入する。


「コード『熱量変換・魔力還元』!」


 ドゴオォォォォォッ!!

 火球が俺に直撃した瞬間、爆発――は起きなかった。

 代わりに、火球はシュルシュルと渦を巻いて収束し、俺の剣へと吸い込まれていった。

 刀身が赤熱し、凄まじいエネルギーを帯びる。


「ご馳走様。いい燃料になったよ」


 俺はニヤリと笑ってみせた。

 ザルクの目が驚愕に見開かれる。


『馬鹿ナ……! 我ガ概念攻撃ヲ、喰ラッタダト!?』

「お前のプログラムは独りよがりなんだよ。外部からの入力を拒絶する仕様にしてるせいで、逆流させられると脆い」


 俺は吸収したエネルギーをそのまま剣閃に乗せて撃ち返した。


「お返しだ! 『星砕き・紅蓮(プロミネンス)』!」


 横薙ぎの一閃。

 放たれた斬撃は、ザルク自身の魔力を上乗せされ、城壁をも溶かす熱線となって巨神を襲う。


 だが。

 ザルクは動じなかった。

 左下の腕を前にかざす。


『無駄ダ』


 その一言で、俺の斬撃は空中でピタリと止まり、ガラスのように砕け散った。

 熱も、衝撃も、魔力も、全てが「無かったこと」にされた。


 ――解析:事象の否定。

 ――効果:時間軸の巻き戻し、および存在の抹消。


「……チッ、何でもありかよ」


 俺は舌打ちした。

 攻撃すれば無効化され、防御すれば貫通される。

 まさに管理者権限(アドミニストレータ)を持ったラスボスだ。

 普通のRPGなら「負けイベント」確定の演出だが、あいにく俺は諦めの悪いエンジニアだ。


『理解シタカ? コレガ格ノ違イダ。貴様ガ小手先ノ技術デ何ヲシヨウト、我ハ世界ソノモノヲ書キ換エラレル』


 ザルクが六本の腕を広げた。

 その背後の空間が歪み、無数の黒い穴が開く。

 そこから覗くのは、この世のものではない異界の風景。どす黒い空、腐敗した大地、蠢く無数の魔物たち。


『モウ遊ビハ終ワリダ。コノ王都ヲ始点トシテ、人間界ヲ我ガ魔界ト接続(マージ)スル。全テヲ侵食シ、全テヲ我ガ一部トスルノダ』


 世界融合(ワールド・マージ)。

 そんなことをされれば、王国はおろか、この世界そのものが終わる。

 大気は瘴気に変わり、人間は生きられない環境になるだろう。


「させないと言ったはずだ!」


 俺は地面を蹴った。

 空中に足場を作り、ザルクの顔面へ向かって疾走する。

 スピード勝負だ。奴が世界を書き換える処理(プロセス)を完了させる前に、本体を叩く。


『愚カナ』


 ザルクの目が光る。

 俺の進行方向の空間が、グニャリと曲がった。

 直進していたはずが、気づけば地面に向かって落下している。

 空間転移のループ。


「くっ……!」


 体勢を立て直そうとする俺に、ザルクの拳が迫る。

 ただの拳ではない。質量無限大の重力プレスだ。


 ドォォォォォォォンッ!!!


 俺は床に叩きつけられた。

 城の基礎岩盤まで貫く衝撃。

 『飛竜の戦姫鎧』のプロトタイプとも言える俺の防護服が悲鳴を上げ、防御結界が粉砕される。

 口の中に鉄の味が広がった。


「が、はっ……!」

「アレウス!!」


 セリアの悲鳴が聞こえる。

 俺は瓦礫の中で血を吐きながら、なんとか体を起こした。

 全身の骨が軋んでいる。回復魔法を自動起動して修復するが、ダメージが深すぎる。


『シブトイ虫メ。ダガ、次デ終ワリダ』


 ザルクが頭上に巨大な闇の球体を生成し始めた。

 城一つを消し飛ばすほどの高密度魔力弾。

 それを、圧縮し、さらに圧縮していく。


『消エロ。跡形モナク』


 絶望的な光景。

 だが、俺の心は折れていなかった。

 むしろ、今の攻撃を受けたことで、ある一つの「確信」を得ていた。


(……見えた)


 俺は口元の血を拭い、ニヤリと笑った。

 ザルクは万能の神のように振る舞っているが、違う。

 奴もまた、この世界のシステムを利用しているに過ぎない。

 空間を曲げるのも、法則を書き換えるのも、膨大な魔力をリソースとして消費し、複雑な計算式を実行しているだけだ。


 つまり、計算(ロジック)がある以上、そこには必ず「処理の隙(ラグ)」がある。


「セリア! ポチ! 俺に30秒だけ時間をくれ!」


 俺は叫んだ。


「30秒だ! その間、奴の注意を引いてくれ! 死んでも守れとは言わない、ただ視線を逸らさせるだけでいい!」

「……分かったわ! 信じてるから!」


 セリアが即座に応えた。

 彼女は聖剣を構え、恐怖を押し殺して前に出る。

 ポチも咆哮を上げ、本来の巨体をさらに巨大化させて囮となる。


『無駄ナ足掻キヲ……!』


 ザルクの意識が、ちょこまかと動く二人に分散される。

 その一瞬の隙。

 俺は『星砕き』を地面に突き刺し、膝をついた。


 目を閉じる。

 五感を遮断する。

 意識を、物理世界から電子の海――世界の構成情報の深淵へとダイブさせる。


 スキル『物質解析』、リミッター解除。

 脳が焼き切れるほどの情報量が流れ込んでくる。

 熱い。痛い。だが、止まらない。


 俺が見ているのは、ザルクそのものではない。

 ザルクが存在している、この空間の座標データ。

 奴が書き換えた物理法則のソースコード。

 そして、奴がアクセスしている『管理権限』の認証キー。


(見つけた……! 奴の力の源泉、そのバックドアを!)


 ザルクは城の魔力を吸収し、それを演算能力に変換している。

 ならば、その供給ラインを逆に利用して、俺の思考速度を加速させる。


 俺の体から、金色の粒子が溢れ出し始めた。

 それはただの魔力光ではない。

 世界を構成する情報素子そのものだ。


『ヌ? 何ヲシテイル……?』


 ザルクが違和感に気づき、こちらを向く。

 セリアとポチは既にボロボロになりながらも、必死に食らいついていた。


「させないわよ! よそ見しないで!」

『こっちだ、デカブツ!』


『小蠅ドモガッ! ……マア良イ、マズハ其ノ光ル小僧カラ消ストシヨウ』


 ザルクが生成していた闇の球体を、俺に向けて放とうとする。

 間に合うか。

 いや、間に合わせる。


 俺はカッ! と目を開いた。

 右目は金色に、左目は蒼色に輝いている。

 視界の中のザルクは、もはや怪物ではない。膨大なデータの塊だ。


「アクセス承認(グランテッド)。システム権限、強制奪取(オーバーライド)」


 俺が呟いた瞬間、ザルクの周囲に展開されていた防御障壁に、無数の亀裂が走った。

 物理的な攻撃によるものではない。

 俺が内部からコードを書き換え、障壁の強度設定をマイナスにしたのだ。


『ナッ!? 我ガ障壁ガ……自壊シタダト!?』


 ザルクが動揺する。

 その隙に、俺は『星砕き』を引き抜いた。

 剣が変貌していた。

 漆黒だった刀身は、透き通るような黄金色に変わり、周囲の空間データを吸い込んで伸びている。


「お前が世界を書き換えるなら、俺はその『書き換えるルール』ごと作り直す」


 俺は剣を上段に構えた。

 ただの魔力ではない。

 世界を最適化するための修正パッチを、物理的な刃として具現化させたもの。


「これが俺の、エンジニアとしての意地だ」


 ザルクが恐怖に顔を歪めた。

 神であるはずの自分が、たかだか人間一人に「理解(解析)」され、「修正」されようとしている恐怖。


『ヤ、止メロォォォッ!! ソンナ力、人間ガ持ッテ良イモノデハナイッ!!』


 ザルクが全魔力を解放し、世界を黒く塗りつぶそうとする。

 対する俺は、黄金の光を放ちながら踏み込んだ。


 世界が二色に分かれる。

 破壊の黒と、創造の金。

 二つの理が激突する、最後の瞬間。


「シリアルコード『天地再構築(ワールド・リビルド)』!!」


 俺は剣を振り下ろした。

 次回、最終決戦。世界そのものを「最適化」する一撃。

 全てのバグを消し去り、俺たちの勝利を確定させる。

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