第17話 ダンジョン・スタンピード発生。街の危機

 その警鐘は、エリュシオンの平和な夕暮れを切り裂くように鳴り響いた。


 カン、カン、カン、カン、カン――!!


 間断なく打ち鳴らされる早鐘。それは、街に「最高レベルの危機」が迫っていることを告げる緊急信号だった。

 道行く人々が足を止め、空を見上げる。

 北の空、魔の森の方角が、ドス黒い紫色の雲に覆われていく。いや、それは雲ではない。舞い上がった土煙と、高濃度の瘴気が混ざり合った死のカーテンだ。


 ズズズズズズ……。


 地響きが、足の裏を通して腹の底まで伝わってくる。

 コップの水が波紋を描き、窓ガラスがガタガタと震える。


「……始まったか」


 俺は屋敷のテラスで、迫りくる黒い影を見つめていた。

 隣には、蒼白な顔をしたセリアがいる。


「あ、あれは……『スタンピード(大氾濫)』!? 嘘でしょ、周期予報ではあと十年は起きないはずなのに!」

「予報なんてのは、正常に稼働しているシステムでの話だ。異常(バグ)が発生すれば、何だって起こる」


 俺は冷静に『広域索敵(ワイド・スキャン)』の情報を更新し続けた。


 ――敵性反応多数。

 ――種別:オーク、ゴブリン、オーガ、リザードマン……多種混成軍。

 ――推定総数:15,000体以上。

 ――進行速度:時速40キロメートル。到達まであと三十分。


 一万五千。

 エリュシオンの常駐騎士団と冒険者を合わせても、戦力は千人程度だ。十五倍の戦力差。しかも、魔物は疲れを知らず、恐怖も感じずに突っ込んでくる。

 まともにぶつかれば、この街は一夜にして地図から消える。


「ポチ、準備はいいか?」

『うむ。腹が減ってきたところだ。あの数なら食い放題だな』


 ポチがブルブルと体を震わせると、その体躯が本来の巨体――体高三メートルの神獣フェンリルの姿へと戻った。

 銀色の毛並みが魔力を帯びて輝き、周囲の温度が急激に下がる。


「よし。行くぞ、セリア」

「えっ、行くって……どこへ?」

「決まってるだろ。特等席(最前線)だ」


 俺たちは屋敷を飛び出し、街の外壁へと向かった。


 ◇


 街の中はパニックに陥っていた。

 悲鳴を上げて逃げ惑う市民、荷物をまとめて馬車に詰め込む商人たち。

 その逆流をかき分けて、俺たちは北門へと辿り着いた。

 そこには、冒険者ギルドの面々と、街の衛兵たちが集結していた。


「総員、配置につけぇぇぇッ! バリスタの準備だ! 魔法使い部隊は城壁の上へ! 前衛は門を死守しろ!」


 ギルドマスターのガンツが、城壁の上から怒号を飛ばしている。

 その顔には玉のような汗が浮かんでいた。歴戦の彼ですら、この規模のスタンピードは想定外なのだろう。


「ギルマス!」


 俺たちが駆け上がると、ガンツがギョッとして振り返った。


「アレウスか! それにセリアと……おい、なんだそのデカい狼は!?」

「俺のペットです。気にしないでください」

「ペットで済むサイズじゃねぇだろ! ……まあいい、今は猫の手でも借りたい状況だ」


 ガンツは双眼鏡を覗き込み、唇を噛んだ。


「酷ぇ数だ。森中の魔物が一斉に押し寄せてきやがった。まるで何かに追われているように」

「追われている?」

「ああ。通常、スタンピードってのは餌を求めて発生するものだが、こいつらは違う。背後の『何か』から逃げるために、我先にと走っているように見える」


 俺もまた、眼下に広がる光景を『解析』していた。

 地平線を埋め尽くす魔物の大群。

 その瞳は一様に赤く充血し、口からは泡を吹いている。


 ――解析結果:精神汚染状態。

 ――要因:特殊音波による強制誘導。

 ――発信源:森の最奥部。


(……なるほど。自然災害じゃない。人為的な、あるいは高位魔族による『誘導』か)


 魔物たちを狂乱状態にし、この街へ向かわせる信号が出ている。

 誰が何のために? それは後で調べるとして、まずは目の前の津波を止めなければならない。


「ギルマス、壁の強度は?」

「……保って一時間だろうな」


 ガンツが苦渋の表情で、足元の石壁を叩いた。


「この壁は古い。予算不足で補強も騙し騙しやってきた。オーガクラスの突進を受け続ければ、すぐに穴が開く。門が突破されたら市街戦だ。そうなれば……市民の半分は死ぬ」


 絶望的な予測。

 周囲の冒険者たちの顔にも、死相が浮かんでいる。

 逃げたい、でも逃げ場はない。そんな空気が蔓延していた。


 だが。

 俺はふっと笑った。


「一時間もあれば十分ですよ。それに、この壁ならまだ使えます」

「あぁ? 何言ってんだお前。補修する時間なんざねぇぞ」

「時間がないなら、時間をかけずに直せばいい」


 俺は一歩前に出た。

 城壁の最前列。手すりに手をかけ、眼下に迫る魔物の群れを見下ろす。

 そして、右手で壁の石材に触れた。


「セリア、ポチ。俺が作業する間、少し時間を稼いでくれるか?」

「えっ、作業って……今ここで!?」

「三十秒でいい。近づく空中の敵を落としてくれ」


 上空には、先行する怪鳥やワイバーンの群れが飛来していた。


「わ、分かったわ! 三十秒ね!」


 セリアが聖剣『蒼穹』を抜く。

 飛竜の戦姫鎧が微かに駆動音を上げ、彼女の身体能力を強化する。


「ポチ、行くわよ!」

『まったく、人使いの荒い主だ』


 セリアとポチが同時に動いた。

 セリアの剣から真空刃が放たれ、先頭の怪鳥を切り裂く。ポチは口から巨大な氷柱を吐き出し、ワイバーンを凍結させて撃ち落とす。


 その隙に、俺は意識を集中させた。

 スキル『物質解析』、対象拡大。

 エリュシオンを取り囲む長大な外壁、その全てを『再構築領域』に設定する。


 ――対象:都市防壁(全長5キロメートル)。

 ――状態:老朽化、ひび割れ多数。

 ――リソース:地下岩盤、および大気中の魔素。


「構造定義変更。材質を花崗岩から『多層強化コンクリート』へ。内部に『衝撃分散フレーム』を追加。表面に『物理反射結界』をコーディング」


 俺の脳内で、巨大な3Dモデルが書き換わっていく。

 ボロボロの石壁のデータを削除し、俺が知る最強の要塞壁のデータを上書きする。


「最適化(オプティマイズ)……実行(コミット)ッ!!」


 ズズズズズズズッ!!!


 大地が激しく揺れた。

 今度は魔物の足音ではない。壁そのものが鳴動しているのだ。


「な、なんだ!? 壁が光って……!?」


 ガンツたちが腰を抜かす。

 俺の手から放たれた光が、城壁全体を一瞬で走り抜けた。

 光が通過した後、そこにあったのは黒ずんだ古い石壁ではなかった。

 白く輝く、継ぎ目のない一枚岩のような壁。

 高さは十メートルから十五メートルへと隆起し、表面には幾何学的な魔法陣の紋様が青白く浮かび上がっている。


「……できた」


 俺は息を吐いた。

 総工期、わずか十秒。

 一夜城どころの話ではない。一瞬城だ。


「な……な……」


 ガンツは言葉を失い、生まれ変わった壁を撫でた。


「ミスリル……? いや、オリハルコン並みの硬度だ……! 壁全体が魔導具になってやがる……!」

「これならオーガの群れが頭突きしても、向こうの首が折れるだけですよ」


 俺はニヤリと笑った。

 しかし、これはあくまで「盾」だ。

 敵は一万五千。防いでいるだけでは、いずれジリ貧になる。


「壁は直した。次は『矛』の出番だ」


 俺はマジックバッグから、数個の金属製の球体を取り出した。

 バスケットボールほどの大きさで、表面には複雑なレンズと砲口がついている。

 俺が屋敷の工房で量産していた『自動防衛ユニット(タレット)』だ。


「ギルマス、この球体を等間隔に壁の上に並べてください。魔石はいりません。俺が遠隔でエネルギー供給します」

「お、おう! よく分からんが、お前の作ったもんなら信用できる!」


 ガンツの号令で、冒険者たちが球体を設置していく。

 その間にも、魔物の第一波が城壁直下まで到達した。


「グルアァァァッ!!」


 先頭のオーガたちが、勢いをつけて新しい城壁に激突する。

 ドォォォォンッ!

 凄まじい音が響いた。

 だが、壁は微動だにしなかった。

 逆に、激突したオーガたちが、壁の表面に張られた『物理反射結界』によって弾き飛ばされ、後続のゴブリンたちを巻き込んで転がっていく。


「す、すげぇ! 傷一つ付かねぇぞ!」

「これならいけるか!?」


 冒険者たちに希望の光が宿る。

 だが、敵の数は圧倒的だ。後から後から湧いてくる黒い津波が、死体を踏み台にして壁をよじ登ろうとし始める。


「数が多いな……。よし、起動(ブート)しよう」


 俺は指を鳴らした。

 設置された五十基の『自動防衛ユニット』が一斉に展開(トランスフォーム)する。

 球体が変形し、六本の砲身を持つガトリング砲のような形状になった。


「ターゲット・ロック。識別:人間以外。殲滅モード、開始」


 ヒュィィィィン……。

 砲身が回転を始め、魔力をチャージする高周波音が響く。


「撃てぇぇぇッ!!」


 俺の合図と共に、全てのユニットが火を噴いた。

 発射されるのは実弾ではない。

 圧縮された『魔力弾』の雨だ。

 俺の魔力を動力源とし、無限に生成される光の弾丸が、毎分三千発の速度でばら撒かれる。


 ダダダダダダダダダダダダッ!!!


 轟音と閃光。

 城壁の前が、光の暴風雨に包まれた。

 壁を登ろうとしていたオークが、ゴブリンが、蜂の巣になって吹き飛ぶ。

 狙いは正確無比。俺の『解析』スキルと連動した照準システムは、魔物の急所である魔石を百発百中で貫いていく。


「な、なんだこれは……戦争か……?」


 隣にいた冒険者が、ポカンと口を開けて呟いた。

 剣と魔法の世界の住人にとって、この圧倒的な弾幕(火力)は未知の恐怖だろう。

 だが、俺にとっては見慣れたタワーディフェンスゲームの光景だ。


 しかし。

 それでも敵の数は減らない。

 弾幕を掻い潜り、あるいは仲間の死体を盾にして、より強力な個体が迫ってくる。


「グオォォォッ!!」


 地響きと共に現れたのは、五メートルを超える巨体。

 ギガント・オーガだ。

 それが三体。丸太のような棍棒を振り回し、防衛ユニットの一つを粉砕した。


「チッ、やはり量産型じゃAランク級には火力不足か」


 俺は舌打ちした。

 ユニットが一つ壊れると、そこから防御網に穴が開く。

 そこへ雪崩れ込む魔物たち。


「うわぁっ! 登ってきたぞ!」

「押し返せ! 壁の上に入れるな!」


 冒険者たちが剣を抜き、応戦する。

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