第8話 初仕事は薬草採取。ついでにドラゴンの死体を持ち帰る

 冒険者ギルドのカウンターには、気まずい沈黙が漂っていた。

 俺の目の前には、かつて「金貨十枚相当の測定水晶」だったガラス質の粉末が、キラキラと虚しく輝いている。


「……粉々、だな」


 ギルドマスターと呼ばれた眼帯の巨漢――ガンツが、低い声で呟いた。

 彼は粉末を指で少し掬い上げ、パラパラとこぼれ落ちる様をじっと見つめている。

 周囲の冒険者たちは固唾を呑んでその様子を見守っていた。新人がギルドの高価な備品を壊したのだ。怒鳴り声と共に鉄拳制裁が飛んでくる、誰もがそう予想しただろう。


 だが、ガンツはニヤリと口の端を吊り上げた。


「面白い。久しぶりに活きのいいのが来たようだな」

「え?」

「魔力の込めすぎでヒビが入る奴はたまにいる。だが、内部から焼き切って粉砕するなんざ、俺も初めて見たぞ。坊主、名は?」


「……アレウスです」


「そうか、アレウス。この水晶の弁償代だが……今回は不問にしてやる」


 ガンツの言葉に、周囲から「えぇっ!?」という驚きの声が上がった。受付のミリアも目を丸くしている。


「い、いいんですかギルマス? これ、経費で落とすとなると本部から小言が……」

「構わん。その代わりだ、アレウス」


 ガンツが俺の肩をガシッと掴んだ。岩のような手だ。


「これからしっかり働いて、この街に貢献してもらうぞ。お前のような規格外が遊んでいる余裕は、今のエリュシオンにはないんでな」


 その隻眼には、俺の「力」を見定めるような鋭い光が宿っていた。どうやら、ただの事故として片付ける気はないらしい。俺が何かを隠していることを見抜いた上で、あえて泳がせるつもりか。

 ……合理的だ。下手に追求して俺に逃げられるより、借りを一つ作って縛り付ける方が得策という判断だろう。


「分かりました。期待に応えられるよう努力します」

「うむ。ミリア、こいつの登録を通してやれ。ランクは規定通りFからだがな」


 ガンツは豪快に笑うと、マントを翻して奥へと戻っていった。

 嵐が過ぎ去ったような安堵感が場を包む。


「はぁ……寿命が縮んだわ」


 ミリアが深い溜息をつき、新しい羊皮紙を取り出した。


「特別措置よ。これがあなたのギルドカード。失くさないでね」


 渡されたのは、薄汚れた鉄のプレートだった。名前と『ランク:F』という文字が刻印されている。

 俺はそれを受け取りながら、無意識にスキルを発動させた。


 ――対象:低品質鉄プレート。

 ――状態:酸化(サビ)、微細な歪み。

 ――処理:還元、研磨、表面コーティング。


 指先で撫でた瞬間、サビだらけだったプレートが鏡のように輝く新品に変わった。

 ミリアが「えっ」と声を上げかけたが、俺は人差し指を口元に当てて「シーッ」と合図した。これ以上騒ぎになるのは御免だ。

 彼女は呆れたように首を振り、掲示板の方を指差した。


「仕事はあそこから選んで。Fランクが受けられるのは『採取』か『雑用』のみよ」


 ◇


 掲示板には、無数の依頼書(クエスト)が張り出されていた。

 『ドブ掃除:銅貨三枚』

 『迷い猫探し:銅貨五枚』

 『ゴブリンの耳納品:一匹につき銅貨五枚』


 地味だ。エンジニア時代のデバッグ作業並みに地味な案件ばかりだ。

 その中から、俺は一枚の依頼書を剥がした。


 『依頼:月光草の採取』

 『報酬:銀貨一枚(五株)』

 『場所:魔の森・浅層』


 月光草は、ポーションの原料になる基本的な薬草だ。報酬は安いが、森に入る口実にはなる。


「これにします」

「月光草ね。森の浅い場所にあるけど、最近は魔物の動きが活発だから気をつけて。期限は三日よ」


 受付を済ませ、俺はギルドを出た。

 背後で冒険者たちが「あいつ、やっぱり採取かよ」「すぐに泣いて帰ってくるぜ」と囁き合っていたが、俺の耳には届かない。


 ◇


 再びやってきた『魔の森』。

 俺にとっては庭のようなものだが、一般人にとっては死地だ。

 俺は足元を歩くポチ(偽装中)に声をかけた。


「さて、月光草を探すぞ」

『……主よ。我は神獣だぞ? 草むしりの手伝いをさせる気か?』


 ポチが不満げに鼻を鳴らす。


「嫌なら晩飯抜きだ」

『すぐに見つけよう! この鼻にかかれば草の一本や二本、造作もない!』


 ポチが猛烈な勢いで地面の匂いを嗅ぎ始めた。

 俺も負けじと『物質解析』のサーチ範囲を広げる。

 視界にグリッド線が走り、周囲の植物の情報が次々とポップアップしていく。


 ――雑草、雑草、毒草、キノコ(食用)、雑草……反応あり。


「あったな」


 森に入ってわずか五分。

 大樹の根元に、淡く青白い光を放つ草が生えていた。


 ――対象:月光草。

 ――品質:Cランク(一部枯れかけ)。


 天然物としては平均的な品質だ。

 俺はそれを引き抜くと、手の中で魔力を流し込んだ。


「再構築(リビルド)」


 枯れかけていた葉脈に活力が戻り、葉の色が鮮やかな群青色へと変化する。蓄えられた魔力含有量が十倍に跳ね上がった。


 ――生成物:極・月光草。

 ――品質:Sランク。

 ――効果:最高級エリクサーの原料にも使用可。


「よし、これでいい」

 ノルマは五株だが、念のため十株ほど採取し、同じようにSランクへ品質改良してからマジックバッグへ放り込んだ。

 所要時間、十分。

 普通の冒険者なら半日かけて探し回る作業が、コーヒーブレイク程度の時間で終わってしまった。


「さて、帰るか……ん?」


 帰路につこうとしたその時、ポチがピタリと足を止めた。

 その毛が逆立ち、喉の奥から低い唸り声を上げている。


『……臭うな』

「ああ。死臭だ」


 俺の『解析』にも反応があった。

 ここから北へ二百メートル。強烈な腐敗臭と、それを上回る濃密な魔素の残滓。

 ただの動物の死骸ではない。

 俺たちは顔を見合わせ、慎重にその方向へ進んだ。


 木々を抜けた先にあったのは、ちょっとした広場だった。

 そこには、小山のような巨大な物体が横たわっていた。


 緑色の鱗に覆われた巨体。

 背中から生えた翼は折れ、太い首は不自然な方向にねじれている。

 その大きさは全長十五メートルほど。

 

「……ドラゴンか」


 俺は冷静に呟いた。

 視界に解析情報が表示される。


 ――対象:フォレスト・ドラゴン(死体)。

 ――推定ランク:Aランク。

 ――死因:頸椎粉砕による即死。死亡推定時刻:三日前。


 Aランクのドラゴン。

 街一つを壊滅させる力を持つ上位の魔物だ。

 それが、まるで赤子のように首をへし折られて死んでいる。

 俺はポチを見た。

 ポチは気まずそうに視線を逸らした。


『……ああ、こいつか。三日ほど前、我が寝床の近くをうろついていたのでな。「うるさい」と言って少しばかり噛んでやったのだ』


「噛んでやったって……お前、これAランクだぞ?」


『我はSランク以上の神獣だぞ? トカゲ風情が相手になるか』


 ポチがフンと鼻を鳴らした。

 なるほど、森の主たるフェンリルの縄張りを荒らして、返り討ちにあった哀れなドラゴンというわけか。

 しかし、これは好都合だ。


「これ、もらっていいか?」

『腐りかけのトカゲなど、どうするのだ? 不味いぞ』


「食うんじゃない。素材にするんだ」


 ドラゴンは全身が宝の山だ。

 鱗は鎧に、牙は剣に、骨は杖に、内臓は薬の材料になる。普通に市場に出せば、金貨数百枚……いや、一千枚は下らない。

 だが、問題はそのサイズだ。

 十五メートルもの巨体となると、数十人がかりで解体して運搬するレベルだ。

 俺のマジックバッグ(初期型)の容量は、そろそろ限界に近い。


「……仕方ない。バッグの方をアップデートするか」


 俺は腰の袋を取り出した。

 構造を解析。空間拡張の術式を読み解く。


 ――容量:1000リットル。

 ――拡張限界:術式強度の不足により不可。


「限界突破(オーバーライド)」


 俺は強制的に術式を書き換えた。

 空間を折り畳む係数を百倍に変更し、入り口のゲート処理を最適化。

 バッグがブゥンと震え、見た目は変わらないまま、その内側に東京ドーム一個分くらいの亜空間が生成された。


「よし。収納(ストレージ)」


 俺がバッグの口を向けると、ドラゴンの巨体が吸い込まれるように宙に浮き、シュルルルッと小さな袋の中へと消えていった。

 物理法則を無視した光景だが、異世界なのでヨシとする。


『……主よ、その袋の中はどうなっているのだ? 一度入ったら二度と出られない気がする』

「快適な倉庫だよ。お前も入ってみるか?」

『遠慮しておく!』


 かくして、俺たちは薬草十株と、ドラゴン一匹という奇妙な戦利品を持って街へ戻ることになった。


 ◇


 ギルドに戻った頃には、日は傾きかけていた。

 夕方のギルドは、クエストから戻った冒険者たちでさらに混雑していた。

 俺がカウンターに向かうと、ミリアが驚いた顔で迎えた。


「あら、もう帰ってきたの? もしかして、見つからなくて諦めちゃった?」

「いえ、無事に採取できましたよ」


 俺はカウンターの上に、採取した『極・月光草』を十株並べた。

 ギルドの照明を受けて、青白い光がカウンターを照らす。


「は……? え、これ……月光草?」


 ミリアの声が裏返った。

 周囲の冒険者たちも、その異常な輝きに気付いてざわめき始める。


「な、何よこれ! こんなに光る月光草なんて見たことないわ! それに、この魔力の濃さは……!?」

「森の奥の方に、状態の良い群生地があったんですよ」


 俺は平然と嘘をついた。

 ミリアは震える手で草を手に取り、ルーペで確認する。


「し、信じられない……Sランク判定よ。一株で銀貨一枚……いや、五枚は出せるわ。それが十株だから、金貨五枚……!」

「ありがとうございます。あ、それとですね」


 俺は報酬の手続きをしようとするミリアを制止した。


「帰り道に、ちょっとした落とし物を拾ったんです。これも買い取ってもらえますか?」

「お、落とし物? 財布か何か?」

「いえ、もう少し大きな物です。ここでは出せないので、裏の解体場を使ってもいいですか?」


 ミリアは怪訝そうな顔をしたが、俺の真剣な眼差しに押されて頷いた。

 俺は裏口から、魔物の素材解体や搬入を行う広い倉庫へと案内された。

 そこには解体人たちが数人働いていたが、広さは十分だ。


「ここでいいわ。何拾ったの? まさか、オークの死体とか?」

「ええ、まあ、似たようなものです」


 俺はマジックバッグの口を開けた。

 そして、中身を解放(リリース)する。


 ズズズ……ンッ!!!


 解体場の床が激しく揺れた。

 何もない空間から突如として現れたのは、緑色の山脈――フォレスト・ドラゴンだった。

 その巨体が倉庫の天井スレスレまで埋め尽くす。

 腐敗臭とドラゴンの威圧感が一気に広がり、作業中の解体人たちが腰を抜かして悲鳴を上げた。


「ひ、ひぃぃぃっ!? ド、ドラゴンだぁぁぁっ!!」

「襲撃か!? いや、死んでるぞ!?」


 ミリアは、口をパクパクさせたまま石のように固まっていた。

 その視線は、ドラゴンの顔と、俺の顔を何度も往復している。


「あ、あの……アレウス君?」

「はい」

「これ、拾ったの?」

「はい。森の道端に落ちてました」

「道端にドラゴンは落ちてないわよッ!!!」


 ミリアの絶叫が解体場に響き渡った。

 騒ぎを聞きつけたガンツが、血相を変えて飛び込んでくる。


「何事だ! 敵襲か……って、なんじゃこりゃあぁぁ!?」


 歴戦のギルドマスターですら、目を剥いて絶句していた。

 Aランクのドラゴン。討伐するには国軍の一個小隊か、Sランク冒険者のパーティが必要な災害級の魔物だ。

 それが、新人の初仕事の「ついで」に持ち込まれたのだ。


「アレウス……貴様、一体何者だ?」


 ガンツが呻くように問うた。

 俺は困ったように頭を掻いた。


「ただの素材鑑定士ですよ。目利きが良かっただけです」


「鑑定士がドラゴンを担いで帰ってくるか! 馬鹿野郎!!」


 ガンツの怒号が飛ぶ。

 だが、その顔には怒りよりも、呆れと、隠しきれない歓喜の色が浮かんでいた。

 こんな大物を持ち込む新人が現れたのだ。ギルドとしては万々歳だろう。


「……ミリア、直ちに査定班を総動員しろ! 解体もだ! 今夜は徹夜になるぞ!」

「は、はいぃぃッ!」


 ギルド中が大騒ぎになる中、俺はポチを見下ろして小さく笑った。


(ちょっと目立ちすぎたか?)

『……主よ、我は知らんぞ』


 こうして、俺の冒険者デビュー初日は、ギルド始まって以来の「ドラゴン搬入事件」として、エリュシオンの歴史に刻まれることになった。

 平穏なスローライフからは、また一歩遠ざかってしまったようだ。

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