第2話 魔の森への追放処分

 王都を出てから十日が過ぎた頃、俺は王国の北限に位置する辺境の地を踏みしめていた。

 ここまで乗せてきてくれた商隊の馬車は、俺を降ろすと逃げるように走り去っていった。無理もない。この先は、人の住む領域ではないからだ。


 目の前には、鬱蒼とした木々が壁のようにそびえ立っていた。

 空を覆う枝葉は黒く濁り、森の奥からは絶えず不気味な唸り声や、何かが砕ける音が響いてくる。漂ってくる空気すらも重く、肌にピリピリとした不快な刺激を与える。


『魔の森・ブラックウッド』


 それが、この広大な樹海の名称であり、父上から言い渡された俺の追放先だった。

 かつては開拓村があったらしいが、強力な魔物の襲撃と濃すぎる瘴気によって放棄され、今では地図からも消された場所だ。

 つまり、ここに捨てられたということは、公爵家による遠回しな処刑と同じ意味を持つ。


「さて……まずは現状確認(ステータスチェック)からいくか」


 俺は大きく息を吐き出し、改めて目の前の森を見上げた。

 普通なら絶望して膝をつく場面かもしれない。だが、俺の心は驚くほど落ち着いていた。むしろ、未知の領域に対する知的好奇心が勝っている。


 スキル『物質解析』を発動。

 俺の瞳に、森を構成する膨大な情報が流れ込んでくる。


 ――環境解析:高濃度魔素領域。

 ――大気成分:酸素、窒素、微量の麻痺性毒素(濃度0.05%)。

 ――脅威判定:Sランク(生命維持推奨レベル:極低)。


「なるほど、空気に毒が混ざってるのか。普通の人間なら三日で肺をやられるな」


 だが、原因が分かれば対処は可能だ。

 俺は足元に生えていた何の変哲もない雑草を引き抜いた。

 一見するとただの草だが、その茎の中には解毒作用を持つ成分のコードが含まれていることが『解析』で分かったからだ。


「抽出(エクスポート)、そして再構築(ビルド)」


 俺は雑草の葉を揉みしだきながら、魔力を流し込む。

 不要な繊維質を削除し、解毒成分の配列だけを抽出し、それを活性化させるように構造を書き換える。

 手の中で緑色の光が瞬き、次の瞬間には、俺の手のひらに小さな丸薬が転がっていた。


 ――生成物:高機能解毒薬(アンチドート・ピル)。

 ――効果:24時間の毒素無効化、及び肺機能の強化。

 ――品質:Aランク。


「よし」


 それを口に放り込むと、喉の奥ですっと溶け、胸の苦しさが嘘のように消え去った。

 まるで高原の朝のような清々しい呼吸ができる。

 これなら問題ない。


 俺は腰の短剣――先日の夜に鉄屑から作り変えた『ミスリル合金製・魔力伝導短剣』の位置を確認し、森の中へと足を踏み入れた。


 ◇


 森の中は薄暗かった。

 枝葉が日光を遮り、湿った苔の匂いが充満している。

 道などあるはずもなく、俺は解析スキルで足元の地盤強度を確認しながら、歩きやすいルートを選んで進んでいった。


 目指すは、かつて存在したという開拓村の跡地だ。

 そこなら、少なくとも雨風を凌げる廃屋くらいは残っているかもしれない。まずは拠点を確保し、生活基盤を整えるのが最優先事項だ。


 ガサリ、と近くの茂みが揺れた。


 俺は足を止め、視線を音のした方へ向ける。

 恐怖はない。なぜなら、音が出る数秒前から、俺の視界にはその存在を示す『反応』が表示されていたからだ。


 ――生体反応検知。

 ――種別:フォレストウルフ。

 ――個体数:3。

 ――推定レベル:15。


 茂みを割って現れたのは、通常の狼よりも二回りは巨大な体躯を持つ魔獣だった。

 体毛は緑がかった保護色で、その目は血のように赤く輝いている。口元からは粘度の高い涎が滴り落ちていた。

 辺境の冒険者でも、ソロで遭遇すれば死を覚悟する相手だ。しかも三頭。群れで狩りを行う狡猾な捕食者たち。


「グルルルゥ……ッ」


 先頭の一頭が低く唸り、他の二頭が左右に展開して包囲網を作る。

 見事な連携だ。逃げ場を塞ぎ、一斉に飛びかかるつもりだろう。

 だが、その動きすらも、俺には『データ』として見えていた。


 筋肉の収縮率、重心の移動、魔力の高まり。

 それらの変数を脳内で瞬時に計算(シミュレート)すれば、彼らが次にどう動くかは手に取るように分かる。


(右の個体、0.5秒後に跳躍。左は1.2秒後に陽動。正面が1.5秒後に喉笛を狙う)


 未来予知ではない。

 超高速の演算による、確定的な予測だ。

 システムエンジニアにとって、予測可能なトラブルほど対処しやすいものはない。


「来るぞ」


 俺が呟いたのと同時に、右のウルフが地面を蹴った。

 速い。常人なら瞬きする間に喉を食い破られているだろう。

 だが、俺は一歩だけ左へ踏み込み、最小限の動きでその牙を躱した。


 すれ違いざま、腰の短剣を抜く。

 いや、ただ抜くだけではない。

 俺は短剣に刻み込んだ『魔力回路』に、自身の魔力を流し込んだ。

 ブォンッ!

 刀身が青白い燐光を放ち、実体よりも長く鋭い『魔力の刃』を形成する。


「処理(プロセス)1、切断」


 横薙ぎに振るわれた刃は、ウルフの硬い毛皮を紙のように切り裂いた。

 骨を断つ手応えすらなく、胴体が上下に分かれる。

 悲鳴を上げる暇もなく、一頭目が沈黙した。


「ガアッ!?」


 残りの二頭が驚愕に動きを止める。

 その隙(ラグ)を見逃す俺ではない。


「処理2、刺突」


 踏み込み、正面の個体の眉間に短剣を突き刺す。

 脳幹を一撃で破壊。即死だ。

 そして、最後の一頭が背を向けて逃げようとした瞬間。


「処理3、投擲誘導」


 俺は手の中の短剣を投げ放った。

 普通なら当たるか分からない距離だが、俺はこの空間の空気抵抗、風向き、重力をすべて計算に入れて軌道を最適化している。

 放たれた銀閃は、吸い込まれるように逃げるウルフの後頭部に突き刺さった。


 キャンッ、と短い断末魔を残して、三頭目が崩れ落ちる。

 戦闘終了まで、わずか十秒足らず。


「……ふう。身体能力(スペック)自体は元のままだから、少し疲れるな」


 俺は短剣を回収し、血糊を振り払った。

 息は上がっていないが、心臓は早鐘を打っている。恐怖ではなく、興奮で。

 前世の俺は、運動音痴で喧嘩などしたこともない、もやしっ子エンジニアだった。それが今、凶悪な魔獣を一方的に蹂躙したのだ。

 自分の手で組み上げたロジックと、自分の手で作り出したツールが、現実世界で完璧に機能する快感。

 これは、病みつきになりそうだ。


「さて、戦利品(ドロップアイテム)の回収だ」


 俺は倒したウルフの死体に触れた。

 解析開始。

 通常、魔物の素材回収といえば、皮を剥いだり牙を抜いたりするグロテスクな作業が必要になる。だが、俺の場合は違う。


 ――対象:フォレストウルフ(死体)。

 ――有用素材:魔獣の毛皮、鋭利な牙、魔石(小)、食用肉。

 ――抽出実行。


 俺が「分解」のイメージを持って魔力を流すと、ウルフの死体は光の粒子となってほどけた。

 そして次の瞬間、綺麗に鞣(なめ)された毛皮、不純物が取り除かれた魔石、そして血抜きの済んだブロック肉が整然と地面に並んだ。


「便利すぎるな、このスキル」


 解体作業の手間も、技術もいらない。

 ただ構造を理解し、欲しい形に再構築して取り出すだけ。

 俺は素材をマジックバッグ(これも王都を出る前に、ボロ切れから再構築して作ったものだ)に放り込んだ。

 今夜の夕食はウルフのステーキに決まりだ。


 ◇


 その後も何度か魔物に襲われたが、全て返り討ちにして素材に変えた。

 巨大な毒蜘蛛からは『強靭な糸』と『神経毒』を。

 空を飛ぶ怪鳥からは『風切羽』と『焼き鳥用の肉』を。

 歩を進めるごとに俺の資産は増えていく。追放されたはずが、まるで宝の山を歩いているような気分だ。


 そして、日が傾きかけた頃。

 森が開けた場所にたどり着いた。


「……ここか」


 そこには、朽ち果てた廃墟が広がっていた。

 屋根の落ちた家々、雑草に埋もれた井戸、半壊した石積みの壁。

 かつての開拓村の成れの果てだ。

 人の気配はなく、代わりに数匹のゴブリンが屯(たむろ)していたが、それらもサクッと処理して静寂を取り戻した。


「とりあえず、今日はここで野営だな」


 俺は村の中央付近にある、比較的形を留めている石造りの建物の前で足を止めた。

 元は村長の家か、集会場だったのだろうか。

 壁には大きな亀裂が走り、扉は腐り落ち、床板は抜けている。普通に見ればただの廃屋だが、俺の目には「極上の素材(リソース)」に見えていた。


「基礎部分はしっかりしてる。石材の質も悪くない」


 俺は建物の壁に手を当てた。


 ――対象:石造建築物(損壊)。

 ――構造解析完了。

 ――修復必要リソース:石材(現地調達可)、木材(現地調達可)、接合用魔力。


「再構築(リビルド)、開始」


 俺は周囲に転がっていた瓦礫や、森で拾った倒木を建物の近くに集めた。

 そして、大規模な魔力を行使する。

 建物全体が光に包まれた。

 亀裂の入った壁が、まるで時間が巻き戻るように塞がっていく。

 腐った木材は分解されて大気中の炭素と結合し、新たな強固な木材へと変換されて組み上がる。

 隙間だらけだった窓枠には、砂中のケイ素を凝縮して精製した透明なガラスが嵌め込まれた。


 数分後。

 そこには、新築同然……いや、それ以上の機能美を備えた石造りの家が建っていた。


「とりあえず、こんなものか」


 外見は周囲の景観に合わせて素朴なままだが、中身は別物だ。

 壁の内部には断熱構造を組み込み、屋根には雨水を濾過して生活用水に変えるシステムを魔法陣として刻んである。

 扉は指紋認証ならぬ、俺の魔力パターンのみで解錠する『生体認証ロック』付きだ。


 中に入ると、埃っぽさは微塵もなく、木の香りが漂っていた。

 俺はマジックバッグから先ほど回収したウルフの毛皮を取り出し、床に敷いて即席のベッドを作った。さらに、石材を組み替えて作った暖炉に、収集した枯れ木を放り込み、指先から小さな火魔法を出して着火する。


 パチパチと薪が爆ぜる音が、静かな部屋に響く。


「……快適だ」


 俺は暖炉の前で大きく伸びをした。

 公爵家の豪華な屋敷よりも、使用人の視線を気にしながら食べた冷めたスープよりも、今のこの状況の方が遥かに満たされている。

 ここは俺の城だ。

 誰にも文句は言わせない。


 俺はウルフ肉を串に刺して炙りながら、窓の外の暗闇を眺めた。

 この森は危険だ。まだ奥には、今日のウルフなど比較にならない強力な魔物が潜んでいる反応がある。

 だが、今の俺には『解析』と『再構築』がある。

 素材さえあれば、どんな環境でも生存できるし、どんな敵にも対抗できる武器が作れる。


「明日は周辺の調査と、防衛設備の設置だな。……ああ、やりたいことが山積みだ」


 俺は独り言を呟き、焼きたてのステーキにかぶりついた。

 溢れ出る肉汁の旨味が口いっぱいに広がる。

 それは、自由の味がした。


 こうして、俺の辺境でのサバイバル生活――改め、快適な引きこもりライフに向けた第一歩が踏み出されたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る