第2話 ダンジョン配信者への道
咲と飲んだあの日から、既に十日が経過していた。
以前使っていた携帯にはひっきりなしに会社から連絡が来たため、既に解約済み。更に引っ越しも済んでいる、断捨離は完了だ。
「あぁ~~、スッキリした」
引っ越し作業を一段落させ、シャワーを浴びた俺は鏡と睨めっこしながら、忙しすぎて切る暇の無かった黒髪を結った。同僚からゾンビと呼ばれていた顔色はこの数日で一気に人間らしさを取り戻しつつあるが、くっきりと染み込んだ隈とはまだしばらく付き合う事になりそうだ。
「さて、と……行くか」
今日はとうとうダンジョン配信者になる為に一歩を踏み出す日。
正直、ダンジョン探索者になるか配信者になるか少し悩んでいたが、結局配信者になることにした。
それはこの十日間で改めてダンジョン業界や世情を分析した結果、ダンジョン配信者が最も俺の今の目標への近道だと判断したのだ。
「思えば、仕事以外でダンジョンに行くなんて何年振りだろうな……」
俺は、かつて仕事で使っていた装備を身に纏う。外見は全て黒で統一した、高級感あふれるフルスーツにミリタリーブーツ、そして皮手袋といった具合だ。
ダンジョンに行くような恰好ではないが、外見に惑わされる事なかれ、全てオーダーメイドの超一級品である。布一枚分の厚さしかないにも関わらず、その防御力は鉄の鎧や最新の防弾チョッキなど比ではない。
こういった科学で再現できない素材や装備もダンジョンがもたらしたものの一つだ。
「……この装備着ると一気に仕事感がするな」
苦笑いを浮かべつつ、俺は電車の乗り継ぎ目的の場所へと向かう。
――東京には現在、大小合わせて六個のダンジョンが存在している。
その中でも、かつて渋谷スクランブル交差点のど真ん中に出現した渋谷ダンジョンは世界的に有名なダンジョンだ。
理由は単純で、当時世界にダンジョンが出現した際に観測された最初のダンジョンの一つだからだ。出現から十数年を経た今でもその最深部に到達した者はおらず、世界中から探索者や配信者が集っている。
有名ダンジョンよろしく、現代風の小綺麗な管理局の中には、様々な年齢や性別の人間でごった返していた。
見るからに初心者の初々しい若者に、歴戦の猛者といった感じのおっさん。他には浮遊カメラに向かって喋り続ける配信者も多い。
仕事で何度も来ているが、いつも慌ただしく動いていたので、改めて見回してみれば中々新鮮である。
「さて、と。プライベートでは初のダンジョンだしな……装備ヨシ、アイテムヨシ、ダンジョンカードも……ヨシ! よっしゃ、行くか!」
意気揚々と一歩を踏み出し、ダンジョン受付のカウンターへと歩を進めると、馴染みのある声音が鼓膜を叩いた。
「あー! 祐樹さんじゃないですか⁉」
「染谷さん、お久しぶりです」
声の方へ顔を向けると、カウンターから身を乗り出してこちらに手を振る染谷さんの姿が目に入る。
茶髪のポニーテールに丸みのある眼鏡をかけた、たわわな胸が特徴的な渋谷ダンジョンにおける看板娘的な美人受付さんだ。実際、親し気に話しかけられたせいで周囲の視線が痛い……。
「本当に良かったです! 以前はほぼ毎日いらしていたのに、最近は全然でしたから……怪我でもされたんじゃないかって心配してたんですよ? ……全然連絡も返って来ませんし!」
最初こそ本当に心配そうな表情を浮かべていたが、最後の連絡部分のくだりになると、染谷さんがジト目を向けて来た。
「あはは……いやぁ~」
何と返したものかと愛想笑いを浮かべると、ジト目を向けていた彼女がハッとした表情を作る。
「というか! 祐樹さんがいらっしゃったって事は、このダンジョンで遭難でも⁉ 報告は上がってきていませんが……」
周囲に配慮したのか小声で叫んだ染谷さんが、あわあわと書類を確認しだした。
確かに、俺がダンジョンに来る理由の殆どが遭難者の救出なので、彼女の反応は正しい。
「ああ、いえ。実は少し前に会社は辞めたんですよ。それでダンジョン配信者になろうと思いまして……その準備で連絡が出来なかったというか……あはは、申し訳ないです」
「まあ! そうだったんですね! おめでとうございます? でしょうか?」
「あはは、おめでとうで合ってますよ。ありがとうございます」
俺がそう告げると、染谷さんが「それは良かったです!」と笑顔を向ける。
「それにしても、お仕事辞められたのに相変わらずスーツなんですね……祐樹さん以外でスーツ着てダンジョンに潜る人なんて、私見たことありませんよ? 一体どこで売ってるんですかそれ……」
染谷さんが苦笑いを浮かべながら俺の装備を指差す。
確かに周りの探索者たちは鎧に剣や槍など、まるでファンタジー世界の中世ヨーロッパを彷彿とさせる恰好をしている者が多い。若そうな探索者たちはミリタリージャケットやパーカーに部分鎧など、現代風な装備をしていることもあるが……それでも流石にスーツ姿はいなかった。
「いやぁ、やっぱり慣れた格好が一番かなと」
たはは、と適当に誤魔化すと染谷さんのジト目が刺さるも、このスーツの性能は俺と製作者だけの秘密……それが特注で作ってもらう条件だったので誤魔化すしかない。
「と、とにかくそういう訳で、ダンジョンに潜りたいんですが……」
話題を逸らさねばと俺はダンジョンに潜るために、自分のダンジョンカードを取り出す。
俺は今日の為に既に五十万近くする配信用カメラなどを準備しているのである、更に言えば昨日開設したツブヤイターアカウントで、今日配信者デビューすることも告知済み! まぁ……反応はたったの三いいねだった訳だが。
しかしどうでもいいのだ、俺はさっさとダンジョンに潜って配信がやってみたい! そんなことを考えていると、カードを受け取った染谷さんがおずおずと口を開く。
「あ、あのぉ~……もしかしてですけど、祐樹さん」
「はい?」
「お仕事を退職されてダンジョンに潜るのって今日が初めてだったりしますか?」
「えぇ、まぁ」
俺の回答を聞いて、なにやら染谷さんが「あっ、察し」みたいな雰囲気を出しながら、申し訳なさそうに頬をぽりぽりと掻いて苦笑いを浮かべた。
「えっとですね……祐樹さんが持ってらっしゃるのは業務用のダンジョンカードですので、個人用のものを再発行し、教習を受けていただく必要がありまして……カードの発行には一営業日程度必要ですので、ダンジョンに潜れるのは最短でも明日になります、ハイ」
「え」
「あ、でもでも! 教習は丁度この後ございますので! 先に教習だけ受けちゃうのはアリですよ!」
俺のワクワクを誰か返してくれ……とはいえ、リサーチ不足な自分が悪いのだし、ここで駄々をこねても仕方がない。俺はポケットからスマホを取り出し、ゼロフォロワーのツブヤイターで配信延期の投稿をした。
因みにダンジョンカードとは、ダンジョン探索者のライセンスのようなものだ。運転免許証と近しいもので、公的な身分証としても機能する。
「じゃあ……ダンジョンカードの発行と教習の手続きお願いします……」
自分でもびっくりするような暗い声が出た。
染谷さんは申し訳なさそうに俺からダンジョンカードを受け取ると、困ったような笑みを浮かべる。
「で、では講習は二階の大会議室で行われますので……! 付いてきてくださいね!」
「はぁい……」
彼女の後ろをトボトボと歩いていると、急に「あ!」と声が上がった。どうしたものかと顔を上げてみれば、染谷さんがフンス! とどこが興奮気味にドヤ顔を浮かべてこちらに振り返っている。
「ど、どうかしたんですか?」
「今思い出したんですけど! なんと! 今日の教官はあの剣姫ですよ! ラッキーですね!」
「ほぇ~」
剣姫、咲と飲んでた居酒屋のテレビに出てたあの娘か……。
確かに気にならないと言えばうそになる、確かに俺はその剣姫とやらの影響もあってダンジョン配信者を目指すことにしたのだから。
だが、だからといって俺と彼女が関わることはないだろう、だからこそ別段何かを感じる事は無かった。
「えっ⁉ なんですかそのリアクション! 剣姫ですよ剣姫! 若干十六歳でダンジョン配信者デビューを果たし、たった一年でフォロワー六十万人を突破した、今最も注目されている期待の新星!」
「は、はぁ……」
「あれぇ? 元気になると思ったんですけど……」
う~ん? と首を傾げる染谷さんだが、俺は苦笑いを浮かべる事しか出来ない。
だって、現役女子高生の配信者に対して二十四歳が元気になっちゃうのは色々いかんでしょ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます