第十章:硝子の箱庭
(ディア視点)
屋敷の西棟、その最も奥。わたくし以外、誰もその存在を知らない扉がある。
指紋と虹彩、二つの認証をクリアして重厚な扉を開けば、そこはわたくしの聖域。
壁の染み、少しだけ凹んだ安物のソファ、角が折れたままの漫画雑誌、彼が愛飲しているスーパーの激安炭酸飲料が並んだ冷蔵庫。
彼の部屋にあるもの、その全てを寸分違わず再現した、わたくしだけの硝子の箱庭。
わたくしはクローゼットから、彼のお古のTシャツを取り出して袖を通した。
少し汗の匂いが残る、この下品な布地が、今はどんなシルクのドレスよりも愛おしく感じられる。
ソファに深く身を沈め、彼の匂いに包まれながら、壁に埋め込まれた巨大なモニターの電源を入れた。
画面には、いくつもの映像が映し出されている。
彼の部屋、彼のスマホの画面、彼の視界を捉えるコンタクトレンズ型カメラからの映像。
彼の孤独なため息ひとつ、わたくしは見逃さない。
(……寂しい?当然ですわ。あなたの世界から、わたくし以外の“雑音”はすべて排除しましたから)
バイト先の娘には、家族ごと海外で暮らせるだけの“未来”を差し上げた。
彼の友人たちには、彼と関わると“不幸”になるという、ささやかな噂を流させてもらっただけ。
彼は優しすぎるから、自分から誰かを切り捨てることなどできないだろう。
飾り棚に、彼が手にした聖遺物が並ぶ。
割り箸、彼が落とした消しゴム、飲み干したペットボトル。
その一つ一つを指でなぞるたび、胸が熱くなるのを感じた。
(ああ、早く。早く、わたくしの世界へいらして)
この硝子の箱庭で、永遠にわたくしだけを見つめてくれれば、それでいいのだから。
モニターの向こうで、彼がわたくしからのメッセージを見て、少しだけ微笑んだ。
それだけで、わたくしの世界は満たされる。
もうすぐだ。わたくしが、本当の意味で、彼の世界の全てになる、その時まで。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます