第八章:黒く染まる計画

(ディア視点)



「──彼を完全に手に入れるには、わたくし自身が染まるしかありませんわ」



真夜中、煌びやかなシャンデリアの下、机の上には父の会社の資料が山積みになっていた。

いつもなら、こんな埃っぽいものに指一本触れない。

けれど今夜だけは違う。爪の先が書類の端で汚れることすら気にしない。


むしろ、この汚れさえ愛おしい。なぜなら、全てはあなたのため。


父の会社は創業一〇〇年を誇る伝統、資産、コレクション。

外から見れば何一つ欠けていないように思えるその城壁も、内側はひびだらけだった。

旧態依然とした役員たち、価値のない骨董品集めに夢中な父。

そこに流れる空気は澱み、誰も変化を望まない。


「愚かですわ……自分たちの価値さえ時代遅れと気付かずに」


でも、あなたは違う。

どんなに安物でも、磨けば光る石を見抜く目がある。

その価値基準は、わたくしが生まれて初めて理解したいと思った世界そのもの。


パソコンを開き、数十のデータベースにログインする。

取引先、商品構成、資産の推移、取引先の会長たちの醜聞、役員の賄賂リスト──どれもこの家に生まれてから仕込まれてきたスキル。

その全てをあなたの価値のために使うのだと思うと、胸が高鳴る。



(彼の世界は、単純で、効率が良くて、無駄がない)



──そう。たとえば日低屋。

安価で美味、余計なものを省いたあの味。

ブランドも歴史も無意味。けれど、確かにそこに生きた価値がある。


父の会社は、それを軽蔑してきた。

でも、今のこの世界にこそ足りないものだと、わたくしは知っている。


「父のまねごとでは駄目。誰も救えませんわ」


夜な夜なデータを洗い直し、取引の流れにメスを入れる。

まずは無駄な部門をバッサリと切る。コストダウンは安かろう悪かろうではなく、安くて良いものを選び抜くことだと、あなたに教わった。



次に、父の会社の裏金ルートを全て把握し、役員たちの弱みを一つずつ丁寧に書き出す。

メール、領収書、怪しい出張費──その一つひとつを、淡々とフォルダ分けしながら、まるでパズルを組み立てるように並べていく。


「わたくしの色で、あなたの世界を塗りつぶして差し上げますわ」


他の色──あなたの周りにまとわりつく女たち、友人、家族、バイト仲間、どれも価値の名のもとに排除されていく。

冷徹だと、もし言われたなら、わたくしはきっと微笑むだろう。「当然ですわ」と。



(全ては、あなたの微笑みのため)



──そして、初めて、自分から泥に手を伸ばす。不純物に染まることも厭わない。

ブランドものの手袋を外し、素手で書類にサインする。

指先にインクが滲む。それがまるで、あなたに近づく証のように思えて、ぞくぞくと震える。



~~~



夜明け、カーテンの隙間から差し込む淡い光。プラチナブロンドの髪にわずかに乱れが出ている。

けれど、鏡に映る自分の目は、どこか楽しげだ。


「これが恋というものなのですわね……?」


書斎でひとり微笑み、薄汚れたクマのぬいぐるみをちょこんと膝に乗せる。

あなたの価値観に侵食され、わたくしは、わたくし自身の価値を手放し始めている。

それが怖くもあり、嬉しくもある。



これで良い。そう、心の底から思う。


「全部、あなたの色で染めてしまえばいい」



クマの耳を優しく撫でながら、わたくしは決意する。

どんなに濁っても、あなたの価値が、この身を輝かせてくれるのだと信じて。

全てを手に入れるまで、もう止まらない。



世界でいちばん美しいダイヤモンドが、黒く、黒く染まり始めていた。

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