夏を彩る花
秋月灯
第1話
桜が落ちて雨雲が晴れた頃。学生の祝福の休暇、夏休みが始まった。満開のひまわりが咲いて、太陽が僕を照らす光の熱が増した。
僕の夏休みは退屈そのものだった。昼に起きてご飯を食べ、SNSを見てまた寝る。時間を惰眠とくだらないネットの書き込みに消化するなんとももったいない使い方をしていた。けれど、友達もなく、やる気もない僕にはそれ以外に時間の使い道が無かった。しかし、このままでは身体と心が腐り溶けてしまいそうだ。そう思って気晴らしに買い物に出かけた。電車を使って少し離れたショッピングセンターを訪れた。特に買いたい物などないが、陳列された商品を見るとなんだか購買意欲がそそられてしまう。でもお金がそれほどあるわけでもないので、何も買わずにお店から立ち去る。
来年は受験だからそろそろオープンキャンパスに行かなければならないのだが、自分のしたい事や向いていることがまるで分からない。スマホを見たって、知りたくもないどうでもいい情報ばかりがピックアップされる。もう適当に決めてしまうと思っている。新卒になれば、名もない人よりは会社も拾ってくれるだろう。そんな風に考えていると枯れた花のような女性が目の前に俯いていた。金髪のでこだし、萌え袖のいかにもギャルの容姿をする女性を僕は無視して通りすぎる。物語なら声をかけた方が良いのだろうが、僕は物語の主役ではないので。スタスタと靴を鳴らして、有線イヤホンを耳に当て、自分の世界に入る。
いつからだろう。外に興味を向けなくなったのは。中学までは友人もいたのに高校ではすっかり連絡を取らなくなってしまい、友達作りに失敗して孤立してこうして今、退屈な日常を過ごしている。
夏休みが折り返しに差し掛かった頃、実家のインターホンが僕の鼓膜を叩く。
「ん?隣の岡山さんか?」
ドアを開けるといつぞやのギャルがいた。
「あの、ウチ、春間乃秋(はるののあ)。隣に越してきました。宜しくお願いします。」
彼女はずっと俯いたままお辞儀をした。言われてみれば右隣は岡山さんだが、左隣は空き部屋だっけ?
「どうも、東田淳(ひがしだあつし)です。こちらこそ宜しくお願いします。」
これが春間乃秋との最初の会話である。何事もない質素な会話。このままお引き取り願おうとしたとき、妹が帰ってきた。
「ただいま。お兄の彼女?」
「判断が早い。茉莉奈(まりな)、隣に引っ越してきた春間さんだ。」
「そうなんだ。よろしくお願いします。茉莉奈です。」
「こちらこそ。」
この間彼女はずっと俯いて陰に全身浸かっていた。その時、僕は何を思ったのか彼女を自宅に入るよう促した。
「せっかくですし、上がっていきますか?」
「でも悪いですし、」
「いいじゃん!一緒にお茶しようよ!」
茉莉奈が半ば強引にリビングまで押し入れる。
「はぇ、お兄と同じ高校じゃん。」
「そうなんですか?」
「ですね。僕も厚木高校です。」
「これって運命じゃない!?もう結婚しちゃえよ!」
「運命フェチがよ。」
茉莉奈運命を感じたら誰彼構わず交流を持とうする。恋人だって作っては別れを繰り返している。でも貞操はしっかり守っているようで見境なく男の純情を食い散らかしているわけではないようだ。
ピンポン連打に加えてドアをドンドンと叩く音が聞こえた。あまりにけたたましい音なので強盗の類かと思ったが、どうやらそうではないようだ。
「親が来たのでそろそろ帰ります。」
「え?あれが?絶対にやめたほうがいいよ。もう少しだけここに居よう?」
「そうですよ。他人の家のドアをこんなに叩いてインターホン連打する奴とか明らかにまともじゃないですよ。」
「でも、行かないと、たくさん殴られるから。」
彼女は駆け足で家を飛び出した。その時に見た彼女の表情は、
その日の夜は中々寝付けなかった。ミンミンとセミの羽音と日が落ちても下がらない気温に睡魔がかき消された。エアコンをつけようとするとリモコンが反応しなかった。
「電池切れた。はぁ、買いに行くか。」
深夜のコンビニ。それは少しの不気味さと安心感、それと、未知が入り混じるゲームのダンジョンのような気分だ。僕は6個入りの単4電池を買って帰り道を歩く。公園のベンチに座り、黒い空にぽつぽつと小っちゃく灯る明りをぼんやり眺める。僕の将来、夢、そんな不確定なものは僕の目にはこう映っている。
「今に満足してないのに未来になんか期待できるかよ。」
不意に漏れた言葉が僕の答えだ。この退屈から抜け出さなければ、この世界に、綺麗で眩しい世界に戻れない。
公園を出て自宅に戻る最中、傷だらけで下着姿をバスタオルで隠しながら走る女性に出くわした。髪が乱れて一瞬分からなかったが、流石に数時間前に会った女性を忘れるほどではない。あの女性は、
「春間さん?」
僕の声に反応して僕の手を掴んで、一緒に走ることになった。
「どうしたんですか?その恰好、それに、」
「私、もう、嫌なの!お母さんも!アイツも!」
駆け足で家を飛び出した時に見た彼女の表情は、恐怖と絶望の顔だった。しばらく走って2駅離れた先の歩道を歩いていた。
「お母さんはアイツと再婚したの。でも、アイツは私を性処理の道具としか見てなかった。嫌がると殴られて、もう死にたい。」
想像以上に家庭環境が終わっていた。SNSのショート動画のような光景が今目の前にある。そして僕がその当事者。主役でない僕に出来ることなどない。でも、この状況に浮かれている自分がいる。なぜならこれは僕にとって退屈から最も遠いところにあり、自分を変える転換期が訪れたと感じたからだ。
「春間さん、僕と逃げてみない?」
「え?」
「今日は深夜2時半の7月31日。夏休みが終わるまでいろんな場所を転々としながら逃げない?」
1話 逃避行2名様
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