結界術師、退職します。

優夢

第1話 断罪されてうれしいな

「騎士ユリウス・クレインを、本日付けで騎士団から追放処分とする。

 皆、異論はないな?」



 騎士団本部の会議室に、団長の声が静かに反響する。卓上ランプの炎がいびつに揺らいだ。



 会議に参加した騎士は、無言で上司を肯定していた。

 にやにやと口の端を吊り上げている者。

 眉をひそめつつ、流れに逆らえず押し黙っている者。

 誰も反対する者はいない。



 騎士団長の正面にわざわざ着席させられているのが、追放を言い渡された張本人ユリウス・クレインだ。

 銀色の髪は長く、うなじの下でひとつにまとめても鎖骨を撫でている。

 光を吸い込むシルバーホワイトの髪は、室内の薄灯りで、灰色に沈んで見えた。



 騎士団の制服は最下位のそれ。所属は物資運搬係。

 配属5年目だというのに、新人と同じ階級、同じ仕事。

 同期が胸に複数ぶら下げている勲章は、ユリウスの胸にはひとつもない。



 ユリウスは、漆黒の目を一度だけ閉じた。

 団長は椅子の腕置きに両肘を乗せ、フンと鼻で笑っている。



「特筆した能力なし。魔力なし。功績なし。

 だらだらと雑務で給金を盗む穀潰しめ。

 それでも失態がないから、今までは許してやっていたというのに。

 まさか王女殿下に下心を抱いて接触するとは。

 騎士道の風上にも置けぬ下郎が」



 ユリウスはぴくりと肩を小さく揺らしたが、無言、無表情で返した。

 まっすぐに騎士団長と目を合わせ、顔をそらさない。



「あの、団長。

 しかし、あれはどう見ても」



 初めて騎士団長に意見する者が現れた。今年入ったばかりの若い新人騎士、ユリウスと同じ物資運搬係のカールト・エインズだった。

 カールトは、何度もその目で目撃したからだ。

 あれはユリウスが何かしたのではなく、王女の方から、



「黙れカールト」



 鋭い叱責。団長のこめかみが引きつって、新人騎士はそれだけで委縮した。



「まさかとは思うが、王女殿下の尊き御立場を穢そうと思っているのではないだろうな」


「そんな、つもりは……」



 冷汗を流し、しどろもどろに返すカールトの制服の裾がツンと引っ張られた。

 ユリウスの指先だった。


 ……庇い立て無用、と。


 騎士団長を向き続けるユリウスの横顔からカールトは意図を察し、しゅんとうなだれた。

 ユリウスさんは本当に、何も悪いことをしていないのに……。



「ユリウス・クレインよ。

 我らが守るべき祖国、魔力大国フローレンスの第一王女リディーナ・フローレンス殿下は、言わずもがな国の宝である。

 その見目のお美しさはもちろんのこと、王国随一の魔力保持者、六元素すべてを自在に操る天才たる御方だ。

 その腕を無理につかみ、自らの身体を押し付け、恋慕を語るとは。

 お前に欠片の羞恥心でもあれば、そのようなことはできまいぞ」



 ユリウスの肩が、ぴくぴく、と揺れた。



「殿下への無礼を、我ら騎士団は誰ひとりとて許さん」


「そうだ!」


「そうだとも!」



 騎士団長の静かな怒号に、団長の両隣の騎士が呼応した。たった三人の言葉が、会議室の総意だと言わんばかりに。



「平民上がりの底辺騎士が、身をわきまえもせず!」


「恥を知らず、今日まで騎士の名を騙った痴れ者が!」


「追放賛成、追放賛成!」



 ユリウスの肩が、ぶるぶるっと震えた。

 そして。



「ぶふっ」



 吹いた。



 騎士団長はフリーズし、両隣の騎士は目を見開き、カールトはぽかんとした。



「すみません、ちょっと限界で、あ、やば、ツボってきた。ふはっふふふっ……ん゛っんん!

 はい、大丈夫です続き聞きます」



 ユリウスは笑っていたのだ。

 今までの無表情は、恥辱に耐えていたのではなく、こみあげる笑いを飲み込んでいただけ?


 断罪の追撃が止まってしまい、ユリウスはこれで終わりかな、と上司の様子を伺った。

 騎士団長の額に血管が浮かび、顔は怒りで真っ赤。ゆでだこのようだ。

 30秒ほど待機しても続きが来ないので、ユリウスは椅子から立ち上がった。



「了解しました。

 私ことユリウス・クレインはこれにて騎士の任を解かれ、国を去ることを宣言します」



 胸に手を当てて一礼するユリウスは、伏目がちで一見反省しているようだったが、



「ふぐっ、コホン!」



 すぐまた吹き出して顔を横に向け、わざとらしい咳払いをしたものだから、騎士団長の顔色は赤を通り越して赤黒くなった。

 


「貴様!

 何を笑っている!!」


「私……ああ、もうかしこまったのはいいですね。退団宣言したし。

 俺の腕を無理につかみ、身体を押し付けて恋を語ったの、王女殿下のほうじゃないですか。

 誰がどう見ても逆ですよ。

 それを俺がやったことにするのは、ちょっと、いや、かなり無理があるなーって」


「減らず口をっ……!

 そこへなおれ、腕の一本でも落としてくれようぞ!!」



 いやだって事実なんだけど。

 そう思うユリウスの前で、騎士団長は本当に抜剣した。

 これはさすがにまずい。騎士たちが驚きざわついた。

 会議室で刃傷沙汰なんて、騎士団長でも許されはしない。左側の騎士が止めに入ろうとしたが、団長を名乗るだけあってその動きは早く、本気の構えから振り下ろされた剣はユリウスの腕どころか頭の前に――――

 


 かぁん!!



 剣がはじかれ、衝撃で肘が跳ね上る。剣はそのまま手をすっぽ抜けて壁に当たり、からからと床に転がった。

 ユリウスは微動だにしていなかった。自分の剣を抜くどころか、身構えてすらいない。

 のんきに棒立ちするユリウスの鼻先で、見えない壁でもあったように剣は遮られたのだ。



 いや。確かにそこには、見えない壁があった。



「あっぶね。

 飛んだ剣、誰も当たってません? 怪我してない?

 団長、柄はしっかり握りこまないとですよ」



 ひょうひょうと、しかし真面目に怪我人がいないか確認するユリウスの様子に場の空気が凍りついた。

 誰も、何が起こったか理解できていなかった。



 何が起きた? どうなった?

 動くことなく剣をはじいたのか?

 この魔法大国において、ユリウスはある意味稀有な『魔力なしの魔法使用不可能者』だったはずなのに!



「俺、魔力がないなんて一言も言ってないです。

 うーん、検査はズルしたかもなあ。

 魔力測定で0が出るようにしてもらってたんで。

 俺の口からは魔力あるともないとも言ってないので、グレー寄りのセーフかな?」



 魔法には詠唱が必須だ。しかしユリウスは詠唱しなかった。

 そんな魔法などありはしない。どの属性魔法でも、魔力を練り法則を刻み出力を編む発声が必要だ。

 無詠唱魔法など、この世界の歴史に存在しない。

 


「いろいろ誤解があったようなので、そこだけ訂正していきますね。

 俺は、リディーナ王女殿下の熱烈アピールをずっと断り続けていました。

 ざっと10年くらいかな?

 国王陛下に話は通してたんですよ。

 あの人、どこかで俺を王配にしたい気持ちが捨てきれてなかったのか、王女殿下を野放しでマジ困りました」


「王配だと……?

 平民のお前が、なんの妄言を」


「妄言だったら俺も楽なんですけどね。

 王家が、俺の能力を手放したくなかったようです」



 にこ、とユリウスが笑った。黒い瞳が細められる。

 その中心に、薄い金の光が灯った。

 ユリウスの魔法に予備動作はない。ただ、瞳がちょっと色を変えるだけ。



 ずん、と音にならない力が会議室を覆った。

 ランプの火がふるふると揺れる。地震ではない、実際に何も揺れていない。

 かたちのない圧力。空気が波動し、魔力あるものの肌を泡立たせた。

 魔術を使う者だからこそ感覚に刺さる、致命的かつ圧倒的な魔力の差。まるで聳え立つ山を仰ぐ兎のよう。



 からんからんからんからん



 鐘楼から警鐘が鳴り響いた。

 ざわつき立ち上がる騎士を、ユリウスは片手でひらひら制した。



「あー、問題ないです。

 たぶん、王都の結界がおかしいっていう警鐘ですよ。

 今のところ、別になんにもないから動かなくて大丈夫です。

 結界監視塔の皆さんがめちゃくちゃ慌ててる程度で」



 ユリウスの言葉など聞いておられず、既に何名かの騎士は会議室を飛び出していた。

 まぎれもない緊急事態だった。

 王国全土を守る大結界。命綱ともいえる存在に異常が生じた報せ。

 瘴気から無尽蔵に生まれる魔物を退け、人が安全に暮らせるのは、超広範囲結界が守護してくれているからだ。

 他国は堅牢な防壁を築き兵を配備し、それでもなお、年間多くの犠牲者を出してしまう脅威。

 魔物の存在は、自然災害に等しい扱いだ。フローレンス王国の治安が格段優れているのは、この大結界あってこそだった。

 大結界の歴史は浅い。たった17年前、突如として現れた。

 流浪の大魔術師が、何の拍子か国王と契約し、張り巡らせたというラッキーサプライズだった。

 


 『結界』という魔法概念は、フローレンス王国では、おとぎ話として伝わっていた。

 流浪の大魔術師の正体は『おとぎ話に出るあの者』ではないかと人々は噂し合ったが、真偽のほどは不明。

 ただひとり国王のみがすべてを知り、黙秘し続けた神秘。



「慌てなくてもいいのに~。

 だってこの結界、8歳の俺がうっかり張ったやつですから」



 普段通りの顔で、普段通りの調子でユリウスが言って。

 ある騎士は目を皿のようにし、ある騎士は耳をまさぐり、ある騎士は頬をつねって痛みを確認した。

 ユリウスの正面、騎士団長はというと。



「大恩ある大魔術師殿を、そして国王陛下を愚弄するかあぁぁ!!」



 もちろん大激怒した。

 怒りに任せ、今度は拳でユリウスに殴りにかかる。こんな瞬間湯沸かし器が司令官だと困るんだよな、とユリウスは思った。

 全く避けないユリウスの左頬に、拳は命中したように見えた。そうとしか見えなかった。

 至近距離にいた騎士だけに聞こえた、何かが割れる小さな音。



「うがあぁぁっー!!」



 騎士団長は一拍おいて悲鳴をあげ、右手を押さえてへたり込んだ。

 ユリウスはけろっとした様子で、騎士団長に「いたそ」と呟いた。

 騎士団長の拳は皮膚が裂けて血が滴り、指は何本かおかしな方向に曲がっている。

 まるで、素手で城壁を殴ったようだった。



「誰かお医者さん呼んであげて。すぐ手当しないと、ペンすら握れなくなるかも。

 ……あのー、皆さん聞いてる?

 騎士団長、大怪我なんだけど?」


「ユリウス、お前、何を」



 騎士団長の右側にいた騎士、副騎士団長がかすれ声で尋ねる。

 ユリウスは首を傾げた。



「この流れでわかりません?

 『結界』です。

 一万年にひとり生まれるっていう伝説、絵本に出てくる『結界術師』。

 俺のことみたいですね」



 『結界術師』。

 魔法であって魔法ではない、万能に等しい力を操るもの。

 無詠唱で起こす奇跡。属性を超え、常軌を逸したその力は、もはや現人神。

 だからこそ、結界術師はおとぎ話の人物でしかなかった。



「結界術師に欠点があるなんて、本人にしかわからないですよねー。

 結界術師は、ほかの魔法が使えないんです。地水火風光闇全部、ミリもグラムも出せません。

 カバーできるっちゃできるけど、偽装めんどくさいし。俺は魔力なしってことで通してもらってました。うっかり結界を維持する見返りにね。

 最初は、俺の村だけ結界で守るつもりだったんですよ?

 いかんせん、当時は加減ってものを知らなくて」



 ユリウスはバツが悪そうに苦笑した。



 威力が広範囲すぎたゆえに、親であっても発信源に気づかず、ただただ皆が結界に圧倒されていたあの瞬間。

 セーフ! と8歳のユリウスは胸をなでおろした。

 しかしそれも束の間。

 さすが魔法大国の国王。誰が結界を張ったのか、数日で突き止めてしまったのだ。

 城に招かれるというか連行されるというか。

 謁見の間、玉座に座る国王と一対一のタイマンで、ユリウスは全力で駄々をこねまくった。



 みんなに内緒にしてくれなきゃ、これいますぐ解除しちゃうぞ。

 目立つのきらい。特別扱いいやだ。

 貴族にする? やだ。今のままでいい平民でおっけー。

 保護? されなくても平気だし、そんなことするなら解除しちゃうぞ。

 みんなに内緒にしてくれたら、王様にお手柄ぜんぶあげちゃう。

 え、王様こんなことできないからバレる? じゃあ別の人がやったことにして。

 姫様と婚約? やだやだやだやだぜったいやだ、堅苦しいしめんどくさい!

 望みはひとーつ! 現状維持、フツー人にて平穏生活!



 ユリウスは、自分が結界術師であると気付いた3歳から、徹底して能力を隠していた。

 なぜって、面倒そうだったから。

 自分の好きな時に好きなように、楽するために能力を使うと決めた。

 『こんなチートを知られたら絶対たかられる』と考えた、シビアな3歳児ユリウスだった。



 権力より自由。

 金より現物支給。

 名誉より自堕落が好き。

 それが結界術師ユリウス・クレインだった。



「鐘楼からの警鐘……、ま、まさか。

 ユリウス、お前結界を解除……」


「してませんしてません。

 防壁の整備、17年前からやってないでしょ。魔物防げないでしょ。そんな危ないことしませんって。

 ただし、ランクダウンはさせてもらいました。

 だって俺、無能らしいし?

 給金泥棒の穀潰しだし?

 にっこり笑顔で許すと思いましたー?

 んなわけあるか」



 あまりにおざなりな濡れ衣、強引が過ぎる追放理由に笑いがこみあげたのは事実。それはそれ、これはこれ。

 ちゃんとムカついていたし、ユリウスなりに怒っていた。

 だからしっかりお返しする。断罪、即、ざまあ。



「危険な魔物は、今まで通り入ってきません。

 でもちっこいのはどうかなー。入るよなー。

 自然災害については引き続き、結界内で大きいのは起こりません。

 でもちっこいのはどうかなー。起こるよなー。

 今までは、犯罪が起きそうなら気づいてこっそり情報流してましたけど、これからはどうかなー。

 まあ全部、騎士団が5倍働けばカバーできるっしょ」



 騎士団に属していたのは、ユリウスなりの『自分は国王の臣下』という意思表示だった。

 万年昇格なしをキープ、慣れた仕事で楽させてもらった。

 自分なりに筋を通していたのに、上司から追放と言われたのだから仕方がない。意趣返しを残して退散しよう。

 あ、庇ってくれたカールトだけは、後でなんかフォローしておかないとな。

 


「待て、待ってくれユリウス!

 追放は撤回する、騎士団長の独断暴走だ、許してくれ!

 撤回する、すべて撤回するから!!」


「お世話になりましたー」



 半分悲鳴になった副騎士団長の懇願を、ユリウスはぺこっと一礼で返した。

 ユリウスの周囲を一瞬だけ光が包んだかと思ったら、ユリウスの姿は忽然と消えた。

 結界から結界への転移、テレポートだ。



 すとん、と自宅の裏に着地して、ユリウスはうーんと伸びをした。



「はー、すっきりした」



 正直言うと、ちょっとありがたくもあった。

 自分が守っている国にこっそり住むのは、一周回って後ろめたかったのだ。

 見知らぬおばあちゃんが結界に拝みながら「大魔術師様のおかげじゃ」とか涙ぐんでいると、恥ずかしさとむずがゆさでぞわぞわっとなった。

 やめて。そういうつもりなかった。マジでうっかりだったから。

 当時8歳、メンタル無敵時期の失敗暴走に感謝するのやめて。恥ずか死ぬ。



 ちなみに、ユリウスの家族はここにはいない。

 国王を信頼しているが信用はしていない。家族を人質にされたらめんどくさすぎる。

 ユリウスが騎士見習いになり、寮生活が始まる13歳で「給料が前金で出た」と嘘をつき、家族全員、とおーい外国へ移住してもらった。

 実際は国王からもらった金である。金をくれと国王にせびったのはこの一回きりだ。

 遠国で楽しく豪遊している家族のもとには、年一回くらい結界テレポートで顔を出している。

 親孝行、現時点で既に完了済み。



 さてと。追放されたんだし、ちゃんと国外に行かないと。

 どこに行こうかな?



「ま、『死の大地』一択だよな」



 死の大地。フローレンス王国から国みっつほど離れたところにある危険地帯だ。

 毒と瘴気、火山噴火のトリプルコンボ。あまりの環境の悪さに、魔物ですら棲めないという。

 つまり誰もいない。絶対いない。



「ひとり暮らし最高、いえーい。

 俺のスローライフはこれからだ」



 ユリウスは満面の笑顔で空を仰いだ。

 空の上の上にあるのは、常人では視認できない大結界。現在ちょっぴりランクダウン中。

 ユリウスの目には、魔力の編み目まで見通せる。8歳の俺の粗がどっちむいても目に入る地獄よ、ばいばーい!



 いざゆかん。死の大地へと、スローライフしに!

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結界術師、退職します。 優夢 @yurayurahituji

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