「離婚だ」と言うタイミングを逃して10年。~俺は1500万の私財を投じて、不器用な妻と没落実家を救うことにした~

bookmax

第1話:俺は打算で結婚した

はっきり言っておくが、俺は最低の男だ。


道徳? 愛?

そんなものは犬にでも食わせておけ。


俺の人生における判断基準は常に一つ。

「損か、得か」。

ただそれだけだ。


だからこそ、二十八歳になった今、俺は勝ち組の席に座っている。


都内の一等地にある低層マンション。

広すぎるリビングには、イタリア製の革張りソファ。

キッチンからは、朝食の良い匂いが漂ってくる。味噌汁の香ばしい匂いだ。


「……あなた、ご飯できました」


キッチンから顔を出したのは、一人の女。

名前は美鈴(みすず)。俺の妻だ。


ボサボサの黒髪を後ろで適当に束ね、牛乳瓶の底みたいな分厚い眼鏡をかけている。

体型はお世辞にもスリムとは言えない。はっきり言えば、太っている。


小太りで、根暗で、ブス。

それが俺の妻だ。


「ああ、今行く」


俺は欠伸を噛み殺しながらダイニングへ向かう。

テーブルの上には、完璧な和定食が並んでいた。

焼き鮭、だし巻き卵、ほうれん草の胡麻和え。


ただし、だし巻き卵の形は歪(いびつ)で崩れかけているし、鮭の皮は少し焦げている。

盛り付けのセンスは壊滅的だ。まるで小学生の家庭科実習だ。


だが、俺は黙って箸を伸ばす。

口に運ぶ。


……味は、完璧だ。

料亭レベルと言ってもいい。出汁の加減が絶妙なのだ。


「……どう、ですか?」


美鈴が不安そうに、モジモジしながら俺の顔色を窺ってくる。

その挙動不審な態度は、出会った頃から変わらない。


「美味いよ。見た目はともかく」


「っ、すみません……! 次こそは綺麗に……」


「いい。腹に入れば一緒だ」


俺がそう言うと、彼女はパッと表情を明るくした。

ブスの笑顔なんて誰も見たくないだろうが、まあ、金づるの機嫌が良いに越したことはない。


そう、金づるだ。


彼女の父親は、年商数百億を誇る建設会社の社長だ。美鈴はその一人娘。

つまり俺は、この「地味で冴えない女」の心の隙間に付け入り、まんまと逆玉の輿に乗ったのである。


出会いは三年前、俺が入社した会社の新人研修だった。

コネ入社で入ってきた彼女の「教育係」を、俺は上司に押し付けられたのだ。


当時の彼女は今以上に酷かった。

挨拶は蚊の鳴くような声、仕事は遅い、コピー機すらまともに使えない。

周囲の同期たちは陰で彼女を笑い者にしていた。「社長令嬢じゃなきゃ、即クビだろ」と。


だが、俺は違った。

俺の目には、彼女が巨大な「歩く札束」に見えていた。


周囲が彼女を馬鹿にして距離を置く中、俺だけは徹底的に優しく接した。

仕事のミスをフォローし、悩みを聞き、安い居酒屋で「お前は頑張ってるよ」と嘘をついた。


効果はてきめんだった。

恋愛経験皆無の彼女は、コロッと俺に落ちた。


初めて彼女が俺のために弁当を作ってきた日のことを覚えている。

蓋を開けた瞬間、中身がぐちゃぐちゃに混ざった茶色い物体を見て、俺は吐き気を催しかけた。


だが、一口食べて驚愕した。

見た目は残飯だが、味は最高だったのだ。


――こいつ、使えるな。


その時、俺は確信した。


家事はできる。金はある。

俺にベタ惚れで、浮気の心配もない。

見た目の悪さなど、莫大な資産と快適な生活に比べれば微々たるコストだ。


そうして俺は猛アタックを仕掛け、見事ゴールインしたというわけだ。


「……あなた、ネクタイ曲がってます」


回想に浸っていると、美鈴が近づいてきて、俺のネクタイに触れた。

その指先には、いくつもの絆創膏が貼られている。今朝の料理中に作った傷だろうか。


不器用な奴だ。三年経っても包丁使いすら危なっかしい。


「ありがとう」


「い、いえ……いってらっしゃいませ」


彼女は深々と頭を下げる。

俺は満足感と共に家を出た。


俺の選択は正しかった。

資産家の義父、従順な妻、安泰な将来。


俺の人生設計に死角はない。

この快適な「寄生生活」は、死ぬまで続くはずだった。


――そう。

あのニュース速報を見るまでは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る