第2話 受け渡し場所
大阪・梅田の昼下がり。通勤者と観光客の雑踏が混ざり合う。
二つの人影が、その雑踏を常識外れの速さで縫っていた。
左側、冷たい面差しの若い男は、水面を掠める石のように、人混みの隙を正確かつ無音に移動する。右側、高いポニーテールを跳ねさせた女は、より敏捷に、路灯に指を触れて方向を変え、自販機と行人の間を低い姿勢で滑り抜ける——その動きには、訓練された、ダンスのようなリズムがあった。
更に特筆すべきは、周囲の通行人が彼らの異常な速度にほとんど反応しないことだ。彼らの存在感は巧みに「希釈」されている。透明ではないが、意識の背景ノイズの中の取るに足らない一部として、無意識に見過ごされるのだ。
獲物は、左肩の切断面を汚れた布で巻いた男だった。失血と恐怖で顔面を灰白色に変え、群衆の中をよろめきながら走り、必死に振り返る。追手が迫るのを確認し、喉を詰まらせ、JR高架下の歩道橋へと逃げ込んだ。
橋の上は見晴らしが良く、それはまた逃げ場のないことを意味した。
中央まで来た時、二人の追跡者は約束したように左右から橋を塞いでいた。男(伏見)と女(久瀬)は、均整の取れた息づかいで、余分な感情を排した職業的な眼差しで、ゆっくりと近づいてくる。
片手の男は欄干に背を押し付け、胸を波打たせる。狂ったように橋下を見下ろし——市営バスがちょうど停留所に滑り込んでいくところだった。
他の選択肢はない。欄干を乗り越え、飛び降りた!
ドン!
鈍い衝撃。彼はバスの屋根に着地し、よろめいて踏みとどまった。橋の上ですぐには追って来ない二人を見上げ、歪んだ顔に、危険を辛くも逃れたような、みっともない笑みを浮かべた。
その笑みは次の瞬間で凍りついた。
グレーのロングコートを纏った男が、幽鬼のように、バス屋根の反対側に静かに立っていた。額に巻かれた包帯には新鮮な血が滲み、コートの下にも更なる包帯の輪郭が覗く。日差しの中で青白い顔は、橋上の二人よりも濃厚で、ほぼ実体化したような威圧感を放っている。
「速度課程の採点、C組はまだ不合格のようだな」コートの男——柊——は低く独白した。天気を批評するような平坦な声だ。
片手の男の瞳孔が収縮し、やがて歯を剥いて、恐怖を虚勢の兇暴に変えた。「二対一なら諦める!だがお前一人……それも傷病兵じゃ、恐れるに足らん!」背中から日本刀を抜き放つ。細身の刀身は不吉な鈍い光を帯びている。両手で構え(左腕の切断面は仮想的に握るのみ)、険悪な八相の構えを取る。
柊には一切の予備動作がない。ただ、包帯だらけの石像のように静立している。
バスが加速し始めた。風が二人の衣服を引き裂く。片手の男は咆哮して突進し、刃が空気を切り裂いて真っ向から斬り下ろす!柊はわずかに体を傾け、刃先をコートの襟元にかわす。二太刀目、横薙ぎ。柊は包帯を巻いた前腕を屈し、「キン」と正確に払いのける。斬撃、突き、逆巻き……片手の男の攻撃は暴雨の如しだが、柊は常に方寸の地で動き、両手のみでことごとく無効化する。その動作は極限まで無駄を省き、每一撃の受け流しや打ち付けが、刀身の力の最も脆弱な節点を捉え、短く鋭い金属音を響かせる。
数合が過ぎ、片手の男は荒い息を吐きながら後退し、汗が背中を伝う。柊を睨み付け、眼中に驚疑が揺らめく。「てめえの『蘊』……濃すぎんだろ」
柊の口元が、かすかに、嘲笑を帯びた無の表情を引く。「それがわかる程度か。『黒焔』の下っ端はそれまで、ってとこだな」
片手の男は挑発に激昂し、再び躍りかかる。だがこの時、既に攻守は逆転していた。柊の歩みは相変わらず速くないが、異様な「粘り気」を帯びている。彼の掌が刀身に触れる度、片手の男は刀勢が重くなるのを感じ、無形の泥沼に嵌められるようだ。これは“蘊”を体外に放出して近接格闘に応用する高等技術——己のエネルギー場で相手の動作を干渉、鈍重化させる技だ。
交錯の一瞬、柊の左手が刀背に魚のように貼り付き、巧妙な勁力が誘導する。片手の男の重心はたちまち崩れる。柊の右掌が同時に無音でその胸板に印される——
「ぐはっ!」
片手の男は無形のトラックに撥ねられたように、刀ごとバス屋根から吹き飛ばされる!空中で必死に体勢を捻り、地面に着いた時は惨めに幾度も転がり、それでもまた這い起き、後も見ずに脇のごみが積もった狭い路地裏へと飛び込んだ。
路地は暗く、腐敗と小便の臭気を放っていた。片手の男が飛び込んだ時、心臓は凍りついた。
路地の奥、伏見と久瀬が、最初から待ち構えていた蜘蛛のように、静かに行く手を塞いでいる。
前路絶つ、ならば退路……
彼は振り返った。
柊が、既に路地の入口に静立していた。外の光を背に、その姿は黒いシルエットにすぎない。さらに心底を凍らせるのは、彼の右手が既に上げられ、人差し指と中指が揃えられ、狙撃銃のように真っ直ぐこちらを指していることだ。その態勢は安定して、悠然としており、決して臨戦の構えではなく、獲物が自ら罠にかかるのを計算して待つ、必殺の姿勢だった。
「隧穿術・『止』。」
低い声と、その指先から迸る、縁に暗紫色の微光をたたえた「線」が同時に到達する。それは光ではなく、「静止」という概念が具現化して突き刺さってくるかのようだ。
片手の男の身体が忽然と硬直する。衝撃を受けたのではなく、全身の筋肉、神経、さらには血流までが、外部からの規則の力によって強制的に「中止」された一刹那による。短いとはいえ、伏見と久瀬にとっては十分過ぎる時間だ。
二人は豹のように躍りかかり、伏見は素早くその右腕を反り返せ、久瀬は正確な膝蹴りをその脇腹に叩き込み、その後顔を下にして湿って汚れた地面にぐいっと押し付けた。
二分ほど後、新たな足音が響く。
Sが黒柳芐を連れて路地に入ってきた。濃厚な鉄錆の臭い、ゴミの腐臭、そして言いようのない、オゾンのようなエネルギー残留の気味悪い匂いが混ざり、芐の鼻腔を突き、胃をわずかに攣らせる。彼女は地面に押さえつけられても尚もがく男、刀を構えて警戒する伏見、手の埃を払う久瀬、そして包帯にまみれ、近寄り難い気を放つ柊を見た。
Sが柊にうなずく。「ご苦労、柊。C組の人員補充は完了した。君の臨時督察職務は解除、異動命令は元に戻る。以降は私が引き継ぐ」
柊は淡々と「ああ」と応じる。彼の視線はSを越え、芐の上を一瞬(0.5秒もない)掠める。その目には温度がなく、物品の寸法を評価するように、そして直ちに逸らす。
Sと柊が任務の詳細(対象の身元確認と『黒焔』の今回の活動目的の可能性)を低い声でやり取りする間に、芐は注意深く伏見と久瀬に近づく。犯人を押さえる久瀬が顔を上げ、現場の気分とは相容れない爽やかな笑みを見せる。
「これは……?」芐は声を潜めて尋ねる。
「掃除」伏見は簡潔に答える。彼の声は人同様に冷たい。「『黒焔』の活動分子だ。危険物」
地面の男は組織名を聞き、もがいて顔を上げ、嗄れた声で罵る。「『中府』の手先どもが……」
「うるさい!」久瀬が眉をひそめ、容赦なく靴底でその頬を碾きつけ、言葉を封じる。続けてつま先で肋骨を軽く蹴る。「捕虜は捕虜らしくしておけ、静かにしろ!」
伏見がようやく芐に向き直り、短く「C組、伏見」と名乗る。顎で久瀬を指し、「彼女は久瀬」
久瀬は力を込めて犯人を押さえつけながら、芐にウィンクする。「よろしくね、新人さん!さっきの“実地教学”はちょっと刺激的だった?そのうち慣れるよ」
芐は少し当惑して頷く。「黒柳芐です……よろしくお願いします」
Sが話を終え、芐の元に戻る。「見ての通り」彼女は静かに、しかし狭い路地の中ではっきりと聞こえる声で口を開く。「我々の属する組織は、『中府』という。官製の黙認と限定的な支援の下、民間の力で運営されるステルカー組織だ。覚えておけ。我々はルールの狭間を歩き、陽光の下に曝せない“異常”を処理する」彼女は柊の方を見る。彼は既に壁際の影に退き、タバコに火をつけている。「柊は元々A組所属だ。C組の長期人員不足により、臨時で降格し督察を兼任して部隊を率いていた。今、君がその欠員を埋めた。彼は原職に復帰し、ここでの督察職責は私が暫定的に代行する」
「督察……具体的には?」芐は詰め寄る。
「現場指揮、戦術判断、戦力配分、リスク評価、そして新人の最初の適応指導」Sが説明する。「同時に、任務を最小の代償で完遂させ、“危険物”或いは“異常媒体”を安全に回収することを確保する。通常、各組の経験者が持ち回りで担当する」
伏見が傍らで補足する。「絶体絶命の際、最後に頼れる盾と剣でもある」
久瀬は笑いながら言う。「そうそう!でもS先輩が督察になるなら、我々のチーム訓練は倍になるかもね、目が超怖いから!」
柊が吸い終わった煙草の吸い殻を壁で潰し、正確に離れた可燃ゴミ袋に弾き捨てる。彼はコートを軽く叩き、この世のものならぬ埃を払うようにし、歩み寄る。
「任務完了、引継ぎ終了、人員揃い」彼の言葉は短く、話題を終わらせる含みを帯びる。最後に芐を一瞥する。その一見で、ある種の迅速で異論を許さない“査定”が既に完了したように見える。「此の地は“掃除班”に残す。全員、撤収」
彼は真っ先に身を翻し、路地の外へ歩き出す。その歩幅は安定しており、さっきの激闘など最初からなかったかのようだ。伏見と久瀬は手際よく捕虜を引きずり上げ、後に続く。Sが芐に微かにうなずく。芐は様々な臭いの混ざった空気を深く吸い込み、足を踏み出した。彼女の平凡な日常は、この瞬間、その汚れた路地裏に完全に置き去りにされた。目の前には、氷山の一角を見せつけられたばかりの、“中府”という名の隊伍が待っている。
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