第2話 閉ざされた街~最初の異変

住宅街の細い路地を、陽翔と澪はゆっくりと進んでいった。さきほど見つけた血の跡は途切れたり濃くなったりしながら、家々の隙間へと入り込むように続いている。誰のものかは分からない。だが、生々しい鉄の匂いが漂い、ついさっきまでそこに“誰か”がいたことを示していた。


「……これ、絶対にただの事故とかじゃない……よね」


澪が震える声でつぶやく。陽翔は頷くことしかできなかった。街から人が消えた理由。そして、いまこの状況で誰かが襲われたという事実。 “偶然”という言葉が排除されていく。


陽翔は周囲を警戒しながら歩を進める。背後でカラスが一声鳴いた。しかしその声すら、この静まり返った世界では異様に大きく響く。まるで彼らを追い立てるような不吉さを含んでいた。


「陽翔……あれ」


澪の指差した先には、ある家の玄関扉がわずかに開いていた。


血の跡はそこへ続いている。陽翔は喉を鳴らした。


「……入ってみるしかない。もしかしたら、助けられる人がいるかもしれない」


「うん……わかった。でも、気をつけて」


二人は慎重に玄関の前に立つ。扉の隙間から冷たい空気が流れ出す。陽翔がそっと扉を押すと、ぎぃ、と軋んだ音が響き、暗い室内が姿を現した。


「誰か……いますか?」


陽翔の声は虚しく吸い込まれていく。返事はない。


靴を揃えた跡も、食卓に置かれた朝食の残りも、誰かが“さっきまで”ここで暮らしていた痕跡がそのままだ。ただ、そこに人影は一つもない。


「……まるで、突然人だけ神隠しにでもあったみたいだね……」


澪が呟く。陽翔は答えられない。その表現は、まさにこの街全体の異変を端的に示すものだった。


二人はリビングを通って、血痕が続く奥の部屋へと進む。扉の前で立ち止まり、陽翔は息を整えた。


「……覚悟して」

 

ドアを開けた。


部屋の中には、人は――いなかった。だが、床には布切れのようなものが落ちている。


「え……服?」


澪がしゃがんで拾い上げる。花柄のワンピース。ところどころ破けており、布には血が染み込んでいる。ただ、不自然なほど軽い。  まるで中身だけ消えた“抜け殻”のようだ。


「誰かが……これを着ていた人が、服だけ残して消えた……?」


澪が顔色を失う。陽翔は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


「いや、これは……消えたんじゃない。引きずられたんだ」


陽翔は部屋の床を指差す。すぐ横には家具が倒れた跡があり、壁にも大きな擦り傷がある。何か“人間ではない力”が暴れた痕跡。



 その瞬間――がたん、と何かが家の奥で動いた。


二人は同時に振り返る。


「……だれ……?」


澪の声は震え、陽翔は無意識に腕を伸ばして澪を庇った。


暗い廊下の先で、小さな影がゆっくり動いている。人間の背丈ではない。四つ足――動物のようだが、輪郭がぼやけ、明らかに“普通ではない”。


影はゆっくりとこちらに近づいてくる。澪が小さく悲鳴をあげ、陽翔の袖を掴んだ。


「逃げるぞ!」


陽翔は澪の手を強く握り、玄関へと駆け出した。背後で何かが壁をひっかくような音が響く。


がりがり、がりがり。


足音はない。影は静かに、だが確実に追ってくる。


二人は外へ飛び出し、全力で走った。太陽の光が照りつけているのに、背後の気配は夜のように冷たい。


やがて、影の気配は遠ざかり、ひっかき音も消えた。二人は公園の前でようやく立ち止まった。


「……陽翔……今の、何……?」


息を切らしながら澪が問う。陽翔は頭を抱える。


「分からない……でもあれは……この街が“こうなった理由”と関係してる気がする」


誰もいない街。残された血と服。見えない壁。そして、未知の影。


日常の破壊は、わずか数時間でここまで徹底していた。


陽翔はベンチに座り込み、空を仰ぐ。太陽は出ている。雲も流れている。だが、それらもどこか“偽物”に見えた。


「……澪。ここは本当に、僕らが知ってる世界なのかな」


澪は黙って陽翔を見つめ、そしてゆっくり首を振った。


「分からない。でも……ここにいる限り、私たちは“誰かに見られてる”。そんな気がしてならない」


その言葉に、陽翔の記憶が蘇る。あの壁に書かれていた赤い文字。


《観察は始まった》


そして、あの奇妙な影。まるで彼らの行動を“試している”ような動き。


陽翔はポケットからスマホを取り出し、改めて画面を見る。圏外表示のまま。だが、ふいに画面がぱちっと点滅し、黒い背景に白い文字が浮かび上がった。


『参加者確認:2名』


『次の指示を待て』


「っ……何だよこれ……!」


陽翔はスマホを落としそうになった。澪も覗き込み、顔色がさらに青くなる。


「ねぇ……これって……まさか、私たちのこと……?」


陽翔の手が震える。自分たちはこの街の“参加者”。そして誰かが“指示”を出す――その意味。


ゲームか実験か……はたまた殺戮の舞台か。


答えは不明だが、ひとつだけ確かなことがある。


街の異変は偶然ではない。ここは誰かが意図的に仕組んだ“閉鎖空間”であり、自分たちはその中で“何かを強制されている”。


しばらく沈黙が続く。澪は震える手で陽翔の制服の袖をつまんでいた。


「……陽翔、どうしよう……」


「大丈夫だ。絶対に、脱出する方法を見つける」


その言葉は、自分自身を奮い立たせるためでもあった。目の前の状況は恐怖そのものだ。けれど、諦めれば本当にすべてが終わる。


陽翔は立ち上がり、周囲を見渡す。


「まずは……“安全な場所”を探そう。どこか、夜になっても隠れられる場所」


澪は唇を噛みながらも頷いた。


「分かった……陽翔が一緒なら、怖くても……進める」


その言葉に、陽翔はほんの少しだけ勇気をもらう。二人は歩き出す。未知の影が潜む街を、恐怖と緊張の中で。そして彼らのスマホは、何事もなかったかのように“圏外”表示へ戻っていた。


しかしここからが、本当の“試練”の始まりだった。


この街で最初の殺人事件が明るみに出るまで――あとわずか一日。

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