遠くの女神様

 いつの間にか、昼休みになっていたらしい。下の階がザワザワし出す。

 ガチャ——。

 フェンス越しの景色を眺めていたところで、突然ドアが開く。飛び跳ねて振り返ると、私のヒーローがいた。


「高梨先生……」


 私はここにいることが恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。あの綺麗な顔を拝みたいのに。


「皇さん、今日は晴れてますね」

「えっと……はい」

「難しいことばっかりですよね、この世界は」


 気づいてるんだ、私が授業サボったこと。


「……怒らないんですか」

「何をですか」


 とぼける先生はいつも通り綺麗な顔をしていた。女神みたい。


「事情があるなら、授業を受けなければいけないなんてことないですよ」


 やっぱりヒーローだ。頭ごなしに否定しない。


「……里香のお母さんに、テストの点数に差が出てるから成績に差をつけるのは当たり前って言ったって本当ですか」


 聞くのを躊躇いながら、でもどうしても気になって聞いてしまう。


「本当ですよ。それが正しいことかも私には分かりませんが、少なくとも成績をつけるときはテストを基準にしましょうって決まっているのでね。そう答えました」


 満足だ。変に格好つけた回答を先生はしない。

 他のゴミ教師たちは正義を振りかざしているように見える。自分が神です、みたいな顔している。

 でも、高梨先生はそうじゃない。平等・公正を目指すけれど、押しつけはしません、私は神じゃないので。そんな感じ。

 それがかえって神様に見える。


「今日は英語がなくて悲しいです」


 高梨先生がなんて答えてくれるのかが気になって、こう言ってみた。


「勉強熱心ですね」


 言葉が宙に浮いているように聞こえた。別にそういうわけじゃないのに。


「先生の授業が好きなんですよ。だから今日はなくて残念です」


 先生はこちらを見て可憐に微笑んだ。


「それは嬉しいですね。ありがとう」


 明確に一線を引かれた、そんな気がした。私の真意に気づいて、見て見ぬふりをしたんだ。

 平等な先生のことだ。そうするのが当たり前だ。それなのに、どうして少しだけ悲しいんだろう?

 女神様の笑顔が、なんだか遠く感じられる。先生は、では行きますね、と言って屋上を去る。

 動こうにも歩き出せなかった。追いかけたいのに。今日の私は何かおかしい。これも全部小林のせいだ——。

 私はいつも通り、静かに心の中で小林を殺した。

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