第十三・五話『スケキヨがそう見えるのはきっと君だけ』─もはやこれは逸脱だ
UNIX/LINUXの話が終わり、二人で部屋のリビングで映画を見ようという話になった。
見た作品は六本。
・『犬神家の一族』
・『Zardoz』
・『Koyaanisqatsi』
・『2001 a space Odyssey』
・『Arrival』
・『The Brutalist』
A「『犬神家』よく許してくれたね。もしかして未見だったりした?」
B「愚問ね。見ているに決まっているじゃない。が、私は確認をしたかったの」
A「トリックとか?それとも市川崑のクレジットの原点的な意味?」
B「そんな表層なところをとっくに押さえているわよ。確認したかったのは「スケキヨ」よ。」
A「白い覆面をかぶっていることがそんなに不気味だったとか?いまいち線がみえないな。」
B「まぁこれはそうでしょうね。いいわ、これは本当に個人的な感性の話でしかないから素直
に話すわ。わたしね、あれを見て思ってしまうの。「山海塾じゃんこれ笑」って。内心。」
A「山海塾って……あの舞踏の? 確かに、あの異形性、静止と緊張……って、そういう目で見たことなかったよ」
B「でしょ?あの脚をくの字に曲げて湖面から出ている画面、あれ、動き出すと思わなかった?」
A「うん、思わない。あれは名シーンとして一般的にしられているからね。」
B「それってつまり、静止画面に潜む運動の気配ってこと。市川崑のクレジット構成とも、
山海塾の舞踏的美学とも重なる。スケキヨはね、映像としての死者なのよ」
Bはこちらの反応をもろともせずに語る。しかしこの話ばかりは流石に逸脱だ。どうきても
動揺しない自信がある。開口一番「山海塾」で一本取られているけど。
A「よくそんな話を平然とできるよね。あれ、普通は顔のない恐怖とか、マザコンだとか、そういう記号で済ませるじゃない」
B「済ませたくないのよ。あの顔は白い覆面じゃなくて、皮膚のない仮面なの。
つまりあれ、死者を演じる身体のエチュード。死んでいるはずなのに息づいている──あれは舞踏だわ」
A「そこまで言われると、逆にもうホラーって言いたくなくなってくるな……」
B「でしょ?だから逸脱なの。ホラーの記号じゃなくて、身体そのものが記号の亡霊になる。
これってもう記号論では捉えきれない、生理的な違和感、いや現前性の異常よ」
A「たぶん一生スケキヨって言うたびに山海塾思い出す呪詛になり始めている自分がいる」
B「嬉しい呪いじゃない。こういうの、誰かに言いたくて仕方なかったのよ」
A「……というか、それ、論じているようで実は祈ってない?」
B「祈っているわよ。死がただの記号じゃなくなる瞬間をね。わたし、あの脚が動き出すのを今でも待っているもの」
A「……映像の中で、ずっと止まったままのスケキヨが?」
B「そう。あれは死んだんじゃない。待っているの。湖の底で、自分が何者だったかを……」
A「なぁ、B、雪がなぜ白いか知っているか?」
B「自分がどんな色か忘れてしまったからだ」
A「そういうことだ。」
Music By. kotoha. 『雪は何色』
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