第8話

事後処理は領収書で! ニャングルの土下座

 ラルディアの街に、衛兵隊の笛の音が響き渡る。

 事態の収拾は、意外なほどスムーズだった。

 理由は単純。

 ザイアス男爵が放った魔獣『ロックバイソン』が暴れ回り、多くの市民が目撃者となったからだ。

 さらに、俺の『解析眼』が、彼が隠し持っていた「裏帳簿(人身売買や魔薬取引の証拠)」の隠し場所を、駆けつけた衛兵隊長にコッソリとリークしたことで、男爵の運命は決まった。

「は、離せ! ワシは貴族だぞ! こんなことをしてタダで済むと……!」

 瓦礫となった屋敷の前で、ザイアス男爵が手錠をかけられ、引きずられていく。

 その背中に、俺は冷ややかな声をかけた。

「安心しろよ、男爵。あんたの屋敷が吹き飛んだのは、魔獣の暴走による事故だ。そうだろう?」

「き、貴様ぁぁ……ッ!」

 男爵はルナの方を睨んだが、当のルナは「魔獣って怖いですねぇ」とすっとぼけている。

 この天然エルフ、たまに怖い。

 さて、親玉は退場した。

 残るは――。

「……ひッ!」

 俺が視線を向けると、瓦礫の陰で震えていた猫耳族の男――ニャングルが、ビクリと肩を跳ねさせた。

 彼は逃げようとしたが、その首根っこを、蔦(つた)がガシリと掴む。

「おやおや、挨拶もなく帰るとは感心しませんね」

「ネ、ネギオはん……!」

 ネギオに引きずり出され、俺の前に放り出されたニャングル。

 彼は一瞬で状況を悟り、芸術的なスピードで額を地面に擦り付けた。

「す、すんまへんでしたぁぁぁぁッ!!」

 見事な土下座(ジャンピングDOGEZA)だ。

「わ、ワイは脅されてたんや! 男爵に逆らったら、商会の地位も命もないって言われて……! ホンマはあんさんらと争う気なんてなかったんや!」

「ほう、そうか」

 俺は電卓を片手に、彼の前にしゃがみ込んだ。

「だが、お前が俺たちの営業を妨害し、価格競争を仕掛け、結果として今日の騒ぎの一端を担ったのは事実だ。違うか?」

「そ、それは……ぐぅ、言い返せへん……」

「世の中、『ごめんなさい』で済むなら警察も商人もいらないんだよ」

 俺は懐から、ネット通販で買った『領収証(複写式)』とボールペンを取り出した。

 サラサラと金額と但し書きを記入し、ピリッと破いてニャングルの前に置く。

「これが今回の請求書だ。屋台の修繕費、営業補償、精神的慰謝料。締めて金貨50枚(50万円)だ」

「ご、ごじゅう……ッ!?」

 ニャングルが白目を剥いた。

 サラリーマンの彼に、即金で払える額ではない。

「払えないなら、別の方法で支払ってもらう」

「べ、別の方法……? ま、まさか、臓器とか……マグロ漁船とか……」

 ニャングルが自身の体を抱いてガタガタ震える。

 俺はため息をつき、ポケットから「ある物」を取り出した。

 黄金色に輝く、一粒のキャンディだ。

「口を開けろ」

「へ? ……んぐっ!?」

 俺は呆気にとられるニャングルの口に、無理やり『特濃珈琲キャンディ』を放り込んだ。

「……ん? ……んんっ!?」

 ニャングルの猫耳が、ピン! と立った。

 彼の瞳孔が開き、口の中で転がすように味わい始める。

「な、なんやこれ……! 甘いだけやない! 深くて、苦くて、香ばしい……! まるで焦がしたキャラメルのような、それでいて頭がシャキッとするような……!」

「『珈琲(コーヒー)』だ。俺が屋台で出している黒い飲み物を、固形化して凝縮したものだと思え」

「こ、これを固形に……!? 信じられへん技術や!」

 商人の顔になったニャングルが、俺に詰め寄ってきた。

「兄ちゃん……いや、社長! これ、原価いくらや!? いや、いくらで卸せる!?」

「原価は秘密だ。だが、お前ならこれをいくらで売る?」

 ニャングルは頭の中でそろばんを弾いた。

 その顔は真剣そのものだ。

「……この光沢、香り、携帯性。貴族や魔導師なら、仕事の合間の活力剤として欲しがるはずや。一粒で銀貨1枚(1000円)……いや、パッケージ次第ではもっとイケる!」

 正解だ。

 こいつは、モノの価値を見抜く目を持っている。

「合格だ、ニャングル」

 俺はニヤリと笑った。

「金貨50枚の借金はチャラにしてやる。その代わり――俺と契約しろ」

「け、契約?」

「ああ。俺はこの『珈琲キャンディ』をはじめ、お前の見たこともない商品を無限に調達できるルートを持っている」

 俺は電卓をパチパチと弾いて見せた。

「だが、俺には販路がない。いちいち屋台で売るのは効率が悪いんだ。そこで、ゴルド商会のシルバー会員であるお前のコネが必要だ」

 俺の提案に、ニャングルがゴクリと唾を飲み込んだ。

 つまり、俺が「生産元(メーカー)」となり、彼が「代理店(ディーラー)」となる。

「ワイを……パートナーにしてくれるんか?」

「パートナーじゃない。『独占販売契約を結んだ下請け』だ。利益の配分は俺が7、お前が3。ただし、お前の取り分だけでも、今の給料の10倍は稼がせてやる」

 10倍。

 その言葉に、ニャングルの目が金貨の形になった。

 彼は再び土下座をした。今度は恐怖ではなく、崇拝の土下座だ。

「一生ついていきますぅぅぅ!! 優也社長ォォォッ!! あんたは商売の神様や!」

「交渉成立だな」

 俺はニャングルの肩をポンと叩いた。

 その時、後ろで寝ていた龍魔呂がムクリと起き上がり、寝ぼけ眼で言った。

「……優也。俺の分の角砂糖は確保されているんだろうな?」

「ああ、給料代わりに現物支給だ」

「なら文句はない」

 ルナも割り込んでくる。

「優也さん! 私は? 私の取り分は?」

「お前は屋敷を壊した件の『減給』があるから、当分は賄い飯だけだ」

「そんなぁぁぁ!」

 こうして、悪徳貴族の支配が終わったラルディアの街に、新たな組織が爆誕した。

 表向きはゴルド商会の新事業部。

 だがその実態は、異世界の商品流通を根底から覆す、最強の商社だった。

 俺は空を見上げた。

 次の目標は、この街での基盤を固めつつ、もっと大きな市場――王都への進出だ。

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