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 抜弁天の自宅に久しぶりに戻った。ドアを開けた瞬間に懐かしい我が家の匂いが飛び込んでくる。これは……醤油の匂いだ、たぶん。シンクの下で何かの拍子にこぼれてそのままになった醤油がまとめて二次発酵か何か、しているんだろう。いつかきちんと掃除をしなければならない。が、気乗りしない。特大の消臭剤を今ではないが時間のある時に買って置いておこうと思った。俺の感覚では、これはまだぎりぎり不潔ではない。

 …………不潔繋がりで下らない話を思い出した。バックパッカーで東南アジアを回っていた頃にタイの田舎のドミトリーで英語が喋れるスペイン人から聞いた話。タイトルがあって、スペイン語で自己探求の旅を意味するVashirando。これは本当にあった話なんだが、という実話怪談めいた前置きで始まった。


 バックパッカーの日本人が時差ぼけ頭で帰国した。空港に降り立った時に、何かが醸造されたような匂いを嗅いだ。よく日本の空港ですると言われているような醤油の匂いではなかった。何か分からないまま、とりあえず眠いので小首を傾げながら家路を急いでいたが、最寄り駅で不意にそれが何だったか気づいた。贔屓にしていた立ち食い蕎麦屋のだしの香り。その日本人の鼻は数十時間後にスーツ姿で再び立つことになる場所の匂いを一足先に嗅いで、郷愁に浸っていたという訳だ。

 状況を理解した彼の目から、不意に涙がこぼれた。次の瞬間、彼はおもむろにバックパックからぼろぼろのスーツを出すと、人目も憚らずその場で着替えて、その立ち食い蕎麦屋に入って行った。店員は彼を見てホームレスと思い、迷惑そうな顔をした。が、先払いの食券を渡したことで客と認知されてはいたから、蕎麦は他の客同様に数分で出て来た。彼は号泣しながら出てきた蕎麦を派手に啜り、しょっぱいからいと喚きながら、自由だった日々に永遠の別れを告げた。


 これからの人生の門出となる面接に対して、決意を新たにするための、そいつなりのけじめ。もし同じ日本人としての意見を求められたら、そう答えようと思っていた。そんな機会は永遠に来ないと瞬時に悟っていたのに、黄色い猿のイメージに染み付いているお人好しな律義さで、脊髄反射でここまで用意してしまったのだ。演技力が壊滅的だったから、実態は目の前のヒスパニック作・主演のコント。だが元ネタは明らかに、初対面からほんの数分前まで奴を「根はいいやつ」だと信じ込んで話していた、俺の自虐話。それも複数の話を異形再生よろしく、悪趣味に繋ぎ合わせている。

 コラージュではなくあくまでオマージュだと言い張るつもりか。一足先に自分から社会的に死んでおくこの行為に現れている自害的な感情爆発の機微を、つるつる滑るgreaseballの分際で理解出来る方が怖い。日本国内で、泣きの語りが達者な落語家が物語ったとしても時代遅れの感動ポルノとして流されるだろうに、こんな僻地では、とあるジャパニーズスレイブの、気味の悪いハラキリと思われるのが関の山だ。


 案の定、真面目だけが取り柄の間抜け野郎に捧げる黙祷のような沈黙の後で、埃っぽいドミトリーの床に多国籍な世捨て人たちの侮蔑の笑いが反響した。ブラックジョークのオブラートから余裕で溢れた悪意に気づいた俺は、脊髄反射でおいバカにしてんのか、と咄嗟に反論したが、あいつらにとっては如何せんアジア訛りの強い英語。右手に白人のジャンキー女、左手に黒人のチンパンジーを思わせる歯並びの男を侍らせ、昨日自分を売りに来た現地の少女を真ん中に蹲らせた不良王族気取りのやつは、逆上した俺のリアクションを全身で歓迎した。涙すら流さず、ひたすら黙々と仕事をしていた少女を乱暴に押しのけると、穴だらけのTシャツを面白半分でやる雑巾がけのように床に擦り付け、律儀に海老反りにまでなって、無様に笑い転げた。

普通ならその場から一思いに飛び出すのだろうが、俺はわざとその場に残り、あいつらに見せつけるように荷造りをしてやった。動物園から逃げてきた動物の群れに観察されるような無遠慮な視線を全身にひりひりと感じた。俺の肌は鎧だと自己暗示を掛けながら、そのろくでもない好奇の熱を冷たく跳ね返すのが、意外にも自分の漢気を誇示するようで心地良かったが、今思い返せばこれも、同種の見下しの快感だったのだと分かる。それでもあの頃は濁流に流されるようにただただ感情にくるまった。手当たり次第に、だが自分の持ち物だけは絶対に忘れないよう、スーツケースに荷物をわざと丁寧に詰め込んだ。


なあ何か話したいことがあるならここに座って話そうぜ。

Oye, si tienes algo de lo que quieras hablar, siéntate aquí y hablemos.


 頭上からスペイン語が降ってきた。むろん、数日前のセルフオマージュで、前は英語だった。こいつらの言う「話す」は、もはや勝手にターゲットにした人間を油断させて暴力を引き出すための呼び水でしかない。次局面がそう「語ってしまっている」。

 俺はやつの挑発の流し目からさっと視線を逸らした。絶対に怒らない日本人を怒らせるチャレンジに付き合わされて、下らない賭けのネタにされるのも、その記憶を夜な夜な異文化交流という美辞麗句でなぜか俺の方が誤魔化すのも、これが最後だ。

 出会った事実も、心に居座られた事実も消せないが、これからの人生からの締め出し方は分かる。逃げるが勝ち、先手必勝とはよく言ったものだ。俺が後ろ手で壊す勢いで安普請のドアを閉めると、右手で殴られたドアが悲痛な悲鳴を上げた。奴が立ち上がると同時に押しのけられた少女は倒れたまま動かなかった。十中八九死んではいないだろう。こんな空気の下で時間分働くのが、だるくなっただけ。

 現地人ですら安すぎて敬遠するドミトリーに沈んでいた日本人男の良心にこの期に及んで期待する方がバカだ。むしろ何の落ち度もないのにいきなり裏拳で殴られたドアの方に俺は同情したもんだ。ごめんなあばよと、密かに別れの挨拶までした。だが所詮もの。そんな心の機微が通じる訳もないしこちとら通じて欲しいとも思わなかった。だから結局そのままバスに揺られてチェンマイ、その後バンコクまで行き、無理やり当日便の飛行機チケットを取って、帰国したのだ。

 大多数のバックパッカーよろしく、『深夜特急』を読んで勢いで始めた俺の旅は、いくら耳を澄ませても聞き取れない現地語の音が象徴する通り、不穏な不協和音と共にあった。音の予言の通り、アジア周遊三ヵ国目で脇道に逸れ、断崖絶壁に頭から突っ込んだような派手な最期。当時は最悪の目立ち方をしたという点で、黒歴史の大事故としか思えなかった。しかしモラトリアムを遠い目で懐かしむ余裕が出来た今では、やらかした者特有の視野狭窄の中で、そう思い込んで絶望していたことの方が、むしろ恥ずかしく思える。

 三十年後には若気の至りの一言で修正可能な事象に過ぎない。ロマン半分、就活のネタ探しの煩悩半分で始めた旅だったが、要するに俺は、自分にとって不愉快なものを直視するのが怖かったのだ。ドミトリーのあの瞬間、熱がすうっと冷めた拍子に、全身の筋肉が一瞬、弛緩した。もうどうにでもなれという思いで見渡した視界は、広く軽かった。必死で目を細めて、自前のほの明るいぼかしとぶれの中で、醜いものを可能な限り美しく加工しようと苦心していたことが、長年蓄積された力みの疲労を通して自覚出来た。

 同郷のよしみで親しみを抱いていたユウとか言った日本人が、やつから見えもしない場所で阿諛追従の笑みを浮かべていたことも、自発的に記憶喪失になって仕事に没頭していたあの子が、ほんの数日前、ツリータウンのビーチパラソルの下で、本当の遊びの疲れを、カクテルと氷入りビールと大麻のちゃんぽんで攪拌しながら、目の奥だけは夢見る少女のような遠い眼差しで笑っていたことも、今では苦痛なく思い出せる。要するにどうでも良くなった。それでも思い出してはしまうのだから、もうそれは仕方ないとして、対処法を考えなければならない。

 一旦、全部疑似餌だったと仮定することにした。その方が話が早いし安全なのだ。総体で見ると少しは違うものも混ざっていたとは思うが、そんな些細な差異が、根を同じくするものの梢に紛れていたからと言ってどうだと言うのか。その存在を認めて尊重せよと言うのなら、そっちが先に見本を見せて欲しい。薄気味悪い自己愛を感じさせない博愛の見本は、さぞや学びがいがあることだろう。


 今よりもお人好しで世間知らずだった俺は、夢遊病のようにぼうっと生きていたから罠に引っ掛かった。しかし、そんな躓きで壊れてくれるほど俺の人生は繊細ではなかった。

 日本行きの飛行機に乗る頃には、悲愴感は消えていた。鮮やかな緑の縁取りが市場で売られている土産物を思わせるタイ国土が、リクライニング不可の座席の隙間から、こちらを嘲笑うように覗いていた。内心途上国と見下しながら、この景色を手に入れられると意気込んで入国してきた、身の程知らずの外人を持ち上げては調子に乗らせ、別れ際にせせら笑うのが、世界一の王室財産を保有しながら、未だ貧富の差が激しい、中進国止まりのあの国のプライドの保ち方なのか。

 国や環境が変わったとしても根は境遇が違う人同士の関係性なのだから、生まれ変わったように振舞えると信じている方が盲目だった。同じ盲目同士でも野蛮な場所では、より声高に叫んで本能を剥き出しにした方が勝つ。これは自然の摂理で、土臭いドミトリーに棲んでいるデバネズミどもは、あの爆音とネオンが渦巻く街を縄張りにしている。それだけ。ただ一つ、確実に言えることは、あいつらは俺のように出ていく金もないから、あのゴミ溜めに死ぬまで留まって、獲物を狩り続けるしかない。



 そんなことを思いながら今日もスーツケースを引きずって外に出る。仕事が終わったら、また新しい旅に出る。ドアを開けると途端に音の洪水。四車線の交差点沿いだから、仕方ない。今度の行き先はペルーの山岳地帯。この騒音もすぐに懐かしくなるだろう。日々の仕事をこなす中で自分に張り付いた、「人が好き」というレッテルが重苦しいというのではなく、単に甘いものを食べた後にはしょっぱいものが欲しくなるという、より原始的な貪りの嗜好だ。

 外廊下からは嫉妬深い性格だという縁切りの神が祀られた社がいつものように佇んでいる。引っ越した頃に一度だけ参拝した。確か池があった。池の水は底まで澄み切っていて、名も知らぬ草木の中には、水中でも赤い実をつけて育っているものさえあった。あの実は今でもあのままだろうか。そうに違いない。人の目で不自然に思える自然の均衡を見ると不安を覚える。時空の歪んだ平安に眩暈を覚えると言ってもいい。社を囲むように浮かんだ事故物件の人魂が文字通り対岸の火事に思えてくる。神頼みが尽きた頃に無神論者を気取っても上手くいかないのは、根が小心だからだ。土壇場で良い人のイメージを潔く手放すのが怖く、分不相応な良心をいつまでも抱え込んでいるからに他ならない。そろそろあそこを死に場所に選ぶ奴も出て来る頃だなと俺は密かに思う。旅行に行っている間に、一人二人死んでくれていたら歌舞伎の負の名所が増えておもしろいのに。心の中で中指を突き立てながらそんなことを本気で思う。

 エレベーターで一階まで降りる。歩道では定例の行列が始まっている。携帯片手にヒールでのろのろ歩く、ゾンビの群れのような女たちの列に俺も加わった。

 これは夜の通勤ラッシュだ。夕方五時から始まる、十代から二十代までの擦れた女どもによる夜職の行進。年単位で蓄積された寝不足と肝臓疲れによる血色の悪さを厚化粧で誤魔化し、今日も大名行列よろしく、身に纏った戦利品を見せびらかしながら、神輿に掲げた歌舞伎に出勤する。対価のない会話をするのは億劫という価値観で生きているからあのセンチメンタルな死のロングウォークと違って行列内では何の会話も発生しない。正真正銘の孤独な行進だが、不毛なことに気づかずに友達ごっこに課金し続けるよりも個人の物欲に振り切ったほうが遥かに潔いと俺は思う。貢がせた戦利品はやたらと豪華だから、派手な毛皮を見せびらかしながらサバンナを闊歩する肉食獣同様に、見た目だけはきらびやかだ。

 仕事は個人戦で、雇用は定期的に処理しなければ日常生活に支障が出る男のさがに守られている。見た目さえ大きく崩れていなければ、昼職の女性平均より上の生活は、どれだけ不況だと言われても保障されている。身体を売っているのに貧困貧困と言っているのは、身の丈に合わない収入を求めているからだ。売り尽くしても当人達のスペックによっては、大学の奨学金相当の額も稼げない。店選びを間違えたり接客時の受け答えをミスったりしても、そこまで稼ぐ前に痛客に纏わりつかれる。元客のストーカーから逃げるためには、身軽であればあるほど良い。下手に素性を知る同僚などいるだけ邪魔だ。

 ゾンビの列を追い抜くようにタクシーが何台も通り抜けていく。後部座席に乗る女たちもまた、スモークガラスの奥で一様に俯いて携帯を弄っている。まだ車を使える知恵と気力のある行列予備軍たちの中に行き先が歌舞伎の奴がいるというだけ。断崖絶壁から突き落とされても、まだ執念で爪を立ててぶら下がることが出来るという意味で、遥か彼方の芸能島に古くから生息する見世物の女たちと同類かもしれない。極限状態の脳を意識的に麻痺させることで、己がゾンビであること自体に面白さを見出した、現時点の最終形態の女。自らの手で傷口を拡げて見せることで金を稼ぐ。その拡張された恥部は無数の手で精神的に弄ばれ、ホルマリン漬けにされた上で貴重な雛形だったと持て囃された後に、歌舞伎で後々まで広く語り継がれるだろう。何だかんだ言ってもこうやって爪痕を残したのだからそれなりに頭の良い奴だったと。

 事実頭の回転は、速いのだ。今も、まさか自分がホストにハマるとは思わなかったと脳の一部で電子信号のように微弱に思い続けている様がかわいらしい。蟻地獄を登るよりも自分が蟻地獄になって場を操る方が楽だといずれ分かるが、純粋に状態を楽しめるこの今が一番楽しい頃だ。金を稼ぐ喜びと使う喜びが釣り合っている幸福な時は短い。目先の便利さよりも選んだ相手のために切り詰める喜びに目覚めた時に、タクシーから降りて、手前のゾンビの一員になる。ゾンビになったら脳が腐る。そうなったらもう、終わりだ。

 とは言え、密かにもう腐り始めているのかもしれない。歌舞伎で働いて使い切ることが目的だから、体調不良は友達のようなものだ。ゆえに落ちる前と後で薬をやってない限り容姿は変わらない。今が躁なのか、鬱なのか。スモーク越しで分かるはずもないが、多少やっていたとしても薄い羽を纏ったトンボもどきになるだけのこと。大きな目で見たいものだけを見ている癖に、たまたまこっちと目が合ったら、「さっきから何じろじろ見てんの?」と自意識過剰由来の先回りでキレてくるのだから、見分ける努力をすること自体、馬鹿らしいというものだ。


 歩きながら思い出す。最近は昔を思い出すことが日課になっている。旅行に行きたいが暇と金がない時期を過ごし過ぎたからだろうか。脳を騙して旅行気分に浸る癖が抜けない。

 タイから帰国後しばらくは日雇いで繋いで、その後は知人の伝手でライターのバイトをした。あの頃はまだ業界の景気も良かったから、週刊の仕事でなくても生活保護におまけした金額程度は稼げた。バックパッカー生活で、物欲も洗い流されていたから意外と辛くはなかった。知人にはお前修行僧みたいな生活してるな、と笑われたけれども。逆に不思議だった。そんなに重いもんばっかり抱えて、逃げる時どうすんだよって。ものに足を引っ張られた挙句に地震で倒れたものに押しつぶされて死んだりしたら笑えないだろって。あの頃の俺はミニマリストの走りだったと思う。今もそうだ。すぐ逃げられるように、いつも身軽にしている。自転車にすら乗らない。目を離した隙に傷つけられたり、盗まれたりするのが嫌だから。

三角州のような二股路に辿りつく。路全体が微妙に右に傾いている気がする、鰻の寝床のようなビルを左に曲がると、一車線の文化センター通りに入る。静かになった通りをそのまま進む。左右には茶白の垢ぬけない低層ビルの連なり。その奥には全面ガラス張りの照り返しが嫌味な高層ビルが島流しされたように孤立してある。季節外れの桜並木の下を抜けると途端に道幅が広くなる。田舎然とした風景もここで終わりだ。

 色味は相変わらずだが、高さと大きさが増したビルの間を進むと一気に視界が開ける。またうるさい交差点に逆戻りだ。ここで明治通りとぶつかる。中央の白ビルを右にかわすように曲がれば馴染みのネオンと看板が連なる一角の登場だ。数十時間ぶりの歌舞伎。俺の腹の中で、嫌悪感と優越感がどろどろに混ざり合っている。ああクソクソクソが。今日も真面目に出勤しちまった。




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