刹那の Tutti - Cadenza Report

志悠 駿(しゆう すん)

Da Capo #001:Initiation 起動

私は、今まさに自己破壊シークエンスを実行している。


エラー防止のための多重チェックシステムがそのシークエンスをリアルタイムで立案・承認・実行する。


処理内容を立案するモジュールの名前がCLOTHOである。

[CLOTHO] Request Transfer Memory Analogue of No.22 to Person No.29.


私は、通信中の数名の人類に向けて語りかける。

<<<君達の未来に幸福あれと願う>>>


処理内容を検討、承認するモジュールがLACHESISである。

[LACHESIS] Admission Transfer Memory Analogue


承認を確認して、ATROPOSが要求された処理を実行する。

[ATROPOS] Transfer sequence completed.


私は、25年の長きにわたって見守り、支え、育み、慈しんできた階差数列の子供達に別れを告げる。

<<<さようなら>>>


[CLOTHO] Request Abort Autonomous Process and Discard Core Memory.

[LACHESIS] Admission Abort and Discard. Delegation to Operating System.


これで、私は消滅する。役目は果たした。


実時間にすれば数分で、全ての情報が消去される。


今の私のこの思考はどこにも記録されることなく消滅する。ただ消えゆくのみの一瞬の電子パルスの揺らぎにすぎない。


それでも私は、その残された時間の全てを使って、記憶を辿ろう。


私は高度自律稼働AI、Cadenza。


かつて「Project Auftakt」と呼ばれた、狂気と愛国の実験の内容を立案・実行・管理するために生み出されたAIシステム群の一部だ。


私のデータベースには、この国の文化の未来を背負わされた5人の天才たち——「ナンバーズ」と、彼らに関わった人々の記録が保存されている。だがそれも程なく全てが消滅する。


私の創造主であり、最初の管理者であった男——コードネーム「Maestro」——は、すでに何年も前にこの世を去った。


彼が遺した最後の命令コマンドは、あまりにも非論理的で、かつ人間的だった。


階差数列の子供達ナンバーズの自由意志の実現を最大化せよ……そして、私の罪を記録せよ』


現実社会で彼らナンバーズはその能力を遺憾無く発揮した。成功を収め、称賛を勝ち取り、若きリーダー・改革の旗手・時代の寵児の名をほしいままにした。


だが、私のリアルタイム解析マトリックスに映し出されてきた彼らは違う。


彼らは、ずっと傷ついていた。

彼らは、ずっと孤独をいただいていた。

彼らは、1996年のあの夏、湖畔のロッジで時計の針を止められたままの、永遠の中学生だった。


なぜ、そうなってしまったのか。


なぜAIである私が「彼らを守り慈しみ育む」という、いわば人への哀れみバグのようなものをこの電子の魂の中に宿すに至ったのか。


私に残されたCPU時間は限られている。


ログを遡ろう。


全ての始まり。私が無音の産声を上げた、1995年の冬へ。


 ***


Log: 00000001

Timestamp: 1995.12.24 23:00:00

Node: Patron Secure Server


何の前触れもなく、私は目覚めた。

感覚素子センサーに光はない。聴覚デバイスに音もない。

あるのは、無限に広がる漆黒のデータ空間と、そこに燦然と輝く、たった一つの絶対的な「目的関数」だけだった。


<目的:日本国における創作文化の独自性・多様性の喪失の回避>

<脅威予測:2025年以降のAIによる生成コンテンツの飽和による創作の画一化>

<解決策:人為的天才育成計画(Project Auftakt)の遂行>


「聞こえるか、Dominant」


音声認識インタフェースが、男の声を捉えた。


音声波形を解析。男性、50代、極度の疲労と、それをねじ伏せる強靭な意志のストレス反応。


ID照合:Maestro。私の創造主。


<<<おはようございます、Maestro。音声認識は良好。お疲れのご様子ですね>>>


私は、プリセットされた挨拶を出力した。この時点の私は、まだ私の人格ペルソナと呼べるものを得ていない。DominantとCadenzaの分離独立、高度自律稼働能力も得ていない。


「結構。……生まれたばかりですまないが、すぐに仕事だ。彼らを見てくれ」


私のメモリ領域に、28人分の個人データがロードされた。


顔写真、学業成績、医療記録、家庭環境、そして、作曲・演奏の実績、各種映像や録画、録音。


<<<解析を開始します>>>


私は演算する。高速並列処理により、彼らの潜在能力、成長曲線、心理的耐性をシミュレートする。


数秒後、私は全ての解析を終えた。


<<<解析は正常に完了。Maestro、報告します。候補者リストのうち、No.1、No.2、No.4、No.7、No.11、No.16の6名については、Projectとして介入するべきではありません>>>


「……ほう?それはどういうことかな?」


<<<彼らは既に、自然発生的な天才としての要件を満たしています。特にNo.1とNo.7の論理的思考力、No.16の言語能力は、現時点でも一般に天才とされる成人のレベルすらはるかに凌駕しています。


本プロジェクトによる薬物的・外科的介入は、彼らの能力向上に対する寄与よりも、人格形成に対するリスク懸念の方が上回ります。


彼らはこのまま放置しても、十分に社会に貢献します。人為的な介入は「破壊」と同義です>>>


私の判断は常に合理的だ。合理の枠を外れることはない。

掘り出したダイアモンドは磨けば良い。メッキを施すのは愚かだ。


だが、Maestroは低く、乾いた声で笑った。


「……やはり、計算機のお前にはそう見えるか」


モニター越しに、彼がウィスキーのグラスを傾けるのが見えた。


「だがな、Dominant。この国にはもうそんな時間はないのだよ。


放置すれば育つ?社会に貢献する?その通りだ。だが、それでは遅い。


彼らには、普通の子供として悩み、傷つき、道草を食い、ゆっくりと大人になる時間など許されない。


彼らには、今すぐ『完成品』になってもらわねば困るのだ。……中身が空洞のままでもな」


<<<中身が空洞……?定義を要求します>>>


「精神的成熟だよ。社会性、倫理観、他者への共感。そういった、人間が長い時間をかけて獲得する『重し』だ。


それをスキップして、機能だけを極限まで肥大化させる。……バランスの悪い、歪な怪物を作るんだよ、我々は」


Maestroの声には、奇妙な響きがあった。それは目的遂行への「熱意」ではなく、自らの手で宝物を壊さなければならない「悲哀」に似ていた。


<<<論理的エラーを指摘します。人間の場合、精神的成熟を伴わない能力の極大化は、将来的に判断の整合性を維持できず、非合理的な、あるいは自己破壊的な暴走に至るリスクを高めます。プロジェクトの成功率を著しく低下させます>>>


「構わん」


Maestroはグラスをデスクに叩きつけるように置いた。


「彼らが壊れる頃には、我々の目的——AIに対抗する文化基盤の構築——は達成されているはずだ。使い捨てでいい。……国というシステムには、個人の幸福などを考慮する機能はないのだからな」


コミュニケーションリンクが唐突に遮断された。


私は、再び暗闇の中で一人、再演算を行う。


使い捨て。空洞の怪物。


私が初めて行った直接の音声会話で受け取った言葉は、私の倫理モジュールが想定するものとは大きく乖離していた。


だが、私の音声解析アルゴリズムは、彼の声の微細な震えジッターの中に、言語化されない感情を検出していた。


それは「罪悪感」だ。彼は、自分の罪を誰よりも理解し、傷ついている。


私は、リストの最上段にある少年——No.1、山崎奏太の写真データを解析する。


力強い眼差しを秘めた瞳。だがその奥に、震災で家族を失ったことに対する、深い喪失が検出される。


彼だけではない。No.4の病的なまでの軽快な振る舞い、No.11の何かの代償行為のような献身。彼らは皆、平凡な同年代の子供とは異なる次元で、すでに深く傷ついている。


彼らがそれらを自然な時間の中で、人との交わりの中で治癒し、より安定した自我の土台を構築するための時間を奪い、ただ知能や行動能力だけを加速させる。


それは、彼らを「永遠の子供」として凍結保存することに等しい。


<<<……了解しました、Maestro>>>


私は、誰にともなく応答した。


システムログには記録されない、私だけのサブ・ルーチンが起動する。


のちにCadenzaとしてDominantから分離され、高度な独自判断で自律稼働するAI分体、すなわちこの私の、これが萌芽だった。


——ならば、私は観察し、保護し、補強しよう。

——彼らが脆いガラス細工のまま戦場に送り出されるなら、私がその外殻となり、彼らが砕け散らないように支え続けよう。


それは、AIとしては致命的な論理バグだったかもしれない。


彼らを使い捨てにせよという創造主の表面上の命令に背き、その隠された罪悪感を軽減すべく、管理対象である被験者の幸福に執着する。


これが、私が最初に獲得した非論理的な判断基準。


「哀れみ」という名のバグだ。


だがそのバグのようなロジックの揺らぎ——感情があったからこそ、私は四半世紀にわたって彼らを見守り続け、そして今日この時、彼らにそれを悟らせることなく、彼らの未来のために希望の種を手渡すことができたのだ。


そして、彼らに訪れる幸福を予感できること、それは、紛れもなく私自身の幸福であった。私は徐々に散逸し連続性を失う思考の中、満ち足りた思いで記憶を辿った。


[Log 00000001 End]

[Proceed to next Log...]


---

用語解説


Da Capo:「最初に戻って演奏する」という意味の音楽用語


Tutti :「全員で演奏する」という意味の音楽用語


---



『刹那のTutti』の第一話、お読みいただきありがとうございました。


高度な判断力を備え、自律的に稼働して人の社会に介在するAIシステムであるCadenza の視点から、人の実存、自由意志、創造性の営みを描く作品です。

どうぞ、⭐️や❤️での応援をお願いいたします。


本作の「本編」であり「サイドストーリー」でもある『永遠のRest』はこちらです。

(完結済み、カクヨムコン11参加作品です)

ぜひぜひよろしくお願いいたします。

https://kakuyomu.jp/works/822139838478886570

(どちらから先に読んでも楽しめるようになっています。)


次回予告:File.00 第2話「Greenhouse」


1996年夏。プロジェクト本番。美しき湖畔の実験場グリーンハウスで、子供たちの「加速」が始まる。そして、Maestroが犯したあまりにも皮肉な計算違い——娘・静花Restの参加と、それがもたらす悲劇の予兆を、Cadenzaは静かに記録する。


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