鋼鉄の夜明け

まだ秘密

鋼鉄の夜明け

昭和六十四年一月七日。冷たい空気が肺を突き刺す。


夜明け前の埠頭に俺は立っていた。波の音と遠くで響く船のエンジン音だけが静寂を破る。地面に散らばる砂利を踏みしめた。海の方へ歩を進める。


防波堤の角に腰を下ろす。カバンから古いタバコの箱を取り出した。銘柄はセブンスター。箱の角は潰れている。一本抜き出し口に咥えた。


ジッポライターの蓋を開ける。親指で石を回した。チッと火花が散り青白い炎が夜の空気を掴む。その炎でタバコに火をつけた。深く吸い込み冷たい空気に紫煙を吐き出す。煙はすぐに形を失い闇の中へ消えていった。


俺はトラック運転手。長距離ではないが毎日関東近郊の倉庫や工場を回っている。今日の仕事はここ千葉の埠頭から東京へ工業製品を運ぶことだ。


積荷は完了した。あとは事務所が開くまで待つだけ。朝五時からの積み込み作業は終わり俺の身体には重い疲労が残る。


昨夜実家から電話があった。父の容態があまり良くないらしい。俺は何も言わなかった。母も無理しないでと言うだけ。


俺と父は五年前に喧嘩別れ同然で家を出て以来まともに会話をしていない。理由は些細なこと。父の古い考え方と俺の新しい生き方へのこだわり。ただそれだけだ。


タバコの火が指先に近いところまで燃え進む。


俺がこの仕事を選んだのは誰とも深く関わらずにひたすら前に進むことだけを考えていれば良いと思ったからだ。運転席に座りただハンドルを握る。荷物を運び終えればまた次の場所へ向かう作業の繰り返し。孤独だが誰も俺に干渉しない。


海を見つめる。漆黒の海面に向こう岸の工場の灯りが微かに映る。揺らめく光。生きていると感じるのはいつもこういう瞬間だ。


タバコを足元のコンクリートに押し付け火を消す。残りの吸い殻をポケットのアルミホイルに包んだ。


もう一本吸うか迷う。だがもうすぐ夜が明ける。


空の向こうがわずかに明るさを増してきた。青でも黒でもない薄い鉛のような色。あの色の変化がいつも俺に仕事を促す。


俺は立ち上がり大きく伸びをした。体が軋む。


「行くか」


小さく呟き駐車場の愛車へ向かう。ディーゼルエンジンの唸り音が夜明け前の静寂を破った。


車に乗り込みエンジンをかける。重い車体を動かし埠頭を出る。これから俺は新しい一日の始まりと共に東京の喧騒の中へ荷物を運ぶ。


窓の外を流れる景色が徐々に明るさを増していく。


俺の旅は続く。今日もまた。

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鋼鉄の夜明け まだ秘密 @azadia

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