黒髪乙女と猫の受難 -婚約破棄は猫のせい-

みんと🐾新作短編連載中

第1話 そんなに猫が大事なの!?

 突き抜けるような青空が広がっている。

 柔らかな風は心地よく、春の訪れを語る。


「えっ」


 傍には大好きな幼馴染み。

 式を間近に控えた彼女の人生は順風満帆だった――はずなのに。


「私との婚約を破棄したい……?」


 こんな気持ちの良い日に庭園へ呼び出され、いきなり婚約破棄を突きつけられるなんて、誰が想像しただろう。

 少女の言葉が虚しく響き、澄んだ空気に溶けていく。


「そうだよ、ペルラ。したいと言うよりする。今日はそのために呼んだんだ」

「ど、どうして? だってもう、式の準備もしているし、あなたもこの結婚には納得していたじゃない。それに――」

「理由は当然。この子たちのために決まっているだろう?」


 そう言って、突然の話に困惑するペルラの横で、青年――カルクスは足元に目を落とした。

 そこには白や灰色と言った様々な毛色の猫たちが寝そべり、愛らしい眼差しで彼を見上げている。


 みゃーのひと鳴きに、カルクスは全力で地面にひれ伏した。


「あぁ~ん! どうしたんだい? 俺の愛しいアミュレ~! よしよし。今日もかわいいよ。ん? そうかそうか、知らない奴がいてストレスなんでちゅね~。すぐに帰しまちゅから、もうちょっと待ってね~」

「……」

「ということだ。お前がいると猫たちにストレスがかかる。結婚後同棲が始まれば、猫たちは日々そのストレスにさらされることになるだろう? 耐えられない。だから婚約は破棄だ」


 芝生の庭に背をつけ、ごろごろと喉を鳴らす猫たちを撫でながら、カルクスは断言する。

 子供のころから大の猫好きで、なぜか雌猫ばかり十五匹も飼っているのは知っていたが、お猫様至上主義がここまで深刻化しているとは思わなかった。


 対猫と対人の温度差に、ペルラの頬が引きる。


「でも……」


 だがこの婚約は、互いの両親と話し合って決め、本人も納得した上での婚約なのだ。彼の両親が半年前に他界したとはいえ、こんな一方的な話を、そう簡単に受け入れられるわけがない。


 食い下がると、カルクスは途端眉を吊り上げた。


「聞き分けのないやつだな。俺はお前なんかより猫が大事だ。この子たちがいない人生は耐えられない。お前のせいで猫が死んだらどう責任を取るつもりだ。そこまで考えて行動してくれ」

「……っ」

「それに、お前が妻になればその分金がかかる。伯爵家うちの財産は猫のためにあるんだ。お前に食わせるくらいなら、俺は猫に食わせたい。分かったら帰ってくれ」


 ドレスをぎゅうと握りしめ、口を開くペルラに、カルクスはにべもなく告げる。

 確かに伯爵家の財産は当主となった彼のものだろう。両親の手前婚約に納得したつもりでも、猫たちが普段会わない人間と会い、警戒心を抱く姿に、考えが変わったことも理解した。


 けれど、そんな理由で。

 そんな理由で婚約破棄されるこちらの気持ちを、考えたことがあるのだろうか。


「……っ! こんの猫バカ婚約者カルクスが――!!」


 気付くとペルラは、普段出さないような大声で叫んでいた。

 軒並みしっぽを太くした猫たちが飛び上がり、カルクスの表情が一層険しくなる。


「もういい。正式な手続きは父としてちょうだい。あんたなんて、知らない……!」


 そんな彼らを尻目に、ペルラは屋敷を飛び出した。





(……何が、「お前に食わせるくらいなら、猫に食わせたい」よ。動物好きって素敵、とか思っていた私、バカみたい。本気で好きだったのに……。バカみたい……)


 勢いのまま正門を出ると、目の前の通りはどこかがらんとしていた。

 貴族の屋敷ばかりが連なる通りは静かで、ペルラは家に向かって歩きながらそっと涙を零す。


 この道は、彼の屋敷に通うため、何度も通った。


 ペルラの屋敷は右隣にあり、彼とは子供のころからよく一緒に遊んでいたはずなのに。もう、あの関係には戻れない。

 そして、五日後に二十歳を迎える彼女は、行き遅れ確定の売れ残りになってしまった。


 楽しみにしていた結婚式。幸せな生活。それも全部、失くしてしまったのだ。


「にゃー?」


 それを実感した途端、とめどなく溢れて来る涙を拭いながら家に帰っていると、不意にどこからともなく白い猫が現れた。

 短めの白い毛に、うっすらと茶色のトラ柄をした青い瞳の綺麗な猫は、ペルラの足元にすりすりと身体をこすりつけて来る。


 まるで慰めてくれているかのような仕草に、ペルラは猫を見下ろした。


(……猫。この子は雄猫ね。顔で分かるくらいには、私も猫が好きだった。彼が好きなものを好きになりたくて、努力もしてきた。でも、今は見たくないの。どうか帰って)


 涙で滲んだ視界のまま、ペルラはそっと猫の背中を撫でると、微笑むことも出来ずにまた歩き出す。


 汚れもなく、首輪をしていたあの子はきっと、どこかの家の飼い猫だろう。せめて馬車が来る前に帰れるよう願い、彼女は数分歩いてようやく子爵家じたくの正門に辿り着く。

 王都のタウンハウスとはいえ、敷地は中々に広大だ。


「にゃー」


 だが、そんな歩きなれた道も今日で最後と悲しくなりながら、ペルラは帰りを待ってくれていた執事に声を掛け、正門を開けてもらう。


 と、また足元で鳴き声がして、ペルラは先程の猫がついて来ていることに気が付いた。

 なぜか頑なに離れようとしない猫は、不審がる執事とペルラの間を抜け、敷地内に飛び込んでしまう。


「あっ!」


 反射的に声を上げると、猫は素早い動きで庭園の中に消えていった。


「ダメよ、猫ちゃん! 戻っていらっしゃい!」


 我ながら、猫運の悪い一日だ。

 猫のせいで婚約を破棄され、さらには迷い込んだ猫を追いかけることになるなんて。

 衝撃は涙を止めてくれたけれど、この現状を最悪と言わず、何と言えよう。飼い主を探し出した暁には、迷惑料を請求したい気持ちになりながら、彼女は周囲を見回す。


 きちんと手入れがされた幾何学式庭園には今、色とりどりの花が咲いていた。


「もう~、早く出てきてちょうだい!」

「うみゃあんっ!?」


 だが花など愛でる気になれず、半分自棄になるペルラの耳に、しばらくして鋭い鳴き声が聞こえてきた。

 驚いて目を向けると、リラの木が並ぶ庭園の一角から、ポンという小さな音と共に、煙のようなものが上がって見える。


「しまった、こんなところで……!」

「猫ちゃん?」


 何事かと思いペルラが駆け寄ると、そこにいたのは猫――ではなく、金髪に青い瞳をした貴公子だった。


「キャーッ!?」

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