結婚の実感
なかむら恵美
第1話
あっさりと夫が答えた。
「ないね」
結婚して半年。今日は旗日、休日だ。
夫が欲する昼食メニューは、決まっている。
巨大なお握り3つと豚汁。お握りの中身もおかか・昆布・鮭である。
同棲をしていた時からだ。豚汁は夫が作る。
「美味いな」
自画自賛も、お決まり。
立てている髭が邪魔にならないのかと思うけど、特にどうこうはないらしい。
長男なのに入り婿。夫は婿養子に来た。しかも自ら望んでだ。
夫の実家は小さな会社を経営しているが、継ぐ気がなかった。弟の方が向いていた。だからが理由だ。
「だって俺、加藤じゃん、元々」
結婚した実感、ある?
職場ではどうなの?「養子のカトちゃん」って言われない?
聞きまくるわたしへの答えである。
質問のネタがなくなったとわたしを見るや否や、
「あ~っ、美味いなぁ。お前の作るお握りも、俺の作る豚汁も」
独り言のように言うのも、いつもの通りだ。
大食漢の夫は、バクバク食べる。
「結婚した実感はあるけど、左程でもないんだな。旧姓と今のが一致してるから。でもさぁ、違っていたら大変だよ」
二敗目の豚汁を了(お)え、夫はコーヒーへ。
負けじとわたしも豚汁の残りを食べ始める。
「あ~っ、色々面倒よね」
「うん。俺なんて客商売じゃん。大変なのよ、郵便局も。色んな客がいるし、仕事関係者にも色々から。今も加藤だから、客にはあまり知られていないけど」
粉珈琲をまたデカいマグカップに夫は注ぐ。普通サイズのも出してくれた。
わたしも飲むのを察してだ。
「そんなんからも、お前と一緒になって良かったよ。小学生の時からだからある種、腐れ縁じゃね?」
「かもね」
頑張って食べているのに、まだ豚汁はある。
小学4年生。
夫のクラスにわたしが転入生として入った時、初めて会った。
夫は「文明(ふみあき)」わたしは「文子(ふみこ)」
名前までが似ていた。
別に感情はなかったが、父の仕事の関係でお互い転々。
ゆく先々で何故か、そう遠くない所に住む。月に2回ぐらい偶然、会った。
段々親しくなり、もっと知りたいと思うようになり、自然、方向性が芽生えた。
何回か危ない時期もあったが、30歳を半月ばかりに過ぎたところで結婚。
以上がざっとの経緯である。
やっと食べ終わった豚汁の後の珈琲も、また美味しい。
あんなこんなを思い出しながら、暫し、無言でわたし達は各々の珈琲を楽しむ。
ふと夫が真面目に言って来た。
「けどさぁ~っ、女の人は大変だよなァ。結婚すると」
あんなに食べても足りないらしい。
戸棚から、バタピーを出してボリボリ食べる。
「今迄<加藤さん>と呼ばれていたのが<山田さん>になったり」
自然、わたしも手が伸びる。
「<落合さん>って呼ばれたり。そうやって段々、結婚したのを実感。慣れてゆくんだろうけど、色々面倒臭いじゃん、手続きも」
「あ~っ。そうねぇ」
戸籍はもとより、自動車免許証、保険証等々。
「で、思う訳ですよ。嫁に行った感覚と言うか、ちいとばかりの感傷を。半分ぐらい、心の中で新妻になる。俺、男だけど」
「髭を立てた新妻?」
「悪まで心の中で、だけだから」
掌一杯にバタピーを握って、口の中に放り込む。
「あ~っ、戸籍上は他人なんだ、自分は何とか家の人間になったんだ、って」
「思った?あなたも?」
「俺?ちょいとばかりは」
デカい体がわたしを見た。立てた髭の間にバタピーの色が混じる。
「同じ姓字、<加藤>でも?」
「そっ。これから加藤の為に尽くします。奥さんの下僕となって生涯を終えます、って」
「嘘ばっか」
「バレた?」
ワハハハハ、ご機嫌に髭面が笑った。
<了>
結婚の実感 なかむら恵美 @003025
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます